#18 ~ ユーグ

 大通りがざわついている。

 何かと思い店の外に飛び出してみれば、人がざわめきながら見つめる先、高そうな服を着た男性の前に、尻餅をついた子供がいた。


 よく見れば、男の高そうな服にはシミがついていて、路地にはカップジュースがこぼれている。

 なるほど、あのジュースをぶつけてしまったらしい。


「あの男……貴族ですね」


 ショッピングモールから俺を追いかけてきた三人。

 イリアさんは、その光景にぽつりとこぼすように言った。


 あわてて飛び込んできた女性、多分子供の母親だ。というのも、母子ともに肌が褐色だ。ユーグというのは褐色肌の人種のことを指しているのかもしれない。

 聞いたことのない言葉なのに、なぜか嫌な響きを感じた。


「も、申し訳ありません!」


「謝ればいいというものではない」


 男は不愉快そうに親子を睨みつけ、腰の剣に手を添えた。

 まさかあの男、街のど真ん中で剣を抜くつもりか?


「先生、ここは私が」


「いや」


 一歩進み出ようとしたイリアさんを片手で制する。


 貴族同士の、それも斬り合いになんて発展すれば、学院で問題にされるかもしれないし、オーランド家に迷惑がかかる可能性もある。

 この世界に詳しくない俺でも、それぐらいは分かる。


「ただでさえ視界に入れるだけでも不快な移民の豚が。通りを歩くだけでも不快だというのに、我が服を穢そうとは――万死に値する」


 男は剣を抜き放つべく、肩に力を入れ――


「まあ、その辺にしちゃどうかな」


 ようとした瞬間には、もう動いていた。

 後ろでイリアさんが焦ったような声を出していたが、関係ない。

 ――こんなものを見過ごせるほど、俺はクソでもない。どんな事情があろうとだ。


「ちょっくら服が汚れただけじゃないか。クリーニング代ぐらいは払うさ。なあ?」


 子供の母親に目線を向けると、こくこくと彼女は何度もうなずく。


「貴様……邪魔を――」


「抜くなよ」


 ぴん、と。

 一瞬にして、大通りが緊張に包まれた。


「丸腰の相手に剣を抜くな。それは同じ剣士として見過ごせない」


 静寂が支配した大通りに、ただ淡々と、声が響く。

 ああ、俺は今どんな声を出しているだろう。どんな声をしているだろう。


 ただ答えはひとつだ。

 刃を人に向けるならば――向けられる覚悟をしろ。


「っ――」


 顔を真っ青にした貴族らしき男が、震える手で剣を握ろうと、何度も指をこすりあわせて……そして、俺の腰へと目をやった。

 正確には、俺の腰にぶら下がっている懐中時計に。

 あ、やべ。


「――待ちなさい」


 俺の背後から響く声。イリアさんか。


「貴族とあろうものが、平民に剣を向けようとするなど、許されることではありません。……今ならば何もなかったと見過ごすこともできますが、これ以上は報告しなければならなくなりますよ」


 誰に、と言わないあたりが実に賢い。

 こりゃ心配なんて不要だったなあ。最初から任せておけばよかった。


「ちっ」


 男は舌打ちし、俺をギッとにらみつけて、そして背を向ける。


「待てって。クリーニング代――」


「必要ない!」


 財布を取り出そうとした俺を無視し、男は足早に去っていった。

 よかったよかった。

 伯爵さまの威光が効いたかな?


