◆16 ~ 胡蝶の騎士(イリア・オーランド)

 この人は何者なのか。

 最初に私が抱いたのは、畏れだった。


 レッドベアーと剣を切り結ぶこと数合、ホワイトウルフたちの気配が明らかに私を狙ったものに変化した。

 忍び寄る死の足音に、「いよいよか」と私が覚悟を固めようとしたその瞬間。


 何が起こったのか分からなかった。

 だが、レッドベアーの首が、唐突に宙を舞った。


 そして何の音もなく、人の気配が私の横に姿を現す。


「その、大丈夫ですか?」


 何を言われたのかも分からなかった。


 男だ。

 歳は私と同じくらいだろうか。黒髪黒目の、帝国では珍しい色をした青年。

 手に持っているのは、東方の得物として知られるカタナという武器だ。

 そんな細い剣で、レッドベアーの首を飛ばした? あの一瞬で?


「は、あ、え、はい」


 私は混乱のあまり、返事とも言えないような返事を返すことしか出来なかった。

 彼はこちらを一瞥し、「えーと、狼のほうも片づけますね」など呑気に告げ、無造作にホワイトウルフのほうに歩いていく。


 だが、その後の行動は呑気になんて見ていられないものだった。


 今度こそ、まるで意味がわからなかった。

 そんなに迅い動きには見えなかったのに。

 気が付いたら、ホワイトウルフの前に青年が立っていて。

 振り下ろした一閃で、ホワイトウルフの首を跳ね飛ばした。


 ――綺麗だ。

 あまりに美しい太刀筋。それだけで完成された絵画のように。ただ自然に、あるがまま、当然のように、ホワイトウルフの首が飛ぶ。


 ……あれはなんだ?

 同じ人間? ハンターではないだろう。あんなハンターが居たら噂ぐらいは聞くはず。


 ものの数秒でホワイトウルフを全滅させた青年は、私のほうに視線をやると、こちらへと歩いてきた。


 ぞっとした。

 あの刃が、私に向けられたら?

 何の抵抗もできず、私の首は落とされるだろう。


 はっとして、一瞬自分の首を撫でる。


 ――ここは■■■じゃないのに。


「……ハンターの方ですか?」


 だからこそ、警戒をあらわに聞いてしまった私は、言ってしまってから少し後悔した。


 バカか私はと。

 せっかく助けてくれた相手に、あまりに失礼だ。

 だけど「ハンター?」と首を傾げて聞いてくる彼が、やはり恐ろしいものに思えて――。


 なのに。私の警戒に、焦ったようにあたふたして答える彼に、思わず苦笑してしまった。


 どこからどう見ても彼は普通の、それも純朴なヒトのように思えて。

 警戒して、死すら覚悟して、何をやっているんだと自分を笑ってしまったのだ。


 ――今思えば、とんでもなく失礼ね、私は。



「入りなさい」


「はい、お父様」


 父の執務室の部屋の扉を開け、中に入ると、いつもの見慣れた光景があった。

 椅子に座る父、窓の向こうに見える庭の光景。

 不意に「ああ、帰ってきたんだ」という想いが安堵と共に広がった。


「先ほど連絡があった。グレイグが今、君を助けた青年を連れてこちらに向かっているそうだ」


「そうですか」


 私を助けてくれた人。ユキト、と名乗ったあの人。

 あまりにも強かった。一瞬、見惚れてしまったほどに。


「……お前の決意は変わらないのだな」


「はい。私は騎士を目指します」


 騎士、という仕事は存在しない。それはあまりに古い言葉だ。

 騎士とは、つまり信念だ。

 自ら剣を執り、民を背に、ひとつでも涙を晴らすための。


 死すらも覚悟したあの瞬間を経てもなお、私の決意は変わらない。

 私がそうあるべきと想う姿。たとえそれで死ぬ時が来ても、私は私らしくありたい。

 だから私は、強くならねばならない。誰よりも強く。


 父は深く、深くため息を吐いて、頷いた。


「私としては、やはり反対だ。アリアもそうだろう。だがお前の決意を強引に曲げてまで、従わせるべきではないとも思う」


「……ごめんなさい、お父様」


「謝るぐらいならば、親の気持ちも汲んでもらいたいものだが――」


 まったく仕方がない、とばかりに父は頭を振った。

 親不孝者だと思う。もっと安全な道なんていくらでもあるのに、自ら危険な道を歩こうとしている私は。


「せめて親としてお前にしてやれることは、このぐらいのものなのだろうな」


「では、父様」


「ああ、お前の言うとおりにしよう。……励むといい。私はアリアの泣く姿は、もう見たくない」


 ありがとう、父様。

 ごめんなさい、母様。

 それでも私は、この道を行くと決めたから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る