29 第二王子と馬車の中で
「シャーロット嬢、入学おめでとう!」
「ヘンリー第二王子殿下!」
学園生活一日目も無事に終わって帰宅しようと馬車へ赴いたわたくしの前に、ハリー殿下が魔術師のようのパッと現れた。驚くわたくしに彼は顔がすっぽり隠れるくらいの大きな花束を渡してくれた。
「入学祝いだよ」
「まぁ! 素敵! ありがとうございます!」
わたくしは花束に顔を近付ける。いい香りがした。花束は薔薇やガーベラなどのピンク色のみでできていて、とっても可愛らしかった。
「王宮の庭で君をイメージして花を摘んだんだ」
「殿下自らですか?」
「アレンジは母上に手伝ってもらったけどね」
「王妃様もですか? それは恐れ多いですね……。でも凄く嬉しいです。本当にありがとうございます、大事に飾りますね」
「喜んでくれてよかった。じゃあ、帰ろうか」と、ハリー殿下はわたくしの手を取った。
「えっ? えっ?」
「大丈夫だよ。君の家の迎えには今日は僕が送るからって先に帰ってもらったから。それに母上も了承済みだ。さ、行こう?」
「はっ、はい!」
わたくしは彼にエスコートされて王族用の馬車に乗った。
それは前回の人生でよく第一王子と乗った馬車と同じデザインで、彩色だけが異なっていた。青色を基調にしたものがが第一王子で、緑色がハリー殿下専用の馬車だ。
「懐かしいでしょ?」と、ハリー殿下が苦笑いした。
わたくしはこくりと頷く。
このソファーの柔らかい座り心地、覚えているわ。
わたくしは綺麗なドレスを着て、目の前の第一王子も正装して凄く恰好よくて、まるでお伽噺の舞台に立っているみたいなのに、二人の間に会話らしい会話なんて全くなかった。彼は終始黙ってただ窓の外の風景を眺めているだけ。わたくしはそんな彼をただ見つめているだけ……。
「あ……ごめん。嫌なことを思い出させたかな」と、殿下は眉を曇らせる。
「いいえ。殿下の馬車に同乗できて光栄ですわ」
「そうか」
馬車はゆっくりと動き出す。
「ロッティー、今日は大丈夫だった? 兄上や男爵令嬢と再会して辛かったんじゃないのかい?」
「問題なかったですわ。剣術の稽古に励んだおかげて心も強くなったみたい。前回のように無様に取り乱したりはしませんわ」と、わたくしはニコリと笑った。
「それは良かった」
「ただ……」
「ただ?」
ハリー殿下は心配した様子でわたくしの顔を覗き込んだ。
わたくしは軽く息を吐いたあと、第一王子も前回の人生の記憶が残っている話を打ち明けた。
「なんだってっ!? 兄上がっ!?」
殿下は仰天してかっと目を見開き、しばし硬直した。
「そんな素振り、これまで一度も見せなかったぞ……!」
「えぇ……わたくしも驚いてしまって……」
「それで、兄上からなにかされなかった? 嫌なことを言われたりしたんじゃないのか?」
「忠告を……されました」
「忠告だって?」
「はい。邪魔をするな、公爵令嬢として隙を見せるな、と……」
「邪魔をするな……隙を見せるな…………か」
殿下は考え込むように腕を組んで頭を傾けた。
「わたくし、なにがなんだか分からなくて」
「そうだよね……。兄上はなにか企んでいるのか……? ――あっ、男爵令嬢とは兄上も今日出会ったんだよね? 二人の様子はどうだった?」
「それが、前と変わらなかったですわ。モーガン男爵令嬢が第一王子殿下にぶつかって、それから自己紹介しあって……という流れでした」
「今回は兄上のほうから彼女に声を掛けたりはしなかったのかい?」
「特にそのようなことはなかったですわ」
「そうか……」
「第一王子殿下も過去と同じ出会いかたをしたかったのかもしれませんね」
「あぁ。運命の出会い、ってやつか」と、殿下は吐き出すように言った。「馬鹿馬鹿しい」
たちまち殿下は不機嫌になる。彼は前回の人生でも男爵令嬢のことを毛嫌いしていた。
「男爵令嬢の貴族らしくないところがお好きのようでしたので……」
「僕から言わせてみたらあれはただの無教養で無学な女だよ。ロッティーの魅力の足元にも及ばないね」
「そんな……恐れ入りますわ、殿下」
馬車は静かに道を進む。
馬の蹄の音と規則的な揺れが心地よかった。
第一王子と一緒のときは重苦しい沈黙がのしかかってきたのに、ハリー殿下との無言の空間は穏やかな雰囲気だった。
