33 決意と扇と
「やっと来た」
わたくしがハリー殿下の応接間に着くと、彼は待ち構えていたかのようにどっしりと椅子に座ってニコニコと笑みを浮かべた。
「分かっていたのですか?」
わたくしは目を丸くする。
「先触れも出さずにここに来たってことは、そういうことだろう?」
「きっとご想像の通りですわよ。その、ハリー殿下に一番に伝えたくて……」
「そうか」と、殿下は顔を綻ばせた。「それは嬉しいな」
わたくしはソファーに座るやいなや学園で起こった出来事を彼に包み隠さず話した。モーガン男爵令嬢に仕掛けられたことと、アーサー様に助け舟を出してもらったことだ。
……そして、わたくしも逃げないで彼女と戦うことも。
「やっとヨーク公爵令嬢の本領発揮ってわけだね」
「もうっ! からかわないで」
「あはは、ごめんごめん。それで、これからどうするんだい?」
「まずは情報が欲しいわ。モーガン男爵家や王弟派の家門を徹底的に調査しようと思うの」
「へぇ。それから?」
「それから……」わたくしは少し思案してから「彼らに犯罪行為の兆しが見えたら証拠を押さえて裁きの場に送るわ」
「それは処刑台じゃなくていいのかい?」
「それは……彼らの犯罪の規模によると思い――」
わたくしはちょっと口を噤んだあと首を横に振って、
「モーガン男爵令嬢が今回の人生でもわたくしを処刑台に送るつもりだったら、逆にわたくしが彼女を処刑台に連れて行くわ」と、睨めつけるようにハリー殿下を見た。
そうよ、もう甘いことなんて言っていられないわ。彼女は確実にわたくしの首を狙っている。
それに前回の人生でわたくしは彼女たちに完全敗北を喫したわ。だから今度は絶対に負けられないのよ。
「分かった。ロッティーがそう望むなら僕も喜んで協力するよ。前の記憶で君を陥れた人間は全員もれなく処刑台へ連れて行こうか」
「ありがとうございます。でも、宜しいのですか? その、第一王子殿下は……」
「兄上を処刑台に送るかもしれない、ってこと?」
「はい……」
わたくしはばつが悪くなって目を伏せた。第一王子はハリー殿下にとって血の繋がった家族だ。きっと大切な思い出もあるのかもしれない。間接的ではあるが、その家族を手に掛けることになるかもしれないのだ。
ハリー殿下はおもむろに立ち上がって、わたくしの隣に座った。
「元より僕は兄上のことは処刑台に送るつもりでいる」
「えっ……?」
わたくしは顔を上げて殿下を見つめた。彼もじっとわたくしを見る。しばらく時が止まったように互いの瞳の虜になった。
ハリー殿下はわたくしの手を強く握った。
「僕は……僕は君が好きだ。前の記憶のときも、ずっと君だけを愛していた。だから、君のためなら例え兄上を地獄に落とすことになっても後悔はしない」
「っ…………!」
わたくしは目を見張って息を凝らした。思い掛けない彼の告白に頭が真っ白になって、胸の鼓動だけがドクドクと全身に鳴り響いていた。
「好きだ、シャーロット」
殿下はわたくしをぎゅっと抱き締めて耳元でそっと囁く。にわかに顔が上気して身体中が火照った。
「殿下……」
殿下は更に力を込めてわたくしを強く抱き締める。それに比例するかのように、わたくしの胸は早鐘が鳴り、だんだんと呼吸が苦しくなった。
いえ、これは物理的に……、
「殿下、痛いです……」
「わっ! ごめん!」と、殿下は慌ててパッと離れた。「興奮してつい力が入ってしまった!」
「もうっ、ハリー殿下ったら」と、わたくしは可笑しくてくすくすと笑った。殿下も困ったように「あはは」と照れ笑いをする。
そして再び沈黙が訪れて、わたくしたちはまた互いに見つめ合った。
「……ハリー殿下」
わたくしは緊張しながらそっと口を開いた。
それを言葉にするのが凄く恥ずかしくて、紅に染まった顔でおずおずと彼を見る。
……でも、ちゃんと自分からも気持ちを伝えないといけないわ。前回の人生でも今回も、いつもわたくしの側にいてくれたのはハリー殿下だった。気が付いたら、とっても大切な人になっていたわ。
「わたくしも……お慕い申しておりますわ」
「本当っ……!?」と、殿下は目を大きく見開いた。
「はい」
わたくしははにかみながらニコリと微笑む。
「ロッティー!」殿下は矢庭にまたわたくしをきつく抱き締めた。「すっごく嬉しいよ! 本当に嬉しいっ!!」
