第148話 やべぇ女の匂いがするぜ


 マーノットは、学園内を守っている警護騎士に連れられていった。


「警護騎士たちも空気の入れ換えが必要ですからね。今の人たちは新鮮な空気を持ってきた騎士ですよ」


 セアダスの言葉を聞く限り、どうやら学園にもしっかりと改革の刃が入り出したようだ。


 この老教師は復帰したばかりだと言われていた。そして、その復帰の手配をしたのは陛下だろう。

 これも改革の一環なのかもしれない。


「さて、残った時間は少し騎士科の自由授業に関して話そうかの」


 改めてセアダス先生が自己紹介をして、騎士科の自由授業について話を始める。


 主に実技だ。

 型の基礎や組み手、騎士戦術に組み込める彩技や魔術なども教えてくれるらしい。


 そもそも騎士科に限らず、自由授業は主に実技講習が多いらしい。

 専門的な内容の座学も一応はあるようだが、そう多くないのはどの科も共通だと言っていた。


 そしてどの自由授業も座学よりも実践の方が人気らしい。


「選択以外の科目の試験を受けるには、選択学科の試験に合格しているコトが条件かぁ……」

「ショコラ、本気で全学科制覇を目指す気?」

「もちろん。その為に、基礎科を選んだんだもの。

 必須授業数が少なく自由時間が多いから、ほかの学科の自由授業を受けやすいしね」


 セアダスの説明を聞きながら訊ねてくるヴィーナに、ショークリアは力強くうなずいた。


 学園では、進級・卒業には、基礎試験と学科試験の二つを合格する必要がある。

 基礎科は、基礎試験=学科試験なので実質一つ合格すればいい。


 そして、一番重要なのは今日のような自由授業だ。


 各学科の必須授業以外の時間、各科の教室や運動場、実験室などで行われている講義を自由に受けられる。

 そして一つの科の自由授業を一定以上出席したことのある生徒は、その学科の試験にも挑戦する権利が与えられるのだ。


 理論上は、計算して自由授業を選んでいけば、全ての学科試験を受けられるようにはなっている。

 実際に、全てを合格して卒業した生徒はいないようだが。


「侍従科もやるの?」

「もちろん」


 侍従科とは、ようするに執事やメイドなどの従者教育を主とする科だ。

 騎士科、魔術科、文官科と比べると、一段劣った学科という扱いを受けている。

 ショークリアにはそんな偏見はないのだが。


「基礎を含めた五教科全てで合格もらって卒業するつもりだもの」

「何度聞いても信じられないコトを目標にしているわよね」


 何やらヴィーナが変わった生き物を見る目を向けてくる。

 実際、ショークリアとしても変わったことをしようとしている自覚はあったので甘んじて受け止めることにした。



 そうして、セアダスの話も終わる。


「うむ。そろそろ良い時間だな。

 これからは女性も平民も気兼ねなく自由授業を受けられるようにしていくつもりじゃて。

 少なくとも儂が担当する授業はそうなる。

 騎士科の自由授業を受ける際は、担当教師の確認をした上で、受講しにくると良かろう」


 セアダスの言葉に、女性と平民たちの表情が明るくなった。

 もしかしたら、これまでは初日の時点で女性と平民をふるいに掛けるようなことをしていたのかもしれない。


 マーノットの行いや言動を思えば、どうしてもそう考えてしまう。


(ま、改革されていくっていうなら、それでいいさ)


 なんだか初日からとんだ騒動に巻き込まれた気がするが、とりあえずは解決したようなので、ショークリアは一息付くのだった。


「……って、あ。シアに相談したいコトあったんだった!」




 授業が終わり、トレイシアの護衛を兼ねて女子寮に戻る途中で、廃墟食堂の話をする。


「――と、いうワケなんだけど」

「そういうコトでしたら、もちろん協力しますよ。

 食堂などの問題も、学園の変えていくのに解決が必要なモノでしょうから」


 二つ返事で協力を取り付けられ、ショークリアはよし! と小さくガッツポーズをとった。


 そうして女子寮に戻ってくると、エントランスで女子生徒のグループの一つとす遭遇する。


「ケインキィ……」


 ハリーサの漏らす吐息のような呟きがショークリアの耳に届く。


(どいつだ?)


