君と旅をするために SS集
ナナシマイ
第1話 フレッド視点 夕焼け色の訪れ
……失敗したな。
ぐっと歯を食いしばり、どくどくと熱を持ちはじめた痛みを我慢する。
いつも腰に巻いている紐を一本、ほどいた。足をきつく縛って止血する。腕にもいくつか切り傷ができていたが、そっちはそのまま。そんなに酷い出血ではない。
血の付いた手を適当に拭いて、後ろに置いていた本を確認する。
……良かった。無事だ。
普段は図書館の屋上で読書をしているから、外に持ち出すことは滅多にない。けれど、どうしても今日中に調べておきたいことがあったのだ。閉館時間までに終わりそうになかったから、早々に貸し出し手続きをして出てきた。が、それは失敗だった。
怪我をすることには慣れている。騎士団や魔兵団につけてもらう稽古ではよくあることだから。それに、次の夏で十歳になれば、準成人である騎士見習い達との訓練も始まるのだ。今よりもずっと厳しくなるだろう。
怪我が増えることを想像して、俺は小さく溜め息をついた。慣れているとはいえ、痛いものは痛い。
しかし、どうしようもないのだ。
怪我をすることも、痛みを我慢し続けなくてはならないことも、俺がどうこうできる問題ではない。
……もう、諦めている。
「怪我を、しているの……ですか?」
誰かがゆっくり近づいてくる気配と、少しばかり舌っ足らずな子供の声。面倒くさくて、俺は顔を上げることもなく、「あぁ」とだけ答える。
そろそろ痛みに身体が慣れてきたし、もう帰ろう。
動くつもりのなさそうな子供に退いてもらうため、遠回しに伝わるように言い直す。
「……いや、大したことはない」
「駄目ですよ、そのままにしては。治療をしましょう。……わたしは、リリ……リル。魔法使いの、リルです。あなたは?」
……どうやら、心配されているらしい。
変な気分だった。俺の周りに、俺を心配するような奴はいない。だから、今もまったく期待していない。それよりも、どうやってここから立ち去ろうかということを考えている。
そうして何とはなしに顔を上げて、目に飛び込んできた色に一瞬、思考が止まった。
リル、と名乗ったその子供は、心配そうに瞳を揺らしてこちらを見ていた。
七、八歳くらいか。顔立ちは幼いながらかなり整っていて、姿勢が良い。着ている服には余計な飾りが一切ないが、暖かそうで、高そうな布を使っていることがひと目でわかる。名前も言い直していたし、貴族の子供だろう。そして何よりも。
……忌み子だ。
傾げた首に合わせてふわりと揺れる髪は、夕焼け空とよく似た赤色だった。
それは、多すぎる魔力を暴走させてしまうがために、忌み嫌われている存在である証。どんな身分でも、忌み子は普通、神殿から出てこないものだ。
少なくとも俺は初めて見た。それがどうして、こんなところに? ……いや、今はそれどころじゃないな。
忌み子で、貴族かもしれなくて、自称魔法使い……?
考えるまでもなかった。俺にとって、こいつと関わって良いことなど何ひとつない。
「……必要ない」
本を持って立ち上がろうとすると、しかし、「だ、駄目ですよ!」と慌てたように手を伸ばしてくる。
「ひゃっ――!」
「おい!」
避けようと軽く払っただけの手が当たった瞬間、そいつはバランスを崩して見事に転がった。
「いったたた……」
変なところをぶつけたのだろうか。間抜けな声を出している割に、起き上がるのが妙に遅い。
俺が手を払ったのが原因だ。そのまま立ち去るのはさすがに気が引けて、起き上がるのを手伝ってやることにした。
「あ、ありがとうございます」
「――っ」
彼女の手を掴んだ瞬間、腕に走る激痛。自分が怪我をしていることを忘れていた。思わず顔を顰めると、目の前で、ふふ、と笑われる。何だこいつ。
「ね? 治療、しましょう?」
「……はぁ」
その暢気な笑顔には、腹が立つというより、気が抜けてしまった。
多分、このまま断り続けるよりも、言う通りにさせて納得してもらう方が早い。そう判断して、俺は頷いた。
どこでやるのかと思えば、俺は図書館の裏に連れて行かれた。
互いの家でないことにほっとする。どこに住んでいるのか知らないが、それが神殿だとしても、貴族の家だとしても、あまり行きたくない場所だから。
ちなみに俺の家は論外だ。子供とはいえ、初対面で孤児院に招待するのはさすがに、な……。
彼女は俺を木の根元に腰掛けさせると、すっと右手に杖を出した。そして、滑らかな動きで魔法陣を描き始める。
……魔法使い、というのは本当らしい。
意外に思ってその様子を見ていると、得意そうな笑顔を向けられた。
しかし、関係ない。
「あれ……?」
発動した魔法に、首を傾げる。当たり前だ。
「俺、魔法が効かないんだよ」
だから諦めろ、そう続けようとしたら――
「凄いです!」
「……は?」
想像していたのと違う反応に、また思考が止まる。普通は、気味の悪いものを見るような目や、嘲笑うような目を向けられるから。
それなのにこいつは、楽しそうに目を輝かせている。
「そんなことがあるのですねっ! どうしてでしょう? 魔法への耐性が強すぎる? それとも“気”に対する抵抗の問題かしら……? いっ、いえ、治療が先でしたね。えっと、魔法が駄目なら……」
うぅん、と視線を宙にさまよわせながらも、杖を持った手は魔法陣を描くように動いている。意味がわからない。
「――あ!」
その手の動きが早くなる。心なしか、杖の光が強まったように感じられた。
「少し待っていてください。ここから動いては駄目ですよ? ……ではなくて、動けませんけれど、安心してくださいね。ちゃんとすぐ戻って来ますから!」
そう言いながら発動させたのは、結界の魔法だった。俺の周りを囲うように張られていて、彼女はその効果を確かめるように外から触れた。こちら側に手が通り抜けないことを確認し、満足そうに頷く。
それからくるりと背を向けて――また転んだ。
「……何してんだ」
「えへへ、間違えてしまいました」
仕方がないから手を貸そうとして、出られないと言われたことを思い出して止める。その間に自力で立ち上がった彼女は、今度はゆっくりと歩いて図書館の敷地を出て行った。変なやつだ。
……って、待てよ。この結界、意味ないんじゃないか?
結界内に閉じ込められるのはさすがに初めてだ。出られないと言われてそういうものかと納得していたけれど、魔法が効かないなら……。
「出られる、な」
みょん、と外に出た自分の腕を見て、苦い笑みを溢す。
まぁ良いか。どうせこの後は、帰って借りた本を読むだけだ。それならここでも変わらないし、あいつの戻りが遅かったら、そのときは結界を出れば良い。
痛みの引かない身体を引き摺って、木の幹にもたれかかる。それから、読みかけの剣術に関する本を開いた。
「お待たせしました」
彼女が戻って来るのは、予想以上に早かった。
王都は大きな丘を丸ごと使って建てられていて、中心に、高いところに行くほど身分の高い者の住む場所がある。その最たるものが王城だ。そしてこの図書館があるのは王城よりも少し低いところ。この辺りに住んでいるのはエストとして王城に勤めている貴族がほとんどなのだ。
歩く速度を考えれば、目の前にいるのはそういった貴族の子供で間違いないだろう。
表情を変えないよう気をつけて、心の中だけで警戒を強める。
が、目の前の子供は、鼻歌でも歌い出しそうなほどにご機嫌だ。
背負っているリュックから、鍋やら、小瓶やら、薬草らしき植物やらを取り出しながら、手際良く調合の準備をしていく。……って、調合までできるのかよ。医師の子供なのか?
「えっ、と……騎士見習いさん」
ほわんとした見た目とは裏腹に、迷いのない手つきが面白くて眺めていると、彼女はいつの間にかこちらを見ていた。そういえば、まだ名乗っていなかった。名乗るつもりもないけど。
「何だ?」
「少しだけ、魂の状態を見ても良いですか? ……その、薬が効くかどうか、わかるかもしれないので……」
「……勝手にすれば良い」
俺が許可すると、彼女はぱあっと顔をほころばせた。「魔法の効かない人の魂が気になる」とその目に書いてある気がするのは気のせいだろうか。
「ありがとうございます! では、失礼しますね」
そう言って、今まででいちばん複雑な魔法陣を描き始めた。魔法にはまったく詳しくないが、騎士団の連中でもここまで難しそうな魔法は使わないだろう。
魔法が発動しても、当然、俺には何の影響もない。
しかし。「わぁ」とか、「へぇ」とか、間抜けに喜んでいる子供が一人。
「……あれ? もしかして騎士見習いさん、さっきの結界、出られたのではありませんか?」
その喜びの表情に、疑問と呆れの色を混ぜながら、彼女はこてりと首を傾げた。
「気づかなかったのか、出ないでいてくれたのかはわかりませんが、良かったです。これなら、薬は効きますよ」
……驚いた。この短時間で、そんなこともわかってしまうのか、と。
治癒魔法よりもずっと、時間がかかってしまいますけれど。彼女はそう言ったが、効く薬があるのなら、自然治癒よりもずっと早いだろう。
これまで誰も、そんな答えを出してくれたことはなかった。
それ程に治癒魔法は当たり前で、それ程に俺は異質の存在なのだ。
俺が当たり前のところへ行くには、あまりに壁は高すぎる。
だというのに、それを軽々と越えてくる、夕焼け色の髪を持つ子供。それは、彼女も異質な存在だからだろうか。あるいは。
もしかすると、彼女なら――。
そんな思いが芽生える。
「騎士見習いさんは――」
あっという間にできあがった薬を飲んだり塗ってもらったりしていると、そう声をかけられる。
「フレッドだ」
「え?」
「俺の名前は、フレッドだ。……あと、まだ見習いではない」
すると彼女は、きょとんと目を丸くしてから、「そうでしたか」と言ってやわらかく微笑んだ。
「……フレッド……フレッド君。よし。フレッド君は、この図書館によく来るのですか?」
「あぁ、まぁ。それなりに」
「わたし、これからは毎日通う予定なのです。怪我をしたら、遠慮なく声をかけてくださいね。治療しますから」
その優しさには裏があるのではないかと反射的に身構えてしまうが、その必要はないだろうということを、俺は確信している。
けれども、聞かずにはいられなかった。
「どうして、そこまでしてくれるんだ?」
「怪我人をそのままにしておけるわけないではありませんか! ……それに……け、研究だって、したいですし……」
最後にポロリと本音を溢した子供――リルの恥ずかしそうな顔に、俺は久し振りに声を上げて笑った。
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