すみません、いたって普通の女です

由友ひろ

第1章

第1話 神崎沙綾という女

「おばちゃん、本当に行かなきゃだめ? 」

「お願い! 急に病欠が出たの。人数合わせだから。ね、ただで美味しいご飯食べられると思って」


 貸衣装のピンクフリフリのドレスを着せられ、いつもは一つ結びにしている黒髪にコテをあてられ、顔が痒くなるくらい化粧をさせられた沙綾さあやが、情けない表情で鏡に映っていた。


 神崎沙綾かんざきさあや23歳、短大を卒業してすぐに親戚(父の兄)が経営する大手企業にコネ入社して2年目。一般事務とは名ばかりの雑用係が沙綾の会社での立ち位置だ。勉強は得意ではないし、極度の人見知りで対人スキルはマイナス、手先も器用ではない。見た目も悪くはないけれど特別良くもなく、いわゆるごくごく普通。少しばかり身長が低く、細いというか薄い身体つきは、風景と同化しやすくとにかく存在感が薄い。

 唯一の長所は根気強く丁寧であることだが、丁寧過ぎてトロくも見られるのが難点だ。

 中高短大の同級生に「神崎沙綾ってどんな子? 」と聞けば、多分七割は「誰それ? 」と返ってくるだろうし残りの三割は「眼鏡かけてる地味で目立たない子」と返ってくるだろう。


 そんな風景と同化する特技(?)を持つ沙綾の唯一普通じゃないところは、親戚が華々しいこと。叔父叔母は会社経営者(しかも大手企業)や法曹界の重鎮、警察官僚、大学教授などなど、経歴が半端ない人間揃い。従兄弟従姉妹達も学歴、職歴は神々しく、弁護士やりながらモデルしてますとか、海外で企業しましたとか、沙綾には理解不可能な研究でナンチャラ賞とりましたとか……。

 平凡なのは沙綾とその家族だけだ。父親は中小企業のサラリーマンで、母親は専業主婦、弟は無名都立校の高校生。いたって普通、どこにでもある家庭の長女、それが神崎沙綾だ。


「ほら、その野暮ったい眼鏡外して」


 昔でいう結婚相談所Wネット(全国ネット展開により、登録数爆上がり中)経営をしている伯母の神崎美和子かんざきみわこ(50歳、バツイチ)が、沙綾の眼鏡を取り上げた。沙綾は美和子のことを昔から「おばちゃん」と呼んでいるが、「おばちゃん」の呼称がこれほど似合わない女性もいないだろう。沙綾と血縁関係があるのが信じられないくらいの美女である。


「おばちゃん、見えないから。ちょっと、返し……てってば」


 沙綾は眼鏡を外すと薄らボンヤリとしか見えない。眼鏡外してみたら実は美女である……というお約束のようなこともなく、目を細めて見ようとするせいかより細目になり、地味加減がちょい増しになる。パーティー仕様のヘアメイクでそこそこ盛っている為、相殺されてごくごく普通の地味子が、どう見ても30代前半にしか見えない色気ムンムンの美魔女(女性にしては高身長プラス15センチヒール)にピョンピョンと飛びかかるが、高く上げられた手に握られた眼鏡には到底届かなかった。


「おばちゃ……」

「あんたね、会場では美和子さんって呼びなさいよ。あと、眼鏡は禁止。見えない方があんたも緊張しないでしょ」

「が〜え〜じ〜で〜」


 沙綾は、バスケのジャンプボールのようにジャンプして眼鏡をはたき落とした。眼鏡は重力に引かれて床に落ち、同じようにジャンプした沙綾も重力に引かれて着地する。


 メリッ……。


「ヒェ〜ッ! 」

「あらら……。オホホホ、バイト代に上乗せしてあげるから、ね」


 沙綾はヘナヘナと座り込み、フレームが歪み、右側の丁番からバッキリ折れた眼鏡の両脇に手をついた。家に帰れば予備の眼鏡はあるものの、今どうするか?! というのが問題だ。何せ、裸眼では人の顔さえボンヤリして判別不可能なくらい沙綾の視力は悪いのだから。


「アァ……眼鏡がぁ。はぁ、おばちゃん、うちの会社はバイト禁止だからね」

「あら、そんなの関係ないわ。どうせただしの会社じゃない。どうとでもなるわよ」


 神崎正、沙綾の父親の兄で美和子の弟、沙綾の勤める会社の社長でもある。マスコミにも取り上げられるイケオジだが、かなりの敏腕冷血鬼社長で有名だ。沙綾には甘々な伯父ではあるのだが。 

