第16話 日常の終わり②


 お昼休み。神奈といつもの中庭に向かう。


 雨は相変わらず降っていたけれど、随分と弱まっていて屋根の下にあるベンチは濡れないことはこれまでの経験から知っていた。


 座って待っていると、すぐに恵里香がやってきてお弁当を広げ始める。僕もお弁当を開くと隣に座っていた神奈が立ち上がった。


「そうだった……ちょっと用があるの忘れてた。行ってくるから先食べてて」


じゃっ、と手を上げてこちらが何か言う前に走り去っていく神奈。


 あまりに勢いよく走って行くものだから短いスカートが揺れてハラハラした。


「どうしたんだろ?」

「お花を摘みに行ったんじゃない?」


適当な返答をくれた恵里香はさほど頓着することもなくパクパクとお弁当を食べ始めている。


 考えても仕方ないと思った僕は恵里香に倣ってお弁当を食べ始めた。きっとすぐに戻ってくる。その時はそう思っていたからだ。



 予鈴がなっている。


 結局神奈が戻って来ることはなかった。


 僕と恵里香は二人でお弁当を食べてお喋りをしながら待っていたけれど、もう教室に戻らないといけない時間になってしまった。


 それに一真と翔也も今日は中庭に来ていない。


 理由はなにも聞いていない。


 翔也は前の休み時間に気になる事を言っていたけれど、それが今関係しているかは分からない。


 三人ともすぐに来ると思っていたから特に連絡もしていなかった。


 いつもいてくれる三人がいないだけで、いつもより落ち着かない時間を過ごした。ただ恵里香だけがいつもと変わらずいてくれる事だけが救いだった。


「神奈戻ってこなかったね」

「そうだね」

「一真も翔也も、どうしたんだろ?」

「ね~」

「……もう教室に戻らないとね」

「神奈ちゃんがいないから、私が教室まで送ってあげます」


そう言って可愛らしい胸を張る恵里香。


 その姿に思わず微笑んだ。


 その時だった、




 思わずビクッ身体が震えるほどの大きな音が耳朶を打った。


 本当に大きな音だった。


 昔、目の前でバイクと車の衝突事故を見たことがある。直進するバイクの前に車が不意に曲がって行ったのだ。


 ぶつかったバイクの運転手が大きな音を立てて宙を飛んでいった。運転手は何メートルも離れた場所で、地面に嫌な音を立てて落ちた。何かが折れて、潰れて、破れて、あの時はもう聞きたくないと思ったのを覚えている。


 今聞こえてきた音は、あの時の音に似ていると思った。


 水を打ったような一瞬の沈黙のあと、続いて聞こえてきたのは絶叫だった。


 耳をつんざく叫び声。


 それを耳にして一番初めに感じたのはとてつもない不快感。


 まるで耳のすぐ傍で大声を出されたかのような絶叫に僕は思わず顔をしかめた。


 それでもすぐにその不快感は消えた。


 何故ならその叫び声にどこか聞き覚えがあるような感覚がしたからだ。


 端的に言えば僕がよく知っている人物の声に聞こえたのだ。


 言い知れぬ感覚に背筋が泡立つ。


 一瞬の間をおいて僕は駆け出した。後ろから恵里香が付いてくるのが分かる。


 音と声のした方向にだいたいの検討をつけて脚を動かす。道中では音を聞いて戸惑っているような人が何人もいた。


 皆が音の出所を気にしているみたいだった。それだけ大きな音だったんだろう。人の間をぬうようにして駆ける。


 それでも正確な場所が分かるわけじゃなく、僕はなかなか音の発生源は見つけられなかった。


 まだ何分も経ってはいない。それでも不安やよく分からない焦燥感で余裕がなくなって来る。


 しまいにはイライラして来て進行方向にいる邪魔な人を突き飛ばしたい衝動に駆られた。


 けれど幸か不幸か、そんな暴挙に出てしまう前に僕は音の発生源にたどり着いていた。



 怠惰な雨が降る薄暗い光景。その中に明らかに異様な物体が落ちていた。


 灰色の景色の中に目を引く真紅が鮮烈な色彩を放っている。コントラストだけを見れば綺麗だと思った。


 初めそれを見た時、僕はまず自分の目を疑った。次に疑ったのは自分の頭。


 それだけ自分が見た物を理解するのに時間がかかった。何とか理解できたのは、前にも一度同じようなものを見たことがあるからかもしれない。


 とにかくそれは、そうなってしまう前の面影をあまり残してはいなかった。


 それだけ僕の知っている姿とは似ても似つかない姿に変わっていた。


 それは普段なら僕を見て笑ってくれたはずだ。


 普段なら僕に駆け寄ってきてくれるはずだ。

 

 それなのに今は僕が目の前にいるのに何の反応もせず、ピクリとも動くことがない。


 動はもはや静に変わってしまった後だった。


 唯一動を残しているのは、雨によって流れて来る真紅だけ。


 今自分の目の前にあるものがどういう状態にあるのかは、一目見ただけでも明かだった。


 だからこそ僕は戸惑っていた。そして混乱していた。


 理解はしたが認めたくはなかったのだ。


 僕に付いてきていた恵里香は今どんな顔をしているだろう。


 すぐに二つの足音が聞こえてきて僕と恵里香の傍で止まった。


 それが誰と誰かは、後ろを見なくても聞こえてくる息遣いで分かった。


 恵里香と同じ僕の大切な幼馴染の二人。


 これで四人。


 一人足りない。


 いや、その一人は一番最初からここにあった。


 僕が見つけたもの。


 雨に濡れた地面に赤をまき散らして落ちていたもの。


 それは、僕の大切な、とても大切な幼馴染だった。いや――



 ――幼馴染だったものが落ちていた。

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