 ハリーサの家をめちゃくちゃにしている元凶。彼女の妹を名乗る謎の少女。


 ショークリアは訝しむ様子の一切を隠しながら、その集団を見やる。

 ビルカーラ家は中級だ。集団の中心人物になりにくい気もするが……。


「あら? ハリーサお姉さまではありませんか」


 声を掛けて来たのは集団の中心にいた赤みの強い桃髪の少女。

 高い位置で左右に結った髪を揺らしながら、あざとすぎるほどあざとい仕草で声を掛けてくる。


「……あなたに、姉と呼ばれたくないわね」


 うめくようにハリーサが返せば、周囲が僅かにざわついた。


「姉妹仲が悪いという噂は本当でしたのね」

「容姿が全く似ていませんから、何か血筋的な問題もおありなのでは?」

「ハリーサ様が一方的に嫌らっているようですけど」


 好き勝手言ってくる周囲に、ハリーサは僅かに顔をしかめるが、それ以上のリアクションは取らなかった。


「貴女、ハリーの妹ですの?」


 目をすがめるようにしながら、トレイシアが訊ねる。

 それに、ケインキィはしまったという顔をしてから、頭を下げた。


「申し遅れました。トレイシア殿下。ケインキィ・ポリンク・ビルカーラと申します。

 お姉さまとは同じ年の姉妹になりますね。お察しかと思いますが異母姉妹です」


 黄色い瞳を元気に輝かせながらそう名乗るケインキイ。

 香水でも使っているのだろう。ふわりと甘い香りが漂ってくる。


「事情が事情ですから、お姉さまが私を嫌うのは仕方ないと思うのですが……それでも、私は仲良くしたいのですよ」


 健気さを誘う仕草。

 人工的な元気さの中に、人工的なはかなさを混ぜ込んだような態度のケインキィに、ショークリアは僅かに眉をひそめる。


(なんだ? あざとさも元気さも儚さも、全部作り物みてぇだ……)


 そこに、彼女の本性が存在していないように見えた。

 

「ご家庭の事情に深入りするつもりはございませんが……ハリーサを不必要に困らせないように」


 トレイシアの言葉は、やや突き放した言い方ではあるが、ショークリア個人としてはそれが正しいように思える。

 変に肯定的な態度を取ると、ケインキィが調子に乗りそうな気がするのだ。


(その調子に乗った態度すら、作り物かもしれねぇが……)


 前世を含めてもこれまで感じたことのない雰囲気を持つケインキィに、ショークリアは警戒心を強める。


 トレイシアとケインキィのやりとりを気にしつつ、周囲を静かに見回していると、すぐ側にいるヴィーナの様子がおかしいことに気づいた。


 どこかぼんやりした様子なので、ショークリアは小声で呼びかける。


「ヴィーナ?」

「……」


 しかし、返事がない。

 とはいえ、ここで大声をあげるのも、主であるトレイシアと挨拶をしているケインキィを邪魔する行為になるので、やるわけにもいかない。


「それでは失礼しますね」

「ええ」


 などと悩んでいるうちにケインキィが一礼してこちらの集団の横を迂回して外へと向かっていく。


 すれ違いざま、ケインキィはちらりとこちらを見て笑みを浮かべた。

 何に対して、どういう意味があっての笑みかは分からないが――


(それがテメェの素顔か、ケインキィ?)


 凄惨さと妖艶さを併せ持った、人を堕落させ奈落に落とすことを喜ぶ女神のような――一瞬だけ浮かんだ笑みは、まるでそうとしか形容できないものだった。


(普段の態度にやられて付き合ったら、向かう先は破滅って感じだな。

 あの仕草も態度も、甘い香りの香水も、他者を引き寄せたり、誘惑しやすい状況を作ったりするのに使ってるようにしか見えねぇ)


 ショークリアが直感的に感じたこととしては――


(なんであれ、アレは人の心やプライド、尊厳を折るのを楽しんでそうなやばい女だ……)


 ビルカーラ家に取り入った理由は分からないが、その過程でビルカーラ家が没落し、ハリーサが絶望する姿を見ることを娯楽としていそうだ。


(さっきぶちのめしたハッタリ筋エセ肉が可愛く見えるぜ。野放しにするのはやべぇ気がするな。

 根拠が直感しかねぇけど、シアにはその直感を報告はしておくか)


