10 助けてインターネット!
その男は完璧な仕立ての三つ揃いの白スーツを着て、ガチガチにセットされたボリュームのある髪の毛を櫛で整えながら、銀フレームの眼鏡の奥の鋭い目を光らせていた。
私は、気圧される。
見た瞬間にわかる。こいつは堅気じゃない。
私がボコボコにしてきた連中はやばい奴だが、どいつもこいつも社会性はなかった。だが目の前の男は反社会的という強力な社会性を持っている。そのぶん話は通じるだろうが、敵に回すのはあまりにまずい。やばい奴ですら萎縮させてしまう、絶望的なまでの立ち振る舞い。
「やあ。やっと眠ったようだね」
男に言われて、私は夢を見ていることに気づく。だが自分の夢の中にこんな物騒な男を登場させたことはこれまでに一度もなかった。
「話がある。なに、簡単な話さ」
私は無言で生唾を飲み込む。
「君の身体を譲り受けたい」
下卑た話ではない――そう判断できてしまえることが、余計に恐怖を煽った。
「今の状態の君の自我はそう長くはもたない。放っておけば君は死ぬ。そのあとで、君の身体を私に使わせてもらいたい、という提案なんだが」
待て待て。ちょっと考えろ――。
私の現状は、魑力の扱い方を身につけないとそのうち死ぬと言われている。私は魑力を扱えたことは扱えたが、まだ自分の中の魑力の源を特定できていない。そんな中このインテリヤクザ風の男が突然私の夢の中に湧いてでた。
「すみません。あなたの名前を教えてもらえませんか……?」
男は表情は変えず、だが「ほう」と声を漏らした。
「私がなんなのか、気づいたのかな」
「私の、魑力の源なのではないか、と……」
「ははっ、ずいぶんと矮小なものに押し込められたものだね」
「えっ、ごめんなさい……?」
「なに。別に気にはしていないよ。私たちも現世から引き剥がされて時間が経った。だからこうやって君のような人間の内面なんぞに顔を出さなくてはならない。君がすぐにでも身体を譲ってくれるというなら話は早いのだが」
身構えた私を見ても、男は相変わらず表情を変えない。
「そこまで急くこともないだろう。ただし、君は自分の身の程というものを理解しておかなければならない。君が私を呼び出したのではなく、君が勝手に私という大きなものに接続してしまっただけなのだということをね」
ずいぶんと偉そうな物言いだが、苛立ちや反骨心といったものは微塵も湧かない。ただ立っているだけで暴力的なまでの威圧感だった。
「私が出てきたということは、君の自我がすでに崩壊を始めているということだろう。こればかりは私にはどうにもできない。接続してきたのは君のほうなのだからね。少しは君に助力してあげたいのだが、
私は呼吸を思い出す。来た。この男の名前を知れば、私の魑力の源もわかる――かもしれない。
「私は
そこで目が覚めた。
屋根のある駅舎の真ん中、百舌にもらった寝袋の中で私は呻いていた。
スマホ、スマホ……駅舎の事務室の中にはコンセントがあって、そこで充電させてもらっている。盗電になるが、勝手に駅を占有して事務室に押し入っている時点でとっくに犯罪のレベルを越えているので気にしないことにしている。
寝袋から這い出た私はふらつきながら事務室の中に入る。なんだか夢を見たせいで恐ろしく疲れている。次にあの夢を見たら死ぬんじゃないかという勢いで精神がすり減っていた。
充電ケーブルを抜いて、スマホを起動する。異世界というわりにここにも携帯電話の電波は来ていて、普通にネットも見ることができる。
きさらぎ駅についても、〈きさらぎ駅〉の中で検索して調べた。知らない駅に迷い込んだ人間が携帯電話から投稿した、という体裁になっているのだから、ここにネットが通じていてもおかしくないどころか原作準拠だな、と思ったものだ。
検索エンジンを立ち上げ、「牛頭天王」と入力。表示されるウィキペディアを始めとした事典系のページにざっと目を通し、おおよその情報を把握する。まあ、本当におおよそだけだ。本当のことなんていつもインターネットには載っていない。
たぶんだけど、百舌やその仲間たちに質問して教えてもらうのが一番手っ取り早いような気がする。
牛頭天王というのは神の名前で、民間信仰をメインに活躍した存在だというのが今のところわかっている。おそらく、妖怪と遠からぬ関係、というか、あつかわれる範囲が似通っている。
疫病神という立ち位置や、疫病を退散させる信仰というのも、たしか似たような妖怪がいたはずだ。
というわけで、私は駅舎を出て百舌を探す。百舌は仲間がほかにもいるというようなことを言っていたけど、その仲間というのに私は一度も出くわしていない。本当はここにいるのは私と菊花と百舌(と時空のおっさんの安野)だけなのではないかと時々思うが、ひとが出入りした気配や痕跡は結構見つかるので微妙なところだ。
駅舎からはあまり離れないように言われている。だから百舌もあまり遠くに潜んでいたりはしないだろうと思って、声を張り上げる。
「どうした。美桜」
駅から延びる道を菊花がこちらに向かって歩いてくる。たぶんまた安野のところに行っていたのだろう。
「ああ、うん。まあ急ぐわけじゃないんだけど、百舌さんにちょっと聞きたいことができて」
「私でよければ、聞くけど」
「菊花って、妖怪系詳しい?」
「私、もともとオカ板の住人」
食い気味に話す菊花。
「オカバン?」
「うん。まあどちらかというとROM専でスレとは基本的に距離を置いてたけど、ネットロア系の創作が盛り上がってきたころには元ネタとの比較検証をした同人誌とか出してた」
