第77話


リディアは深いため息を吐く。舞踏会の日から半月。ディオンのお陰か、公の場でリディアの事を噂をする者達はいなくなり、表面上は以前の様な日常に戻った。


ただ関わりたくないのか、ほぼ誰一人として近寄って来ない。リディアの姿を見ると、それこそ、そそくさと逃げ去って行く。

静かになったのはいいが、これはこれで複雑だ。


リディアは今回のくだんで、兄が世間から見てどういった存在なのか、少し理解した。


それはあの瞬間にも、痛感した。例のディオンと噂になっていた女性、カサンドラ伯爵令嬢。彼女に対してのディオンは、リディアの知っている兄ではなかった。頭に過ぎったのは、以前ディオンがオリヴァーへ叱責した時の事だ。確かあの時の兄もあんな感じだった。相手を屈服させる様な威圧感と冷淡さ……ほんの少し、怖いと思った。


あの後、カサンドラの父であるゴーダン伯爵はディオンの話していた通り爵位を剥奪。財産など全て取り上げられ、身一つと言っても過言ではない状態で屋敷から放り出されたそうだ。無論娘達もだ。


「でもまさか、浮気相手の妹だったなんてね……」


聞かされた時は本当に驚いた。その一方で世間って狭いなぁなんて呑気に考えたりもした。


婚約破棄された事を思い出すが、最早どうでもいい。寧ろラザールにお礼を言いたい。浮気して、婚約破棄してくれたから、実家に帰れた。浮気相手のフェオドラにも感謝している。彼女がいなかったら、あのままラザールと結婚していただろう。そんな事を改めて、しみじみ思う。


リディアは自身の額に触れ、笑みを溢す。


ディオンの元に帰る事が、出来た。


「ディオン……」


あの日……ディオンから言われた言葉の意味は、未だに聞けていない。だが、本当は聞かなくたって分かっている。ディオンは兄として、家族として、例え血の繋がりがなくと「愛している」そう言う意味で言ってくれたのだ。不安気にしている妹をあやす為に。


だから、期待してはだめ……。


あの瞬間余りにも驚き、余りにも歓喜した。それ故思わずリディアも「愛してる」などと口走ってしまったが……その後、ディオンは黙り込んでしまった。きっと、ディオンは勘が鋭い故リディアの心意を理解し、困惑したに違いない。


それは当然だ。妹が兄である己を異性として見ているなんて……気持ちが悪いに決まってる……。


ディオンとはそれから何度も顔を合わせているが、普段と変わらない態度だった。ディオンなりに気遣っているのだろう、敢えて何も言う事をしない。

聞かなかった事にしてくれようとしている。普通の兄妹であろうとしている……。


この先兄はリディアを女として見てくれる事はないだろう。

それでもあの時間は、リディアにとってこの上なく幸せだった。


「妹としてでも……」


女として抱き締めて貰えなくても、愛を囁かれる事はなくとも、側にいられるなら……。


ディオンから妹として、愛されている。


「それで十分過ぎるじゃない……」


なのに、やはり胸は苦しくなるばかりだ。












「おはよう」


リディアが食堂へ行くと、ディオンが食事を摂っていた。


「おはようございます、お兄様だろう?その莫迦な頭は何度言えば覚えるんだ」


何時も通り悪態を吐くディオンに、朝から苛つきながらも席に着いた。


「オハヨウゴザイマス、オニイサマ」


「可愛くない。やり直し」


穏やかな日常に、少しずつ戻りつつある。


「今日は遅いのね。大丈夫なの」


いつもならのディオンなら、とっくに屋敷を出ている時間だ。それなのにまだゆっくりと朝食を摂っているとは珍しい。リディアは眉を上げ、ディオンを見遣る。


「別に……たまにはね。それより早く食べな。遅刻するだろう……俺が」


妙な言い回しをする兄の言葉に、リディアはパンを頬張りながら訝しげな顔をした。





リディアが準備を整えて馬車に乗ると、何故かディオンも乗り込んできた。


「ちょっと!何で一緒に乗るわけ?と言うか、まだ出てなかったの⁉︎」


食事を食べ終え、リディアは一度部屋に戻った。故にディオンは先に出掛けたのだとばかり思っていたのだが……。


「どうせ行先は同じなんだ。その方が効率が良いだろう」


ディオンは最もらしい台詞を吐くと、リディアの横に座った。そして理解した、先程の言葉の意味を。兄はリディアと始めから、一緒に行くつもりだったのだ。どうせ何時もの気まぐれだろう。


「……ねぇなんで、横に座るのよ」


「大好きなお兄様の横に座れて朝から幸せ、の間違いだろう」


「莫迦じゃないの!」


リディアはディオンの軽口に、顔を逸らした。すると、ディオンがリディアの手に自らのそれを重ねてくる。一気に恥ずかしさで身体が熱くなる。ディオンに触れられるのはあの日以来だ。


横目でディオンを盗み見るが、兄は足を組み瞳を伏せていた。別段変わった様子はない。


意識しているのは自分だけだと分かり、少し落ち込んだ。


二人は、城へ着くまでの間終始無言で、互いの顔すら見なかったが、手だけは確りと握られたままだった。

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