21 GREEN Leaves

 大の女ふたりが一時間で服を買うなんていうことは、土台無理な話だと最初からわかっていた。

 なので私はあらかじめ、買うのは異界での生活や突然の登山にも耐えうる、お洒落とは無縁でもいいから頑丈な服装だった。

 ちょうどよく見つけたショッピングモールの中にアウトドア用品店が入っており、そこでレイアウトされている登山ウェア一式をそのまま購入することにした。ただし私も菊花も言葉が伝わらないので「これをそのままくれ」と頼むことはできず、自分でレイアウトのものと同じウェアを店の中を回って見つけ出さなくてはならなかった。

 ストレッチ素材のロングパンツ。吸水性の高いアンダーウェア。通気性のいいフリース。雨風から身を守るための防水加工されたゴツいアウトドアジャケット。菊花から目を離さずに連れ回してふたりでだいたい同じものを買い物かごに積み上げていく。

 レジに持っていってから、しまったと気づく。ショッピングモールの中だからてっきり交通系ICカードが使えると思っていたが、系列の電子マネーとクレジットカード以外は現金しか受け付けていなかった。

「私、出す」

 銭湯に行く前のビルで、菊花は異界の物品を換金している。持ち込んだ数は目白より多かったから、かなりの額が手元にあるはずだった。

「ごめん。絶対あとで返すから」

 小声で話す私たちを店員が怪訝な顔で見てくる。私たちの言葉は現世の人間に言語として伝わらないので、聞き取れないように声のボリュームを思い切り下げていたのだが、それでも違和感は伝わったらしい。

 ふたつのかごを指さし、現金をトレイに出す菊花。店員はまだ怪訝な顔をしていたが、手早く会計をしていき菊花の金を受け取り、お釣りを渡してくる。

「ああああ? 葉っぱじゃないかあこりゃああああ?」

 レジにいたもうっひとりの店員が、いきなり素っ頓狂な声を上げる。キャッシャーが何度も音を立てて開閉を繰り返す。そのたび、中に入っているお札が、木の葉となって天井まで舞い上がる。

 菊花は舌打ちをして、私の手をとるとレジ袋をぶんどってそのまま駆け出した。

「狸か狐じゃないのかあ? 射殺しなきゃ」

「研究会……! 下手な代物をつかませやがって……!」

 アウトドア用品店を出てショッピングモールのメインストリートを走る私たち。思わず振り返ると、店から出てきた店員が猟銃を構えていた。

 おそらくは散弾銃――私の魑力で時間を停滞させても、音速で散らばる弾丸を避けるのは難しいかもしれない。

「菊花! 私を抱えて全速力!」

 走りながら、私は菊花の肩につかまるかたちで身体を浮かせる。菊花はすぐに了解して、私を両腕で抱きかかえて魑力によってトップスピードに乗る。

 一瞬で散弾銃の射程の外に出た私たちは、そのまま騒がしくなったショッピングモールを抜け出す。

「現世はこれがあるからイヤだ」

 つい忘れていたが、現世は完全に汚染されている。いつ何時こんな事態に巻き込まれるかわかったもんじゃない。そういう意味では、私たちにとっては異界のほうがよっぽど安全だと言えた。

「なんだったの、あれ」

「研究会で換金した金が『葉っぱのお札』だったんだと思う。狐や狸が人間に化けて物を買う時に使う」

 ああ、あれか。

「そのせいで汚染された人間に要らぬ刺激を与えてしまった。まともということになっている人間が狂い出すスイッチに偽札はちょっと適しすぎている」

「菊花」

「連中、ナメた真似をしてくれたな。今からでも潰しにいくか――」

「菊花!」

 私は菊花の胸の中で首を伸ばし、耳のすぐ下から声を上げた。

「もう下ろしてくれていいから。その、ずっとこれはさすがに恥ずかしい――」

 ショッピングモールの中を菊花の最速で突っ切って外に出ても、菊花は私を抱えたままだった。とっさに菊花に抱きついた私と、それを受け止めた菊花。なぜかずっとその体勢のまま、菊花とそれに抱っこされた状態の私は駅前を歩いていた。