わたくしも殿下の背中にそっと手を回した。彼の温もりが手の平を伝って全身に広がった気がした。
「わたくしもです」
「僕たち、今度こそ絶対に幸せになろう」
「はい。これからも宜しくお願いしますね?」
「あぁ! もちろんだ!」
ふと、殿下の右手がわたくしの顎を掴んだ。そして、
「っ……!」
ほんの少しの瞬間だけ、わたくしの唇と彼の唇が軽く重なった。
「…………」
「…………」
二人してなにが起きたのか分からずに覚えず硬直してしまう。身体の芯から燃え上がりそうなくらいにかっと熱くなった。
ややあってから、
「そ、そうだっ! 君に渡したいものがあるんだった!」
殿下は真っ赤な顔のまま逃げるようにわたくしから離れて、そそくさと奥にある机まで向かって行った。そして引き出しから細長い箱を取り出して、鯱張った奇妙な動きでこちらに戻って来た。
「ロッティー、開けてみてくれ」
わたくしは頷き、丁寧に箱を開いた。
「まぁっ! これは!」
箱の中身は美しい扇だった。緑色を基調に装飾されていて、広げると精緻な模様のレースが透けてキラキラと光っていた。そして要の部分に巻いてある房の付いたストラップには大鷲の姿が描かれていた。
「いつかロッティーが戦うことを決意したときにプレゼントしようって用意していたんだ。ほら、前の人生では扇は君の武器だっただろ?」と、殿下はウインクした。
「わ、わたくしはそんな物騒なことに扇を使っておりませんわよ!」
「えぇ~? そうだったかな?」と、殿下は大仰に首を傾げながら意地悪そうにニヤニヤと笑う。
「もうっ! 違いますったら!」
「はいはい。じゃあ、今回もそれで敵をやっつけてくれ。ビシッ、てね?」
「殿下の意地悪!」
「ははは。ま、それを僕だと思って使ってくれよ」
わたくしは改めてその扇をためつすがめつ眺めた。使うのが勿体ないくらいにとても綺麗で一目で高価なものだと分かるものだが……、
「殿下、素敵な贈り物をありがとうございます。ですが、このお印は……」
緑色も大鷲もハリー殿下のシンボルマークだ。それをわたくしが持つということは、特別な意味があるということだ。
「あぁ~、それね。兄上に対抗するために、その、き……既成事実を作っていこうと思うんだよ!」
「既成事実、ですか?」
「そうだ。幸いにも君と兄上の婚約はまだ成立していない。だから、今のうちに僕たちが懇意な間柄だと周囲に知らしめておこうと思って」
「それは……国王陛下や第一王子殿下に謀反することになるのでは……?」
「はっはー! それは大丈夫。ちゃんと母上に根回し済みさ」と、殿下はしたり顔をした。「母上もどんどんやりなさい、って応援してくれているよ」
「でしたら良いのですが……」
「大丈夫さ。ロッティーの不名誉になるようなことは絶対にしないから。――あ、そうだ! 他になにかやって欲しいことはある? できる範囲で協力するよ」
「そうですね……。では、一つお願いがありますわ」
「なんだい?」
「わたくし、このような武器を持ったら前回の人生のように傲慢で嫌な令嬢になってしまいそうですわ。ですから、わたくしが愚かな真似をしないように王家から監視を付けていただければ有難いのですが」
「なるほど。それは大変だ。君の一挙手一投足を漏れることなく見ておかないとな」と、殿下はニタリと笑った。
「はい。では、お願いいたしますわね?」
わたくしも意味深長な笑みを浮かべる。
「了解」
ハリー殿下は帰りの馬車までエスコートしてくれた。
日が落ちた直後の王宮にはまだ人の姿が残っていて、彼に手を取られて歩くのはちょっと気恥ずかしかった。
「本日は急な訪問にも関わらずお時間を取って下さって、本当にありがとうございました」と、わたくしは頭を下げた。
「気にしないでくれ。これからも遠慮せずに来てくれて構わない」
「恐れ入りますわ、殿下。では、ご機嫌よ――」
「シャーロット嬢」と、出し抜けに殿下はわたくしを引き寄せて、
「……っ!?」
わたくしの頬に軽くキスをした。
「ででっ……でっ……殿下! ひ……人が見ていますわ!」
殿下はくすりと笑って、
「既成事実だよ」と、そっと囁いた。
わたくしは頭が真っ白になって、挨拶もそこそこに暇を告げたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます