小箱の中身は──

 少女を部屋に連れて行き、いつもの様に椅子に座らせた。

 私もその対面に座る。

 心音はさっきと同じく、教室の隅に体育座りしてこちらを見つめている。

 心音だけ先生の元へと行かせようかと少し悩んだが、そういえば心音はコミュニケーションが苦手だということだった。ので、こういう状況だ。


 少女は名前を飯塚いいづか朱里あかりと言った。

 彼女はどこかそわそわした様子で辺りをキョロキョロしている。

 一言で言うなら、その様子は挙動不審だった。

 そんな彼女に、私はこう切り出す。


「朱里ちゃん。その、美結ちゃんのことを知っているって……本当? さっき、教室に行った時、確か『分かりません』って言ってたよね?」


 その言葉に少し身を揺らした彼女は、同じようにビクビクしながら恐る恐ると口を開き、喋り始める。

 その声量は、かなり小さかった。

 耳を傾けないと、よく聞こえないくらいの声だ。


「……えと。どこから説明すればいいのでしょうか……。少し整理させてください。ごめんなさい」

「あー。全然いいよ! 待てる待てる!」


 彼女の表情はどこか迷いがある感じだった。

 その時、ポケットに入れていたスマホが振動を起こす。

 心音を一瞥。心音はスマホを操作していた。

 最近は心音からのラインしか来ないなぁ。と悲しいことを思いながらも、私はポケットの中のスマホを取り出して、ラインを開く。


『思ったんですけど。いや、割とこれガチな感じするんですけど。美結さんが告白した人が、この朱里さんなんじゃないですか?』


 なるほど。と、そう思った。


 もしそういうことにするならば。

 目の前の彼女がどこか緊張している様子なのも納得がいく。

 詮索されるのが気まずくて昼休みは、美結ちゃんのことを『分かりません』と言ったんじゃないか?

 

 どうなのだろうか。どれも想像の域でしかなくて確信的なものには至らない。

 このことを聞こうにも、どうも聞くことはできなかった。


 前から息を吸う音が聞こえ、私は前に目を向けた。


「あの……すみません、まだ纏まってなくて」


 申し訳なさそうに、彼女はそう言う。


 何をそんな申し訳なく思うのかと。

 やっぱり。美結ちゃんはこの人に手紙を渡したんじゃないかと思う。


「いや。本当に大丈夫。じっくり考えて!」


 一応そうは言ったが。

 彼女は再び「あの……」と漏らす。

 「んー?」と、私は疑問を声に出した。


「一つだけ言わせてください」

「いいよー?」


「あのですね。先輩方はその、美結さんのことを探っているんですよね?」

「うん。まぁ、そんな感じ?」


「でしたら。気を付けてください。今はそれくらいしか言えないです」

「え? なんで? 怖い怖い。え、それって、どういう──」


 ──バンっ!


 言いかけた時。

 部室のドアが、乱暴な音を立てて開かれた。

 ここにいる全員、ビクッと全身が揺れる。


「すんませーん」


 ドアを開けて入ってきたのは、どこかで見たことのあるような顔──。


 ……そうだ。

 昼休み。柄の悪い三人衆の中の一人。

 こういう奴がいた。思い出した。


「なんですか? なんか用ですか? 今、部活中なんで少し待ってくれない?」


 先輩だから。こういう失礼な輩には遠慮する必要もなく。

 私は少し強めに言い放つ。


「あーゴメンなさいね。ちょっと、そこの飯塚ちゃんに用があってですね」


 何がおかしいのか分からないが、その女は笑っている。嘲笑っている。

 ゴメンとは口では言うが、そんなのちょっぴりも思っていなさそうだった。


「ちょっと! 今、私が朱里ちゃんと話してるんだから!」


 多分、こいつはいい人ではない。

 偏見で人をよく判断する私だが。今回は違う。

 そんな気がするのだ。なんとなくだけど。

 矛盾しているような気がするけど、もうどうでもいいやと思った。


「……先輩。この人、友達なので。少しだけ席外してもいいですか?」


 なぜか、朱里ちゃんはそう言った。

 顔は沈んでいる。


「待ってよ朱里ちゃん! なんかそいつ、やな感じだよ!」


 無理やり引っ張られる朱里ちゃんに、私は声を上げた。

 だが。こっちを睨んだ柄の悪い女は。


「初対面の人にそんな口聞く方がやな感じですよ。……ね。飯塚チャン」


 と、正論を言ってくる。

 次の言葉を出すのに戸惑い、何もできないまま私は突っ立った。


「あ──」


 言葉を出そうにも何も出ず。

 ただただ、出て行く二人の背中を眺めていた。


 ──バタン!