「あ、あ、あ、ごめん」

 ゆっくりと私を地面に下ろす菊花。菊花を監視し続けるという任務には適していたかもしれないが、あの恰好で街中を練り歩くのは私のほうが耐えられそうにない。下手に現世の人間を刺激して、さっきのように狂い出されても困るし。

 スマホを取り出して現在時刻を確認する。正午まであと十分。そろそろ広場が見える位置に移動したほうがいいだろう。

 バシッ、と音がして、近くを歩いていたサラリーマンの頭が燃え出す。続いて炎の渦が絨毯のように地面を覆っていき、触れた人間がめらめらと燃え始める。

「来たか――」

 以前に優希と羽海が現世に現れた時も、似たようなことが起きている。〈椿の海〉の魔王という存在が現世に降り立っただけで巻き起こる災害。当の現世の人間たちは自分たちが死にながら再生していることなんかに気づかず、いつも通りの日常を送っているが。

 私は燃えている人ごみをかいくぐりながら、駅前の広場を見下ろすことができるビルの二階の喫茶店に入る。

「これ、美桜の」

 窓際のテーブル席に菊花と腰かけると、菊花はずっと持ったままだったアウトドア用品店のレジ袋のひとつを私に手渡してきた。

「持っといてよ。どうせ一緒に帰るでしょ」

「私は……〈きさらぎ駅〉には帰らない」

「はあ?」

 そうだ。まだ菊花が〈きさらぎ駅〉を出奔した問題は解決していなかった。菊花の真意を聞いて、気持ちの整理がついたせいで、私はすっかり菊花が〈きさらぎ駅〉に戻ってくるのだと思い込んでいた。だがこいつは、自分で抱え込んだ難問への答えを見つけられずにいるままだった。

「言ってなかったけど、今日私たちが現世に来たのは、お前が荒らした〈椿の海〉との交渉のためで、百舌はお前が暴れた責任をとるために現世で魔王と交渉までしなくちゃならなくなったんだよ」

「それは――百舌にごめんと言っておいて」

「自分で言えや。いいか、お前が異界に移動して、暴力的なインタビューをしていくと、そのツケはどんどん〈きさらぎ駅〉に回ってくる」

「〈きさらぎ駅〉には私を捜索する力なんてないんだから、無関係だと言い張ればいい」

 菊花の言い方で、私は絶対に食い下がらなくてはならないと理解した。今ここでこいつを逃がしたら、もう見つけて捕まえる方法はないのだ。

「私もそう思ったけど、お前の世界観が〈きさらぎ駅〉準拠である以上、そうも言っていられないんだってさ。見る奴が見たらお前が〈きさらぎ駅〉の一員であることがわかるし、否定もできないんだろ」

「美桜――美桜って、そこまで〈きさらぎ駅〉に肩入れしてたの?」

 思わぬ問いかけに、言葉がつっかえる。

 なぜか〈きさらぎ駅〉の立場から、菊花を連れ戻そうと言葉を並べ立てていたことに気づく。私の世界観はたしかに〈きさらぎ駅〉のものが定着している。だが、私が〈きさらぎ駅〉――日本怪異妖怪保全会の立場で菊花に道理を説くのは、あまりに拙速がすぎる。

 現に、私より前から〈きさらぎ駅〉にいる菊花は、私の変わり身に怪訝な顔をしている。千歳との約束を果たしてすぐに出奔したことからも、菊花が〈きさらぎ駅〉での立場というものに無頓着だったことがわかるはずだった。

