#05 ~ 波音の向こうに

『――んぎゃー! また負けたぁ~~!』


『まったく。あんたは顔に出すぎなのよ』


『そういうミリーも三回連続で三位』


『――ムキィーッ! アンタたちっ、顔に出なさすぎなのよ! アルネラなんか勝ってても負けてても挙動不審じゃない!』


『きょ、きょどうふしん……』


(……カードゲームでもしてるのか?)


 部屋から漏れ聞こえてきた、姦しいとも思える女性たちの声に、ユキトは苦笑する。

 他の客に迷惑になるようなら注意するべきなのだろうが、幸いにも彼女たちの客室は廊下の端。その隣は自分たちの客室だ。

 先ほどまで客室にいて気にならなかったのだから、五月蠅く言うことじゃないか。


 ちなみに男子生徒たちの客室は――というと、どうやら気配がない。どこかに出かけているらしい。


 四日に及ぶ列車の旅。きっと思い思いに楽しんでいるのだろう。


(旅、か)


 ふと窓の外、流れてゆく景色に視線を移す。

 山を下りてから半年と少し。イリアさんや伯爵と知り合うことがなければ、もしかしたら旅に出ることもあったのかもしれない。

 この世界は俺の思い描いていた世界とは違っていて、きっと、考えていたような旅にならなかっただろうが。


 世界は、きっと広いのだろう。俺が思うよりもはるかに。


 ……いつか旅に出るのも、悪くないかもなぁ。


(まあ今は、目の前のことをひとつずつだな)


 廊下を進み、食堂車に居た男子生徒たちとも軽く話して、俺がたどりついたのはその最後尾。貨物車両だ。


 何をしに来たかといえば――クロだ。

 実はこの貨物車両には、事前にお願いしてクロを運んでもらっているのだ。

 その様子を見に来たのだが……


「ん?」


 薄暗い貨物車両の一角。クロのゲージがある場所で、足を止める。

 そこには、誰か……一人の少女が座り込んでいた。


 その少女が、はっと顔を上げる。


 ――思わず、息を呑んだ。

 とんでもない美人だ。黒い髪、白い肌、深窓の令嬢と言われても納得してしまうほどに、儚く見える。

 まさかイリアさん並の美人が二人といるとは。異世界おそるべし。


 しかし、なぜだろうか。

 その面影に……どこか、見覚えがある気がしたのは。


「ワウッ」


 ゲージの中で、クロが吠える。その尻尾がブンブンと振られているのを見て、少女が「あっ」と声を上げた。


「もしかして、飼い主の方ですか?」


「あぁ、ええ……まあ」


「すみません! その、変なことをしてたわけじゃ――」


「わかってますよ」


 苦笑する。彼女の両手に握られていた干し肉を見て。

 あう、と顔を赤くして、彼女はその両手を下ろした。

 そもそも、クロが彼女に対して警戒していない時点で、同じことだけど。


「あの、わたし、スミアと言います」


「どうも。ユキトといいます。そいつはクロです」


 俺の言葉に、クロが小さく吠える。

 すると彼女は、口元に手を当て、くすりと笑った。


「クロちゃんですか。随分と賢い子なんですね」


「そうですね。こいつは多分、俺たちの言うことも分かってますよ。な、クロ」


「ワウッ」


 クロは賢い。下手をすれば、人間よりも賢いのではないかと思うこともある。

 それはたぶん、クロが魔物――ブラックウルフの子供であることと無関係ではない。


「その、撫でてみてもいいですか?」


「ええ。クロが許可すれば」


 座り込み、クロに「撫でてもいいですか?」と彼女が問いかけると、クロは無言で伏せた。

 おずおずと伸ばされた指先が、そっとクロの毛皮に触れる。


「あたたかい……です」


「ええ。生きてますから」


「……はい」


 撫でる少女と、撫でられるクロと、それを見守る俺。

 列車の走る音だけが響く貨物室で流れる沈黙は、どこか穏やかだった。


「ところで、スミアさんはどうしてここに?」


「あっ」


 何かに気づいたように、足元に置いたバッグを手に彼女が立ち上がる。


「すみませんっ、特別貨物室に用事があって」


 そう言って彼女は慌てて頭を下げ、駆け出す。

 特別貨物室というのは、この貨物車両の後方にある、鍵と警備員付きの金庫のようなものだ。預けるには金がかかるが、防犯の面では確実に上といえる。


「あ、そんなに慌てると――」


「あうっ」


 何につまずいたのか、盛大に埃を舞いあげながら少女は床に転がった。

 思わず苦笑して、手を差し出す。ああうん、スカートの中は見てないですハイ。


「あっ……ありがとうございます……」


 顔を真っ赤に染めながら、彼女は俺の手を取った。

 その、瞬間。


(っ!?)


 不意に、心臓に杭が刺されたような感覚。

 既視感のような――何か。

 今ではなく、はるか遠いどこかで。俺は、これを知っているような気がした。


「……ユキトさん?」


「あ、すみません」


 現実に引き戻されて、俺は掴んだままの彼女の手を離す。

 一瞬で、あの感覚は霧のように消えてしまった。


「あの……ユキトさん。よければ、またクロちゃんを撫でに来ても、いいですか?」


「え……ああ、それは――」


「ワウッ」


 クロの声に一瞬目を向け、そして俺は苦笑した。


「構わないそうですよ」


「わっ、ありがとうございます!」


 彼女は何度も何度も頭を下げ、そして特別貨物室への扉をくぐっていった。


 自分の掌に視線を落とす。

 何だったのだろう。今の感覚は。

 夢のように靄がかかって、どんな感覚だったのかすらも思い出せない。

 ただ――波の音が。耳の奥で、聞こえたような気がした。



 列車旅行の四日間。

 俺とスミアさんは、クロの元でたびたび顔を合わせることになった。


 聞き上手と言うのだろうか。気がつけば、俺は彼女と色んな話をした。

 山で育てられ、クロと出会った話。

 古都で出会った様々な人々。

 中には話せないこともあったが、彼女はそのどれも、楽しそうに聞いていた。


「私には、兄がいるんです」


 スミアさんは、クロに干し肉をあげながら、そう切り出した。


「もともと、兄と一緒に帝都で暮らしてたんですが……私は体が弱くて。田舎のほうが体には良いだろうって、兄に言われて引っ越したんです」


 だがそのお兄さんは、仕事のために帝都に残ったという。


「じゃあそのお兄さんに会いに?」


「はい」


 何でも、兄から帝都行きのチケットが送られてきたそうだ。

 手紙の一通も添えられてなかったと、彼女は口をとがらせながら、「不器用な人なんです」と微笑した。


 だが、その笑みにわずかに影が落ちる。


「兄は、私を守るために色んな無茶をして……なのに私には、何でもないって顔で笑うんです。私は兄に、何もできなくて……」


 俺に兄弟はいない。転生前もだ。

 父と母が死んでから天涯孤独。孤児院のみんなは家族のように接してくれたが、塞ぎ込んでいた俺には、それが分からなかった。


「ごめんなさい。こんな愚痴を」


「いや」


「ワウッ」


 空気を察してか、クロが小さく吠える。

 スミアさんは小さく微笑んで、「ありがとう、クロちゃん」とその背を撫でた。


「……俺には、兄弟はいないから分からないけど……お兄さんはきっと、君に幸せになって欲しいから頑張ってるんじゃないか。だから返すっていうなら、君なりの気持ちを、君なりのやり方で伝えればいいと思う」


 俺の言葉に、彼女はぱちくりと目を瞬かせて。

 ありがとうございます、と笑った。

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