「……ありがとうございます、先生」


「いや、それはこっちのセリフだよ」


 余計なことをしてしまった感がハンパではない。


「いえ。先生が出て下さらなければ、穏便には解決できなかったかもしれません。……決闘などという話になれば、父に迷惑がかかるところでした」


「え? 決闘なんてあるの?」


「ええ、まあ……」


 中世なのか現代なのかよくわからん世界だなぁホントに。

 絡まれていた親子を見ると、シェリーさんが二人を助け起こしていた。


「……彼らに対するユーグという呼び名は、差別的な呼び名として扱われています」


 何度も何度も礼を言う二人を見送りながら、ぽつりとこぼしたイリアさんの言葉に、俺は彼女の方を振り向いた。


「帝国は身分制の国です。今のも、私たちが止めに入らず、彼女たちが殺されたとしても――きっと大きな罪に問われることはなかったでしょう」


「……そうなのか」


「彼女たちは移民と言われていますが、そうしたのは帝国です。彼女たちの故郷であるユグライルという国は、帝国によって実質的に滅ぼされ、今では植民地となっている。――今から二十年ほど前のことです」


 本当なら、彼女たちは帝国の民として受け入れられるべきはずの存在なのだろう。


「今代の皇帝陛下は差別をなくそうと動かれ、帝国議院セントラルではその権利を保護する法案が成立しようとしています。ですが反発も強く……」


「差別とは、なくそうとしても簡単になくなるものでもないから」


 不意に横から聞こえた声は、シェリーさんのものだった。

 彼女は去っていく親子に、茫洋とした目を向けていた。そこを見ているようで見ていない、そんな目を。


 ここで前世の記憶を持ち出して、国を非難するのは簡単だ。

 だけどそんな簡単な話じゃない。

 目の前の一人を救えても、彼ら全員をどうにかするのは俺には無理だ。


 ――彼らが、ユーグと呼ばれなくなる日は来るのだろうか。


 あるいは。

 戦火の中でしか、彼らが解放される日は来ないのかもしれない。

 かつて地球の辿った歴史がそうであったように。


「いやあ、でもさっきの先生凄かったねぇ」


 ニコニコと笑いかけてくるシェリーさんの隣で、ややひきつった顔のレーヴ君が、警戒もあらわに口を開いた。


「……あんたは一体何なんだ?」


 レーヴ君の言葉に、俺はどう答えたものか迷う。

 何なんだと聞かれて答えられるやつはいないと思う。


「イリアに近づいて、何を考えている? あんたは――」


「レーヴ君」


 氷のように冷たい声が、彼の言葉を遮った。

 そちらを見れば、イリアさんの冷たい目に出くわした。


「先生に失礼な態度を取るのはやめなさい。今は違うだろうけれど、これから学院で教えを乞う立場なのだから」


「そーだよ、レーヴ君。そんなんじゃイリアちゃん嫌われちゃうよ~?」


「っ……だが危険だ! 今のを見ただろう!?」


 レーヴ君は唇を噛み、俺を睨む。

 お前を認めない、と目で言われているようだった。


「貴方は――」


「まあまあ。私は、先生が頼もしそうで良かったと思ったけどな」


 ニコニコとシェリーさんが割って入り、俺に向けてパチリとウィンクをした。

 彼女はレーヴ君に預けていた荷物を受け取り、「それじゃ、私たちは帰ろっか」と笑った。


「先生、それじゃあまた。学院でお会いできるのを楽しみにしてますね!」


 にこやかに笑うシェリーさん。そしてそっぽを向いて目を合わせようとしないレーヴ君。

 その去り際。さりげなく、彼女は俺の耳元に口を寄せた。


「――良ければ今度、我が家のお茶会にご招待させてくださいな」


 その声にぞっとするような色気を感じ、思わず一歩退く。


 美しいカーテシーを見せて去っていく後ろ姿。

 何も言葉を返すことはできず、ただそれを見送って、イリアさんに向かって口を開いた。


「……もしかして、二人とも貴族の子弟か何か?」


「ええ。会長は伯爵家の長女ですし、レーヴ君も男爵家の嫡男です。特にレーヴ君は私にとっては幼馴染のようなものですが……すみません、先生。失礼な態度を」


「ああ、いや、それは大丈夫」


 レーヴ君はともかく、シェリーさんのほうは……

 あれが社交術というやつなのだろうか?

 貴族コワイ、などと俺は漏らすことしか出来なかった。

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