第37話 かくれんぼ②
そこまで考えた時、僕は足の指先から不快な何かが這いあがって来るような気がした。
僕が奇跡という都合のいい言葉で、簡単に済ませてしまおうとした出来事は、いったいどれほどの確立で起こりえるのだろう。
そもそも子供の頃に神様に友達を奪われた経験がある人なんて、普通は探しても見つからないはずだ。
そんなお助けキャラのような人物が昨日たまたま神社にいて、突然やってきた初対面の僕たちの話しを疑うことなく信じてくれるだなんて、考えれば考えるほどに、まるで誰かが書いたご都合主義のストーリーのように思えてくる。
そんなふうに考えてしまうと、おかしなところはいくらでもある気がした。
神社の近所に住んでいると言っていたおじさん。
確認したわけじゃないけれど、あんな山奥に家があるのだろうか。
神社なんて敵の本拠地のような場所に行ったというのに、どうしてあの時は三人とも視線を感じなかったのだろう。
まるでネットに転がっている、怖い話の中に出てくる定番アイテムのように登場した御札。
二日間家にいるだけという儀式の内容もどことなくいい加減だ。
普通ならその間にしてはいけない事とか、気を付けなければならない条件でもありそうなものじゃないか。
御札一枚につき二人までしか隠れられないという大切な条件でさえも、冷静になって考えると家を結界のようにするのだから、何人いてもいいような気がしてくる。
まるで無理やり二手に別れさせるために付け足したみたいだ。
「いや、そんなはず……」
自分がしてしまった想像が恐ろしくて、気が付けば背中がじっとりと汗で滲んでいた。
「どうした?」
僕の呟きが聞こえたのか、一真が身体を起こしたのが暗闇の中で見えた。
せっかく一真が安心して寝ていたというのに、起こしてしまったのが申し訳ない。
胸中の不安を聞いてもらいたくもなったけれど、明日になれば解放されると喜んでいる一真を不安にさせるようなことはしたくなかった。
僕は口から出かかっていた不安の種を無理やり飲み込むことにした。
「起こしちゃってごめんね。ちょっと寝れなくて」
「気にすんなよ。オレもちょっと興奮してて寝れなかったからさ」
一真はそのまま布団から出て床に座った。どうやら気を遣って話し相手になってくれようとしているらしい。
「あっという間だったな」
「うん。明日になれば、このかくれんぼ生活ともお別れだね」
「快適だったからちょっとだけ名残惜しいぜ」
「だねぇ。久しぶりに落ち着いて過ごせたもんね」
「ホントそれな。ここに来るまで生きた心地しなかったし」
「安心したよね。まぁ明日になれば籠ってる必要もなくなるんだけどね」
「だな……なぁ優人、悪かったな」
急な一真の雰囲気の変化に戸惑う。
いきなりされた謝罪には何も思い当たる事がない。
「どうしたの一真?」
「いや、お前に謝んなきゃいけないと思ったんだ」
「ここまで肩貸した事とか? 別に謝ることじゃないよ」
「違うんだ。この騒動で、優人にはいっぱい助けてもらったよな。そのお礼とは別にオレには謝らなきゃならない事がある」
一真の声は真剣そのものだった。
暗くてまだその表情は見えないけれど、きっと険しい顔つきになっているのだろうことが伝わって来る。
雰囲気に押されて僕も自然と姿勢を正した。
若干の緊張を感じつつ待っていると、一真が意を決したかのように口を開いた。
「実はな――」
その後、一真が言葉を続ける事はなかった。
――ピンポーン
一真の言葉をかき消すように、ある音が響いたからだ。
部屋中に響き渡るその音は、インターフォンが押されたことを意味している。
つまりはこの部屋に誰かが訪ねて来たということだ。
別にご近所付き合いなんてないし、騒音の苦情をいれられるほど騒いでもいない。
それに時間が時間だ。こんな深夜にいきなり訪ねて来る常識のない知り合いなんて心当たりはなかった。
僕は自然と息を止めていた。一真も固まったまま何も言わない。
そのまま無言の時間が過ぎる。
数秒後。
――ピンポーン
再びインターフォンが鳴った。
二度も鳴ればもう聞き間違いにはできない。
それは確かにこの部屋のインターフォンの音で、玄関のドアの向こう側に誰かがいるという事。
それが誰かが問題だった。