 ――焦っていた。

 菊花をつなぎ止めるために都合のいい文言を用いるのに、〈きさらぎ駅〉側の言い分は使いやすかった。

「クソッ――」

 反省よりも激しい後悔が襲ってくる。思ってもない言葉を使ってしまったことに嫌気が差す。

 なら、もういい。私が言いたいことを言うだけだ。

「戻ってきてよ――菊花」

 菊花の瞳が、大きく揺らぐ。

「千歳ってひとのこと、私はなにも知らない。私を狙っていることも、知らない。自分が危ないことも、それをお前が未然に防ごうとしようとしていたことも、なにも、なにも。菊花はなにも言ってくれないから。だったら、菊花が一緒にいてくれたほうが、よっぽどいい」

「私、は――千歳に、会いたい――」

 呼吸が止まる。

「会ってちゃんと、聞かないと。なぜ、私じゃなくて、美桜なのか。千歳にとって、私は捨て石だったのか」

 爆発。爆煙が空を黒く染め始める。

「そんなの――素直に本当のこと言うわけないだろっ」

「千歳のことを知らないのに、なんで――」

 炎。火の雨。燃える。燃える。

「そんくらいわかるわ! お前がそこまで悩んで、自分で切り捨てることができないようになるまで、そいつがお前に優しく接して、いつでも優しい言葉をかけてきたんだろうがっ」

「そう、そう、だけど――」

「そいつはお前に絶対、優しいことしか言わない。お前にとって都合のいい言葉しか使わない。じゃなきゃお前がいま、こんな腑抜けになってるはずがない」

 地面が突き上げられるような震動。店内の電灯がチカチカと点滅する。

「――やめて」

「会ったところで、丸め込まれて捨てられるだけだ。お前はそいつの掌の上から逃げられないようにされてんだよ」

「やめて!」

 悲鳴。悲鳴。悲鳴。痛々しい声。

「千歳のことを、悪く言わないで――わかってる。わかってるけど、私にとって、千歳は、やっぱり――」

 爆風が窓ガラスを直撃する。砕け散るビルのガラスと外壁。

「ああ――」

「もう――」

 私はレジ袋をひっつかみ、崩壊を始めたビルの窓から身を乗り出す。

「うるせぇぇぇぇ!」

 ちょっと前あたりから暴れ出したのであろう魔王に向かって、私は怒声を振り撒く。今や喫茶店の中に残っているのは私と菊花だけで、なんとか話を続けようと集中していたが、外の魔王による災害の無視を決め込むのはさすがにもう限界を迎えていた。

「ひとが真剣に話をしてんだよ! 菊花、とりあえず黙らせに行くから、付き合え」

「――わかった」

 即答。どうやら菊花も大事な話を妨害されて腹を立てているらしい。

 ふたりそろって二階の窓から燃えさかる駅前へと飛び出す。魑力を全身に巡らせ、私の速度と現世の速度をズラしていく。ゆっくりと崩れ落ちていくビルのコンクリート片を吟味し、一時的な足場となりそうなものを選んで着地し、体重に耐えられなくなるより早く踏み切って地面に着地する。ビル二階の高さなら、魑力のブーストをかければ一度空中で止まってしまえば無傷で飛び降りることができた。

 減速した現世を駆ける。ビルの二階からトップスピードで跳躍した菊花が矢のように空を飛んでいく姿がゆっくりと見える。

 交渉に出向いた百舌の居場所はすぐにわかった。広場には巨大な骸骨が座禅を組んでいる。百舌の魑解、〝骸骨妖怪〟だ。菊花もそこを目指して次々に建物を蹴って跳んでいた。

「やっと来たか……」

 骸骨の中から百舌が私と菊花を見上げる。

「交渉は決裂。こっちが菊花を確保していることを伝えたら逆ギレでこれだ。で、向こうの要求はひとつ」

 炎を巻き起こしている当人――逆ギレしたうえに要求まで突きつけてきたアホの魔王の軍勢は、三人いた。

「菊花をボコらせろ――だ」

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