 足音が煩い音を立てながら遠ざかる。

 やがて、それが廊下の奥の吹奏楽の音と混ざり合い、耳に届かなくなる。


 立ちほうけていた私は、ハッと我に帰り。

 次第にさっきの柄の悪い奴に対するイライラが増幅していく。


「なにあいつ! マジやな感じなんですけど!」


 心音を見ながら、私は行き先の無い怒りを吐き出す。

 そんな私の様子をジトと見つめた心音は、呆れたようにため息を吐いた。


「ねぇ、心音。本当に嫌な感じだったよね?」


 意外な心音の反応に私は少し驚き、伺うようにそう問うた。


 すると体育座りをしていた心音は、腕をほどき、ゆっくりと身を起こした。

 私を真っ直ぐ見つめながら近付いてきた心音。

 私は。その時、やっと気付いた。

 心音はもう、マスクをしていなかった。


 次の瞬間に抱きつかれる。


「あわわわ──」


 凄く久しぶりに感じる心音の肌に、私はすぐに顔に熱が上がるのを感じた。


 耳に触れた心音の唇。

 それは反射の様にすぐに距離を取ったが、またゆっくりと耳に気配が近づいてきた。


「伊奈さん。落ち着いてください。……あのヤンキーみたいな女子生徒は、絶対友達同士なんかじゃない。それは分かってるから。そんなに怒らないで」

「は、はぃ!」


 こ、これが落ち着いてられるかい!

 いや。さっき、私も少し我を忘れてしまったから、心音を不快にさせてしまったならそこは反省点。

 だけど。今は、別の意味で──!


「久しぶりのハグ……ですね。だけど、伊奈さんのその胸の突起物がちょっと痛いです。一回、出して貰えませんか?」

「は、はひっ!」


 噛みつつ。

 私は抱かれたまま距離を取り。

 右手を私たちの間に滑り込ませる。

 心音の突起物にもぶつかりながら、私は胸ポケットから小箱を取り出した。

 それを適当にポケットに突っ込み、行き場を見失ったその手を心音の後ろに回す。


「……きゃ。伊奈さんたら積極的なんですね」

「な! そ、それを言うなら心音の方が──!」


「はいはい。私は、いつも。これですから」

「それを言うなら、私だって前、こんな風に後ろに手を回しましたけどねー!」


「そうでしたね。……でも、久しぶりな感じがします。何日か前にしたばっかりなのに」

「そ、そーだね。じゃあ、キスもしちゃう?」


「……ほら。今日は伊奈さん積極的」

「う、うるさいな!」


「でも。今日はごめんなさい。まだ、私の中に風邪成分が残っているかもしれませんから。あと、朱里さん。あのヤンキーっぽい人と話をしたらここに戻ってきますよね? キスしたら、きっと離れられなくなってしまって……」

