#10 ~ 剣が泣いている
(……なんでこんなことになった。)
手渡された剣を片手に、夜空を見上げ、俺は小さく息を吐いた。
剣技を見せてくれ――というが、要は手合わせの申し込みだ。
当然、受ける義理などなかった。だが、会場にいたレイクロード辺境伯が「面白い」と手を叩き賛意を示したことで、事態は一変した。
あれよあれよという間に、庭に場所を移し、今に至る。
俺は手の中の剣を見た。この決闘用にと用意された、刃引きされた直剣だが――。
(これ、明らかに仕掛けありだよなぁ)
剣先が軽く、手元が重い。どう考えても普通の剣ではない。肝心の刀身部分は、外見こそ立派だが、中身はおそらく鉄ですらない。
打ち合えば確実に折れるか、折れずとも押し負けることになる。子供の玩具もいいところだ。
(……そこまでして勝ちたいかね)
ニヤニヤした顔で俺を見る若い男――ブラムフェルトといったか――を見て、ため息を吐く。
「ユキト君」
声に振り向けば、伯爵がとても申し訳なさそうな顔で近づいてきた。
まるで今にも「すまない」と言いだしそうな顔だ。
「問題ありませんよ、伯爵」
「ああ……」
「ユキト君。普段とは得物が違うだろうが、問題ないだろうか」
そう言って声をかけてきたのは、レイクロード辺境伯だった。
問題なら言うまでもなくあるが……。
言っても聞かないだろうな。
レイクロード辺境伯は自ら立合人を申し出て、互いの武器に問題ないか確認した張本人だ。
武器の異常など、手に持った時点でわかったはず。それを見逃したのならば、ミスであるはずがない。わざとだ。
ただ恐らく彼は、あちらの味方というわけでもない。
「まあ、問題ありませんよ」
「だろうね。君ほどの達人とあらば、武器も選ばぬだろうしな」
……このタヌキ。キラッキラッした目しやがって……。
この程度のハンデは問題ないだろう? という副音声が今にも聞こえてきそうだ。
若干イラッとしつつ、俺は曖昧に頷いた。達人だなんて呼ばれ方は遠慮したいが、それ以上にこのオッサンと話してると疲れそうだ。
「しかし、彼もカサンドラ流では天才ともいわれた男。ゆめゆめ油断なきよう」
「分かりました」
……天才、ねえ。
不意に、ちょこんと、服の裾を引かれた。イリアさんだ。
「先生……」
「問題ない」
申し訳なさそうな顔をするイリアさんの頭を軽く叩き、苦笑する。
当たり前だ。問題なんて何一つない。
「さて、では始める! 双方、前へ!」
辺境伯の合図と共に、前へ進み出る。
ニヤついた笑みを浮かべる男は、鞘から剣を引き抜いた。
……やはり、刃引きなどされていない本物。しかもかなりの名剣だ。
「降参なら、早いうちにお願いするよ」
ため息が、こぼれ出た。
本当に。本当にこの男は――
「――剣が泣いてるよ」
卑怯だ何だと言うつもりはない。
事前に準備をして勝つ。そのこと自体を否定するつもりはないし、それも立派な戦術だろう。
だがこの剣、普通に出来るものではない。
わざとこういう風に作らせたのだ。
金を積んだのだろうが、まったくもってくだらない。
剣は消耗品だ。どれほど丹精こめて使おうと、打ち合えば打ち合うほどに欠け、毀れ、やがては死んでいく。
では、俺が手にしている剣は、一体何だ。
それは生まれながらにして死んでいる。生きることすら許されない存在。
(泣いている)
生まれたかったと。生きたかったと。たとえそれが刹那であっても。
「――始めッ!!」
「うおおおおおおぉっ!!」
開始の合図直後。
雄叫びと共に、ブラムフェルトが突っ込んでくる。
「死ねェッ!!」
上段唐竹の一閃。縦一文字に振り下ろされた剣は、なるほど、悪い腕ではなかった。技術だけで見れば。
だが、その一閃は、俺を切り裂く直前でピタリと止まった。
「なっ……!?」
中身などまるでない、虚飾の剣。
それが、名剣の一閃を、その切っ先ひとつで受け止めていた。
「馬鹿な――!?」
押してもぴくりとも動かない。刃を滑らせようとしても無駄。
まるで、目の前に壁があるかのように、どうやっても進まない。
俺たちを囲み、見守っていた武闘派の貴族たちがざわつく。それがどれほど超絶した技巧か――剣を持つ者であれば、分からぬはずはなかった。
剣が不良品であることを知っている辺境伯など、驚愕に両目を見開いている。
「くっ、おおおおお!」
押し切ることを諦めたらしい男は、今度は縦横無尽にと斬撃を繰り返す。だが斬っても凪いでも突いても、そのいずれも、ユキトに到達する前にはじき返されていた。しかも、一歩も動かずに片手だけで。
(馬鹿な! この男の剣は、到底打ち合えるような代物ではないはず!)
ブラムフェルトは、もはや混乱の極みにあった。
(まさか辺境伯がすり替えたのか。いや、そんな様子はなかった……辺境伯も、この平民に恥をかかせるつもりだったはず……!)
その混乱を。ユキトは、無表情で見つめていた。
「その剣」
一瞬。距離が離れたと同時に発した言葉に、男がびくりと肩を震わせた。
「自分のものじゃないんでしょう。大方、家のものを持ち出したとか?」
「な、なにを……」
図星か。
どおりで、とユキトは息を吐く。
「言ったはずですよ。剣が泣いていると」
剣士にとって、剣とは己の半身。己の魂。
やがていつか朽ちるとしても。いや、朽ちるからこそ。
剣を愛せない者に、剣士たりうる資格はない。
ブラムフェルトは顔を引き攣らせ、「ひっ」と小さな悲鳴を漏らす。それは自分自身でも制御できない本能的なものだった。
ごくりと、誰かの唾を呑む音が聞こえる。
殺気だ。一瞬、ほんのわずかに漏れ出たそれが、否応もなく場に静寂をもたらした。
「来い」
「っ――おおおおお!!」
恐怖か、それとも緊張か、ブラムフェルトは声を張り上げながら、剣を振りかぶって突っ込んだ。
誰もが思った。どちらが勝つにせよ、これが最後だと。
だからこそ瞬きもせずに見守っていた、はずだった。
不意に、風が吹いた。
衆人環視、その遠目であっても、何が起こったのか分からない。
ただ――結果だけが、あまりにも明瞭だった。
いつの間にか、ユキトの姿はブラムフェルトの背にあった。
ざくりと、何かが芝生に突き立つ。
それはブラムフェルトが持っていたはずの剣の半身。
「あ……?」
呆然と、彼は掌中を見下ろす。
そこには半ばほどで断たれた剣があった。
父に頼み込み、どうにか持ち出した家宝の名剣、その変わり果てた姿が。
「それまで!」
辺境伯の声が空間を切り裂いて、おおっ、と観衆が沸き上がる。
その歓声の中で――パキリ、とユキトの持つ剣がひび割れ、こぼれ落ちた。
「……おつかれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます