第1話
何が私より強い女は無理だ、よ。こっちから願い下げよ。リディアは目を釣り上げる。
婚約破棄された事に対して異論も悲観もないが、寧ろ浮気してくれてありがとございます!婚約破棄してくれてありがとうございます!と礼を言いたいくらいだ。元々気乗りしない婚約だったのだから。
だが、ザラールの言い回しには腹が立つ。
あれって、どう考えてもただの悪口よね。
「リディア様、お口に合いませんでしたか?」
心配そうに様子を伺って来たのは実家の執事であるシモンだ。彼は昔からグリエット侯爵家に仕えてくれている。穏やかな雰囲気を漂わせながらも、テキパキと仕事をこなす。実に優秀な執事だと思う。
「そんな事ないわ。どれも私の大好きな物ばかりで美味しい」
実家に突然帰ってきたリディアに戸惑う事なく笑顔で向かい入れてくれた。『お帰りなさいませ、リディア様』それはまるで朝出掛けて夜普通に帰宅したくらいの感覚で。
正直実家に帰って来るのは気が引けた。出戻りなんて……リディアのただ一人の家族である兄に何を言われるか気が気じゃなかった。
「ねぇ、何か言ってたりした?」
敢えて誰がとは言わない。言わなくてもシモンなら分かってくれる。
「いいえ、特別何も仰られておりませんでした」
リディアは婚約破棄された後、直ぐに屋敷から出て行く様に言われた。何でも浮気相手の女性と今直ぐに!別邸で暮らしたいからと言う腹の立つ理由で。だが流石に荷造りもあるので一日だけ待って貰った。かなり渋っていたがそこは無視した。
そしてその時になんの前触れもなく実家に帰るのは怖いので、一応兄に手紙を認め出しておいたのだ。
「そ、そう……」
実はリディアは、兄とは余り仲が良くない。幼い頃は逆に仲睦まじいくらいだったが、大人になるに連れて会話はなくなり顔を合わせる事も無くなった。
たまに顔を合わせれば口喧嘩をする事も暫しで、婚約破棄されて出戻ったとなれば何を言われるか分かったものではない。
リディアが帰って来た時には屋敷には兄の姿はなく、正直胸を撫で下ろした。まあ、遅かれ早かれ帰って来る事には変わりはなく、顔を合わせる羽目にはなるのだが……。
「まあ、考えても仕方がないわ」
独り言つ。
なる様にしかならないのだから。それに、自分に落ち度はない。果たすべき役目は果たしたし、向こうが勝手に浮気して婚約破棄したのだから。
リディアは面倒な事が好きではない。女々しく何時迄もウジウジしているのも性に合わない。
もう終わった事なんだから考えるだけ無駄だ。それより今は食事に集中しようと、気を取り直しテーブルを改めて眺める。そこにはリディアの好物ばかりが並べられていた。シモンが気を遣ってくれているのだとよく分かる。
リディアはさっそく好物のチーズたっぷりのミートパイを手に取ると、大きな口を開けて頬張る。
「美味しい~」
う~ん、やっぱり実家だと気兼ねなく食事が出来て幸せ。周りの目とか気にしなくて良いし。行儀は悪いが、頬張って食べるのが一番美味しく感じる。
リディアが上機嫌で食べていると、突如手からミートパイが消えた。
「そんなんだから、婚約破棄されるんじゃないの」
呆れた様な声が聞こえて、リディアは口の中に残っていた物を詰まらせむせる。
「ゔぐっ……ち、違うわよ!向こうが他所で女を作って勝手に婚約破棄してきたの!手紙にも書いておいたでしょう⁉︎……返してよ、私のミートパイ」
振り返り、恨めしそうに睨む。
「はいはい、そう言う事にしておくよ。まあどちらにしても、嫁の貰い手がなくなったね。……うん、いつも通り美味しいね」
彼の口の中にリディアのミートパイが消えていってしまった。指についた滓を舌でひと舐めしているのが見える。
「行儀悪い……」
自分の事は棚に上げてリディアは呟くが、彼は別段気にした様子はない。
「別に全く可能性がない訳じゃないもの……」
理由はどうあれ、貴族社会において婚約破棄は女性側に問題があるとされており、された側の女性は嫌厭され次の婚約がかなり難しい。今回など明らかに向こうに落ち度があるが、それでも周りはそうは思ってくれないだろう。
「諦めない精神は褒めてあげるけど、現実問題かなり厳しいけどね。……まあ、お前一人くらいいたってどうって事ないさ」
そう言いながら彼はリディアの横の椅子に腰を下ろした。
「それって、どう言う意味?」
意味が分からず、眉根を寄せる。
「さあね。あぁ、シモン。ワイン開けてくれる?」
リディアはおやと思った。
「ディオン、お酒飲むの?」
ディオンは屋敷で殆ど酒を呑まない。ディオンが酒を呑む時は頗る機嫌が良いか、頗る機嫌が悪い時だけだと、シモンが以前話していたのを思い出した。リディアは一緒に食事をする事は無かったので知らなかったが……。
「まあね。それより、リディア。前から言ってるだろう。お兄様って呼べって」
「はいはい、オニイサマ」
「可愛くないな。昔は素直だったのに」
こんな風に軽口を叩くのはかなり久しぶりだ。懐かしく感じた。
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