僕たちのいる部屋のドアを開けて、玄関の見える廊下まで行けば、インターフォンのテレビモニターが見える。けれどそれを確認しに行く勇気はない。
動けずにいると、同じような間隔を開けて再度インターフォンが鳴り響いた。
正直このまま静かに無視してやり過ごすのが一番いいと思った。
けれど一真の事を考えるととそうもいかなそうだった。
インターフォンが鳴るたび、暗闇の中でも一真の身体が震えているのが分かる。
そのうち暗闇に目が慣れて来ると一真の表情が薄っすらと見えたけれど、怯え切ったその顔は酷い有様だった。
すぐに限界が訪れたのだろう。一真はブツブツと何かを呟きながら身体を芋虫のように丸めてしまった。
――ピンポーン
――ピンポーン
その間にも一定の間隔でなり続けるインターフォン。
普通の人ならここまで反応がなければもう鳴らさないはずだ。
このまま待っていても止まることはないと思った僕は、意を決して静かに立ち上がった。
音をたてないように気を付けて、ゆっくりとドアに向かう。
一歩ドアに近づくごとに、重力が強くなっているような感覚がして身体が重く感じた。
ドアの手間まで来ると一層その感覚もひどくなり、だるさで吐き気までしてくる。
音を立てないよう細心の注意を払って静かに部屋のドアを開けると、廊下の向こうに玄関が見えた。途中ではインターフォンのモニターが光っている。
今の位置では見えないけれど、かといってはっきりと見たくもない。
けれどここまで来て確認しないわけにはいかなかった。
玄関のドアがしっかりと施錠されていることを確認してから、僕はゆっくりとモニターまで近づいた。
モニターには誰も映っていなかった。
映画とかなら、安堵した瞬間モニターいっぱいに人の顔が映ったりするのだろう。けれど実際にはそんなこともなく、しばらく眺めているうちにモニターは消えた。
インターフォンの音ももう鳴らない。
一瞬だけホッとしたような気持ちになり、すぐに気を引き締める。
誰もいないならそれはそれで問題だからだ。もしかしたらモニターに映らない範囲に誰かが隠れているかもしれない。
しっかり確認しないと安心できないと思った僕は、震える足をなんとか動かして玄関まで行き、覗き窓から外の様子をうかがうことにした。
勇気を出して確認するも、のぞき窓から見える範囲は限られている。
結局は誰の姿も確認できないまま、僕はドアから離れた。
部屋の中から必死の形相で見つめてくる一真に、出来るだけ小さい声でこの事を伝えようと口を開きかけた時、
――ドンドンドン!!
それはドアが激しく揺れるくらいの衝撃だった。
「うわぁぁああ!!」
一真が悲鳴を上げて身体を丸める。その悲鳴が向こう側にも聞こえたのだろうか、ドアを叩く勢いがより一層強くなった。
殴りつけられる度に揺れるドア。叩きつけるようなノックの音が響き続けて頭が痛くなりそうなほど五月蠅い。
誰も苦情を言いに来ないのが不思議な程の騒音が鳴り続ける。
玄関のドアが外れるんじゃないかと思うほど向こう側にいる何かは容赦なく叩き続けて来た。
そのうちに無理やり開けようとしているのかドアノブが激しく動き始める。僕は咄嗟にドアノブを押さえ、渾身の力で止めようとしたけれど、とても止められるような力じゃなかった。
どうしようもできなくて、背中でドアを抑えると床で丸くなっている一真が見えた。
怯え切って震え、小さくなっているその姿には普段の面影は全くない。
普段の自信に満ちた姿からは想像もできないほど弱弱しくて、そんな一真を見ていた僕は、自分の中に段々とある感情が芽生えてきていた事に気が付いた。
どうやら、僕は怒っているみたいだった。
一真をこんな姿にしている元凶に激しい怒りを感じていた。
「やめろぉお!!」
お腹の底から声を出したのはいつ以来だろう。
自分でも驚くような声量が出たと思ったら、気が付くとドアを叩く音が止んでいた。
辺りに静寂が戻って来る。
かすかに一真が何か呟いている声が聞こえるだけで、他には何も聞こえない。
この状況がドアの外にいた何かを追い返せたのか、それとも束の間の安息なのか、僕には判断できなかった。
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