「か、かわいい……」


 思わず口から漏れた言葉。

 だったが、私は後悔はしなかった。

 いや。やっぱり恥ずかしいから少し後悔してます。


「あ、ありがとうございます……」

「……は、はい」


 謎の恥ずかしい空間が生まれ。

 しばらく沈黙が続く。


 すーっと空気が耳に通り、何かを話そうとしているなと肌で感じた。


「そ、そういえばですよ。その変な小箱の中には何が入ってるんですか?」


 本当に何も話題が無いらしい。

 だけど、この箱の中身については、私も説明をし忘れていた。

 ただ「おっぱいが尖っている」と言われたくらいで。


「えっとね。言っていいのかな?」

「いいですよ」


 心音ではなくて、美結ちゃんのことを気にしているんだけど……。


「まぁいいっか。えっとね……自分でも言いづらいんだけど。……これ、媚薬が入っているんだって」

「え。何でですか」


 心音の一際大きな声が、私の耳をくすぐった。


「何でって。説明すると長くなるけど……。もし彼女が出来た時のために、学校でエッチなことをするため? 自分でも言ってて何のことやら」

「……やばぁ。……それ、見せてくださいよー」


「えーでも。人のもの勝手に空けるのも良くないしなー」

「お願いします。実物を見てみたいです」


「まぁ。ちょこっとだけならいいかな? 美結ちゃんに許可取ってないのはあれだけど……」

「嬉しいです。ありがとです」


 心音は変態なのかもしれない。

 いや、普通に変態であることは知っている。

 だって、掃除用具入れの中でキスしてくるくらいだから。


 と思いながら、私と心音は距離を取り、ポケットを探って小箱を取り出した。

 白くて、何の変哲もないその箱に、媚薬が入っている。らしい。

 私はその箱を机上に置く。


 当の心音はスマホ片手に、真顔ながらも楽しそうな感じでそれを見つめていた。


 開ける場所に、セロハンで封がされており。

 それを元に戻せるようにと、丁寧に剥がす。


 なぜか緊張を覚えつつ。

 心音の期待に応えるために、私はその箱をゆっくりと開く。

 どんな小さいものが入っているのだろうと、そう思っていたが。


「──え」


 黒かった。その媚薬は。

 瓶みたいなものが中にあると思ってたが。

 そんなことは全くなかったのだ。

 ただただ、黒かった。


 私の脳が本能的に察した。

 これは媚薬なんて、そんなものじゃない。と。

 これが何かと言われて、何となく分かっていた。

 けれど私の頭は、その可能性を全く予知していない。

 そのために。私の思考はかなり遅れたのだ。


 心音を見ると、焦ったようにスマホに何かを打ち込んでいた。

 それを見守って数秒後に、スマホを私に突き出してくる。

 メモ帳アプリに書かれたその太い文字を、私は左から右へと目で追う。


『伊奈さん! 「これが媚薬か」と言ってください。今すぐです!』


 その文字に促され、私はすぐに。


「こ、これが媚薬か〜」


 と、割と声量大きく口にした。

 再度心音を見て、心音が頷いたのを確認する。

 そしてすぐさま。


『もうそれを元に戻した方がいいと思います!』


 そう見せてきて。

 言われるがまま、私はふたを閉じ、セロハンで封をした。


 直後、何か悪寒のようなものが私を駆け巡り。私に鳥肌を立たせた。


 私に指示した心音は、これが何かすぐに理解をしたのだろう。

 違う違うと、否定し続けた私の脳が、その存在をようやく理解した。

 これは──。


 盗聴器だ。



    ※



 直後。

 柄の悪い奴との話を終えたらしい朱里ちゃんが、暗い顔でこの部屋にやってきた。


「私は。美結さんのことについて、何も知らないです。担任も知らないはずなので、聞きすぎると変な人に思われてしまうかもしれません。だから言及しない方がいいと思います」


 早口で、そう告げられた。

 私はもう。ウンウンと適当な頷きを返してしまった。

 ぺこりと丁寧のお辞儀をして部屋を出て行った彼女の背中を見送り、私は再びこんがらがった頭を一生懸命に回していた。


 意味わからないことが。一つ。増えてしまった。

 盗聴器? なんで? 本当になんで?

 意味が分からない。意味が分からない。

 意味? そもそも意味って何。


 美結ちゃんって何?

 美結ちゃんはどういう存在なの?

 死ぬって言ってたのは、この盗聴器と何か関係があるの?

 もしかして、もう死んでいるの?


 自分に問いかけを続ける。

 けれど返ってくるのは、根拠のない私の骨組みのない回答ばかり。


「もし。自殺していたら──」


 悩んで悩んで。悩みまくって。ふとした時。


 ──ぽんぽん。


 私をなだめるような優しい感触が肩を触った。


 そしてすぐに、私を後ろから抱擁した。

 天使──いや、女神のような抱擁だった。


「伊奈さん。落ち着いてください。私、分かったかもしれません。あのヤンキーも何か匂いますが、ともかく今は美結さんです。ここ数日、美結さんの家に、何か異変は有りましたか?」


 その声はとても小さかった。

 私の耳にギリギリ届くかどうかの。そんな声。

 私も声を殺す。


「特に何もない……かな。今日の朝とか、ゴミ出しに行く美結ちゃんの母さんを見かけた様な気がする」

「なら大丈夫だと思います。自殺の可能性は薄い気がします」


「そうだね。そもそも美結ちゃんは振られたら死ぬって、手紙で言っていたはずだから……」

「そうですね。でも、少し胸騒ぎがします。急いだ方がいいかもしれません。美結さんの亡くなるかもしれない命を最優先です。……私にいい考えがあります」


 大事なことを忘れていた気がする。

 美結ちゃんがいないのはどうして?

 美結ちゃんの名前がクラス表にないのはどうして?

 美結ちゃんのことを知らない人がいるのはどうして?

 美結ちゃんが私に盗聴器を預けたのはなぜ?

 そんなの、今はどうでもいいことだった。

 亡くなるかもしれない命が近くにあるのだ。

 美結ちゃんの無事を確認するのが、今、私がするべきことなんじゃないかと。

 そう思った。そう思わされた。


「……うん。ありがとう」


 深呼吸。

 私は声を出さずに大きく頷く。


 背後の女神が、少しだけ微笑んだ気がした。

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