第35話 一時の別れ②


 神奈の時も思っていたけれど、外に出ると何となく不安な感覚に襲われる。


 いつガマズミ様がやって来るか分からない緊張で、勝手に心がすり減って行くのだ。


 一真もそれは同じみたいで、元気を取り戻していた表情がまた緊張でこわばってきているように見えた。


 僕たちはどちらともなく早歩きになり、途中のコンビニで食糧を買い込んでから一真の家に向かった。


 七階建てのマンションの一室が一真の家だ。


 これまでにも数えきれないほど遊びに来ている場所。見慣れたエントランスに入りエレベーターを待つ。


 少しするとすぐにエレベーターが降りてきて、口を開けた。


 それは比喩じゃない。


 一瞬、本当に口が開いたように見えた。


 エレベーターが一真を飲み込んでしまうような、そんな悍ましい錯覚に陥る。


 僕は背筋に走る悪寒に震えながらも、先に乗り込もうとしていた一真の腕を咄嗟に掴んだ。


 あと一歩というところで乗り込もうとしていた一真は怪訝そうに振り返る。


「どうした?」

「……なんとなくだけど、エレベーターには乗らない方がいい気がした」


 返答はそれだけしか出来なかったけれど、一真も嫌の想像をしたのかもしれない。あっさりとエレベーターに乗るのを止めてくれた。


 僕たちは階段で五階まで上がり一真の部屋へ向かった。


 神奈の時と同じように、一真の家族も僕の家に泊まると言うと特に心配されることもなく了承してくれた。


 おやつでもと勧められたところを遠慮して、荷物をまとめた一真と足早に家を出る。


 下へも階段で降りるため廊下を歩いていると、正面でエレベーターが口を開けているのが見えた。


 その光景はまるでエレベーターが僕たちを追いかけて来たように見えた。


 思わず足が止まる。一真が唾を飲む音が聞こえた。


 考えすぎだ。丁度、誰か他の住人が乗って来た所だったのだろうと懸命に思い込む。それでもエレベーターには乗る気にはならなかった。


 階段を下りて一階へ戻る。


 エントランスに出た時、丁度マンションの住人がエレベーターのボタンを押したのが見えた。


 その後すぐ、



 僕は咄嗟に耳を塞いだ。


 エレベーターから黒板をひっかくような大きな音がして、直後に轟音が鳴り響いたからだ。


 突然の出来事に状況が理解できない。


 エレベーターのボタンを押した住人は悲鳴を上げて尻もちをついている。


 その視線の先には信じられない光景が広がっていた。


 もしエレベーターに乗っていたら、僕たちは生きてはいられなかっただろう。


 それはエレベーターの状況を見れば一目瞭然で、死がすぐそこまで迫っていた事を嫌でも実感してしまう。


「ぁ、ぁあ、そ、そんな……」


 一真は声を漏らしながらその場にへたり込んだ。


 少しでもエレベーターから離れようとしているけれど、腰が抜けたのか足を動かせていない。


 ガチガチと歯を打ち鳴らして、目を見開いたまま壊れたエレベーターを見つめている。


 少しだけ元気を取り戻していた所に訪れたこのアクシデントは、僕たちにとっては上げて落とされたようなものだった。


 僕も一真と同じだ。足が動かない。


 それだけ死を身近に感じたことが怖かった。





 あの後、何とか動けるようになった僕は、一真を無理やり引きずってマンションを出た。


 騒ぎを聞いて駆け付けた住民たちが管理会社や警察に連絡を入れ始めたからだ。


 もし足止めをくらえば、一真がもっと命の危機にさらされかねない。


 足元がふらついている一真に肩を貸して懸命に歩きながら、道中僕たちは気が狂ってしまいそうな緊張感を味わう事になった。


 エレベーターが落ちてくる現場を目撃してしまい、本当に何でも起こりえる事を意識してしまうと目に映る物全てが危険に見えてくる。


 すれ違う車。


 後ろから歩いてくる人。


 建物についている看板。


 工事で使われていた重機。


 ヒビが入ったブロック塀。


 しまいには落ちている石ころにまで、見えたものすべてにビクついてしまう。


 ゆっくり歩いているはずなのに、脈は長距離走をしている時のように激しく、息切れが止まらない。


 そんな状態でマンションまで辿りついた僕たちは、もちろんエレベーターを使わずに、五階にある僕の部屋まで階段を上った。


 部屋に入ってすぐ鍵をかけ、鞄から御札を取り出して壁に力いっぱい貼り付ける。


 壁に貼った大きな御札を見て、僕たちはやっと一息ついた。


 蒸し暑さと緊張のせいで服が肌に張り付くほど汗をかいていることに気付いたのは、お互いが呼吸を落ち着けた後だった。


 そうして一息ついた時、一真のスマホに家族からの連絡が沢山来ていることに気が付いた。


 エレベーターの騒ぎを聞きつけたのだろう。けれど、一真はとても話す気にはなれないようで、無事である事だけをメッセージで送っていた。


 やる事をやった僕たちは、そこで力尽きて床に倒れ込んだ。


 酷い精神的な負荷で身体にまで影響が出ている。


 けれど、これでやっと安全を確保できた。


「やった……やったぞ、優人! これでもうオレは安全なんだよな⁉」


 倒れ込んだまま興奮した様子で話しかけてくる一真に頷く。


 外はすでに夕暮れになっていたけれど、完全に暗くなる前に僕たちはなんとか安全を手に入れることができたのだった。

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