妙に饒舌になった菊花の話のほとんどが私には理解できなかったが、ひとつたしかなことがわかった。
こいつ――オタクだったのか。
つまるところ、妖怪とかオカルトといった方面には明るい、と受け取っていいだろう。
まあいいか。菊花なら。
「牛頭天王って知ってる?」
「蘇民将来。八坂神社。疫病神。疫病除け。スサノオ」
お、おう……私がスマホで調べてまだ呑み込めていない情報をすらすらと。知識は間違いなさそうだ。
「さっき夢で自分は牛頭天王だっていうやばそうな男が出てきて、たぶんそいつが私の魑力の源だと思うんだけど――」
菊花はすっと、私の目の前で指を一本立てた。
「百舌が言ったことを忘れるな。魑力の源は明かさないのがルール。そのヒントになりそうなことも、迂闊に口にしないほうがいい」
いや、お前平然と明かしてんじゃねえか――と思ったものの、百舌のあの慌てようを見るに、かなり重大なことだとはわかる。
となるとますます平然と自分の魑力が「恐怖」由来であると私に明かしたこいつなんなんだよ……となるが、忠告は忠告として聞いておくことにする。
しかし困った。他人に相談しながら、牛頭天王とやらの正体がなんなのか探るという方法は使えなくなった。私の中に湧いてでた相手なんだから、自分で考えて答えを出せと言われればそこまでなのだが。
菊花が顔を上げて、駅舎のほうを見やる。
この音――私もやっと気づく。電車が到着したらしい。誰かが現世に出ていくためか、あるいは現世から戻ってきたのか。
なにかを感じたのか、菊花が駅舎に向かって駆け出す。置いていかれるのも不安なので、私もあとに続いた。
プラットホームはさながら野戦病院と化していた。十人以上はいると思われる怪我人が並んで寝かされ、どこから出てきたのか百舌が素早く指示を出している。手当をしているひとたちも服のあちこちに泥や血が飛んでおり、どうやら同じ電車でここに逃げ帰ってきたのだとわかる。
「菊花、美桜、あんたらも手伝え! 事務室に救急箱があっただろ。たぶん足りないけど持ってこい!」
「は、はい!」
私は叫んで、事務室にとって返す。スマホを充電させてもらっている関係で、事務室の物の位置はだいたい把握している。
ファイルがぎっしり詰まった棚の上に置かれた救急箱を取ろうとするが、あと少し高さが足りない。踏み台になりそうなものを探すがめぼしいものが見つからず、結局不安定なオフィスチェアに乗って救急箱に手を伸ばす。高さは十分で、思い切り身体を伸ばさなくても届いた。
救急箱を掴んだとたんに、身体がバランスを失う。踏ん張ろうとしたが、足場がキャスターのついた椅子のせいで、私の身体とは反対へとずれていく。
結果、思い切り床に落下した。とっさに受け身を取ったおかげで骨は折れていないが、身体を強打したのは変わらないので痛みに呻く。椅子がぶつかった棚からファイルがどっさり身体の上に落下してくるというおまけつきだ。
ファイルの山の中から身を起こす。幸い救急箱は閉じたまま無事。とにかく早くホームに戻らないと――と立ち上がろうとしたところにもう一個ファイルが落下してくる。
開いた状態のファイルを投げ捨てようとしたところで、手が止まった。中に書かれた文章に、勝手に目が吸い込まれる。
日本怪異妖怪保全会 定期報告
2017年の〈大災礼〉により現世は怪異によって完全に汚染された。わずかに残された非汚染者は異界・異世界・異次元…へと退避。現世を除染しようとする者、現世を破壊しようとする者、異界を住みよくしようとする者などがそれぞれの異界で行動を開始する。また、怪異への耐性を持つ現世人類の保護と汚染地域からの脱出も重要な目的としてこれを遂行する現地情報防疫官の派遣も行われている。
日本怪異妖怪保全会としては〈大災礼〉を引き起こした責任を重く受け止め、現世の除染を第一の目標とする。また、取り逃がした情報寄生体、ならびに失われた概念意識体についての調査も並行して行うものとする。概念意識体は現世、異界といった領域にはすでに存在しないものと思われるが、異界内で精神に変調を来した者が意識体と接続する例が報告されている。異界において概念意識体との接触に成功した者は魑力と呼ばれる力が発現することが確認されており、魑力の発現から数週間で人間としての意識は喪失し、事実上の死へと至る。概念意識体に関する情報獲得のため、魑力の発現を促していく予定ではあるが――
「美桜」
事務室に菊花が入ってきて、私は慌てて開いたファイルを投げ捨てる。
「戻ってくるのが遅いから見に来たけど」
菊花は散らかった部屋とすっ飛んだオフィスチェアを見て、おおよその事情を察する。
「怪我は」
「あっ、うん。大丈夫。痛ぇけど」
救急箱を見せると、菊花はこの場は納得してくれたようだった。急いでホームに戻る。
包帯を巻いたり消毒をしたりを大勢の怪我人に行っていくと、救急箱ひとつではあっという間に足りなくなった。
「百舌さん、このひとたちは……?」
「前に言っただろ。妖怪ハンター。〈大災礼〉を防ごうとして招集されたチームの仲間だよ。ずっと現世にフィールドワークに出てたんだが、なんでこんなことに――」
「会長」
いくつも染みが浮いた黒いスーツを着た男が沈痛な面持ちで百舌に声をかける。スーツの黒よりもどす黒い染み――たぶん血のあとだ。
「その呼び方やめな。で、なにがあった?」
「魔王です」
私は思わず前のめりになる。魔王といえば――。
「〈椿の海〉が、現世に侵攻を開始しました」
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