 小さく息を吐き、ケインキィ率いいる集団が外へ出たのを確認してから、ショークリアとトレイシアは同時に息を吐いた。


「シア、気をつけて。

 直感だけで証拠はないけど、言葉や仕草、香り――その全てが、相手の思考を鈍らせて自分へと好意を抱かせる人工的なモノっぽいわ」

「ええ。私も似たようなモノを感じました。ショコラも感じ取っていたのであれば、私の感覚も間違ってなかったコトになりますね」


 どうやらトレイシアも警戒していたようだ。

 そのことに安堵しながら、ショークリアは改めてヴィーナを見る。


「ヴィーナ」

「え? あ、えーっと、ショークリア?」

「どうしたの?」

「あー……ごめん。なんかぼーっとしちゃって。

 なんかすごい子だったね。ハリーサの妹。別に悪い子じゃなさそうだから、そんなにツンケンしなくても……とは思ったんだけど」


 ヴィーナがそう口にした瞬間、ショークリアは彼女の目の前で手を叩いた。

 いわゆる猫騙しと言われるような動作にも似ている。


「わ!? な、なに? どうしたのショコラ?」

「あいつの術中にハマるとこうなりかねない一例になったわね」

「術中? なんかハリーの妹が挨拶してきたところまでは記憶にあるんだけど……あれ? その子は?」

「もういなくなったわよ」

「そ、そっか」


 息を吐くヴィーナはやや青い顔をしていた。

 初めて出会った時も、こんな顔色だったな――などと思っていると、ハリーサが苛立っている気配を感じ、ショークリアはそっちに視線を向ける。


 そんなハリーサに、ショークリアが声を掛けるより先に、トレイシアが声を掛けた。


「落ち着いてハリー。焦ったり怒ったりは向こうの思うツボになりますよ。

 あの娘へは下町の流儀では恐らく太刀打ちできません。

 彼女に立ち向かうには感情に流されない強い意志と、王侯貴族らしい手段が必要です」

「シア様……」

「根回しと証拠集め。そして相手に気づかれず罠にはめる狡猾さ。

 その牙はしっかりと磨いてきているのでしょう? ならば一時の感情に流されるコトなく、成すべきコトを成すべく冷静にならないとダメですよ」

「……すみません。ありがとう存じます」


 ふぅー……と息を吐いたことで、ハリーサも冷静さを取り戻せたようだ。

 

「そういうワケだから、みんなもあの子には気をつけてね」


 ひと段落ついたところで、ショークリアは後ろにいた平民生徒たちに向き直った。

 騎士科の自由授業の終わりからついてきた生徒だけでなく、今のやりとりの間に、寮のエントランスに戻ってきている生徒たちもいるのだ。


 ここまでのやりとりを見せてしまった以上、変に隠すワケにはいくまい。むしろ、仕草と香りで心を乱してくる女――という情報だけでも覚えてもらった方がいい。


「それと貴族の喧嘩は正面から殴り合わず回りくどく相手を罠にハメていくのが基本になるから、感情的になったら負けよ。

 変に挑発されて感情的になられると、無理矢理巻き込まれて私たちが負けかねないから気をつけてね」


 騎士科でショークリアの決闘を見た生徒たちは協力的にうなずく。

 だが、これで全員が納得するようなものでもないだろう。


(貴族と平民が入り交じる……これ、想像以上にクソ面倒くさいな)


 平民を守りたい側の人間だからこそ、貴族に対する理解の薄い平民がアキレス腱になりかねない。


(マーキィみたいなタイプの連中は――マジで早めに、貴族対応叩き込まないとヤバそうだ)


 そんなことをつらつらと考えながら黙り込んだショークリアの横顔を見つめながら、トレイシアとハリーサが小声やりとりをする。


「色々考えてくれているようで助かりますね」

「ショコラばかりに負担はかけたくないのですが……」

「ならハリーもしっかりと考えてください。平民たちという弱点から、私たちが崩されない為の立ち回りを」

「はい」

「私も、気合いを入れねばなりませんね」


 学園での政争など、大人の政争に参加しているトレイシアからすればぬるま湯だと思っていたのが――


「でも、このくらい手強くなくては面白くありませんから」


 手強い相手が一人いるだけで、途端に盤面の把握が難しくなる。


 そこに、感情を優先しやすい平民たちに、子供から大人になる途中の貴族たちによる拙い政略が混ざってくる為、非常にややこしくなりそうだ。


 それは、

 なんて、

 なんて――


「シア様、楽しそうですね」

「楽しい……? そうかもしれませんね。

 ショコラのように武を楽しむワケではありませんが、文官としての政争は楽しいのかもしれません」


 ――楽しそうなのだろうか。


 その笑みを見たハリーサが思わず、類は友を呼ぶという言葉を思い出し、天を仰ぐのだった。


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