 沙綾の父親は5人兄弟の年の離れた末っ子として生まれたせいか、兄姉達と同じ血筋とは思えないくらい一般ピーポーなくせに、麗しい見た目かつ優秀な兄姉から溺愛され、その子供である沙綾もまた彼らの溺愛対象になっていた。

 ちなちに沙綾の母親は4人兄妹(3人男)の末っ子として生まれ、やはり兄三人に溺愛され、沙綾も以下同文……。


 今回、病欠の人員補充という名目で沙綾を今回のパーティーに引っ張り出した美和子だったが、本当は友達も少なく男性に極度の苦手意識を持つ沙綾の為に、少しでもイイ男を見ることにより苦手意識が克服できたらと目論んでいた。その為に職権乱用しまくり、あらゆるツテを使って、最上級の男性を揃えたのであった。そのおかげで、将来有望かつ顔面偏差値高めな男性が集まり、女性も、それに釣り合うセレブリティが集まった。対外的には異業種交流会として参加しやすい体を装っているが、Wネット(美和子が経営する結婚相談所)主催ということで、お見合いパーティーであることは言わずもがなであろう。

 恋人ができるなんて期待してない。せめてマトモな男性と知り合うことで、過去のトラウマを完璧に克服できたら……。可愛い姪の為なら、谷底に子供を突き落とす獅子の気持ちで沙綾にはっぱをかける。


「いい! 壁にへばりついていないで、ちゃんと男子とお話するのよ。今回は立食パーティー形式だから、自分からいかないと駄目だからね。はい、このプレート胸につけて。ほら、目を細めない。背筋伸ばす。少しは笑いなさい」


 沙綾は鏡に映る自分の姿を目を細めて見る。眼鏡が壊れたからボンヤリとしか見えないが、この格好が自分に似合っていないのはわかる。せめてピンクじゃなければ……。いや、レースのヒラヒラもいらないけど。


 今更嫌だとも言えずに、美和子に背中を押されて控室を出て、会場となるホールへ足を向けた。


 ホテルの3階にある多目的ホール。今日は50人ほどの集まりらしく、受付で名前をチェックされて赤い薔薇のついた名札を渡された。見えないから、かなり名札を顔に近づけて間違ってないか確認してから、指示された場所に名札をつける。ホールに入ると、すでにほとんどの参加者が集まっているのか、ザワザワと談笑している様子が見てとれる。実際には見えないけれど、なんとなくそんな雰囲気を感じた。

 沙綾は壁際に置いてあった飲み物の入ったソフトドリンクの入ったグラスを手に取り、人の邪魔にならないようにと窓際に移動する。


 美和子が壇上に上がり簡単な挨拶をし、歓談が始まった。男女一対一で話す人達ばかりではなく、多人数で集まって話し、男性同士でも名刺交換したりしているグループもあった。美和子が今回はお見合いよりも異業種懇親会みたいなものだからと言っていたが、確かにお見合いパーティー特有のガツガツ感がない。


 壁の花になりつつある沙綾は、空になったグラスを持て余し、正面にあるバイキングスペースに目をやった。みな喋るのに夢中で、食べ物の乗ったテーブルの周りは閑散としている。せっかくだからお腹いっぱい食べて帰ろうと、沙綾は会場を突っ切ってバイキングスペースへ足を向けた。


 多分、いや確実にそれがまずかった。

 沙綾の視力は凄まじく悪い。裸眼だと一メートル離れた人の顔もボンヤリしてしまうくらいだ。つまり、足元なんか段差があるかないかすらわからないいし、段差がなくてもちょっとした凹みに足を取られるオッチョコチョイだったりする。


「ウワッ! 」


 一見何もないところで躓いた沙綾は、転びそうになって手を宙で彷徨わせた。藁にもすがるではないが、つい手に触れた物にしがみつき、なんとか床に激突することを回避する。


「ッ! 」

「キャッ! 」


 沙綾が恐る恐るつかんだ物に目をやると、仕立ての良さそうなスーツを握りしめてしまっていた。がっつりつかんだせいで皺がより、ベリッて音が聞こえたような聞こえなかったような……。しかも、足元に広がるワインの染み。沙綾の飲み物はジンジャーエールでほぼ空だったから、きっとスーツの主が持っていたワインが、沙綾がしがみついた際に溢れてしまったんだろう。


 一人で転んだほうが被害は少なかっただろう。せいぜい沙綾の膝が擦りむけるくらいだったろうに、スーツの主は確実に、下手したら連れの女性にまで被害が広がってしまったかもしれない。

 沙綾は慌てて手を離してガックリと膝を付き、あまりの出来事に顔を上げることができなかった。



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