わたくしは少し迷ったが、意を決してずっと訊きたかったことを尋ねることにした。
「ハリー殿下、いくつかお聞きしたいことがあります」
「どうしたんだい? そんなに改まって」
「前回の人生でわたくしがこの世を去ったあとのことです。その……やはり、男爵令嬢が王太子妃に……?」
殿下は少し黙り込んだあと、
「そうだよ」と、静かに答えた。
「そうですか……」
わたくしはゆっくりと頷いた。
当然と言えば当然よね。第一王子は男爵令嬢と婚約すると宣言したんですもの。
ただ、そうなるとグレトラント国――特に国王派と王弟派がどうなったか気がかりだわ。
王弟派はただでさえ王家の血に不満を持っているのに、王太子は下位貴族を妻にして、あまつさえその妻は最低限のマナーもなっていないとなると……。
「そのあと、国は乱れましたか?」
「あぁ……」
「左様でございますか」
「まぁ、そうなるだろ」
再び沈黙がわたくしたちを飲み込んだ。
たしかに国のことは気になる。自身の故郷ですもの。
でも、わたくしが一番訊きたいことは――、
「殿下は……」と、言いかけてわたくしは口を噤んだ。
――ハリー殿下は、前回の人生では幸せに暮らしましたか?
それだけを訊きたかったのに、にわかに怖くなってしまって、どうしても口を開けなかった。
「ロッティー?」と、殿下は首を傾げる。
「い、いえ。わたくしの死後の国の情勢が気になっていたもので……」
「ロッティーは真面目だなぁ」
「だって気になるじゃないですか」
「あはは、そうかもね。じゃあ、今度は僕から訊くけど……君は兄上たちに復讐をしようとは思わないのかい?」
「復讐、ですか?」
「あぁ。だって前の記憶では君は彼らに酷いことをされただろう?」
「それは……分かりません」わたくしは微かに震えだした手でぎゅっとスカートを掴んだ。「たしかに恨む気持ちもあります……悔しいし、彼らの不幸を願ってしまうときもあります。ですが……もう彼らと関わりたくない気持ちのほうが大きいかもしれません。もう、うんざりなんです。ただ、今回の人生ではヨーク家の名誉を守りたい。その過程でもし彼らの不正が暴かれたら、それは裁かれるべきだと思います」
「そうか」ハリー殿下は軽く息を吐いた。「復讐するのなら喜んで手伝うつもりだが、君が望まないのなら僕も今は防衛のほうに力を入れるよ。だが、彼らが今回も意図的に君を傷付けるようなら……僕は容赦しない」
「ありがとうございます」
「さて、ヨーク領で君を襲った賊だが、どうやら王弟派の上位貴族が絡んでいたようだ。だが残念ながら真犯人までは辿り着けなくてね」
「彼らも用意周到ですからね」
「あぁ。父上もかなり警戒している。僕も引き続き情報を得られるように尽力してみるよ。まだ学園にも入学していない未成年の第二王子にできることは限られてるけどね」と、殿下は肩をすくめた。
「そんなことないですわ。わたくしは殿下が味方でいてくださって頼もしいです」
「それは光栄だね。君は学園でも十分警戒してくれ。特に一人きりになることのないように」
「承知しましたわ」
「……兄上のことも、怪しい動きがないか秘密裏に探ってみるよ」
「お願いいたしますわ。わたくしも学園では念のため第一王子殿下の動向に注視します。ハリー殿下も無茶しないでくださいね?」
「分かってるよ……そろそろ時間だね」
ハリー殿下が窓を見やると、ちょうど馬車が停まった。
「ロッティー、もう一つプレゼント!」と、殿下は隣に置いてあった包みを開けた。「じゃ~んっ!」
「ふぁぁっ! チェリーパイ!」
「どうぞ、召し上がれ」
「ありがとうございますっ!」
「花束より嬉しそうだね」と、殿下はくすくすと笑う。
わたくしは矢庭に顔を赤らめて、
「そっ、そんなことないですわっ!」
「はいはい。そういうことにしておくか」
「もうっ! 違いますからっ!」
ハリー殿下は屋敷の玄関までエスコートしてくれた。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ。またね、ロッティー」
彼はおもむろにわたくしの右手を取って、
「っ…………!?」
軽く口づけをした。
「おやすみ」と、少しはにかんだ顔をして彼は去って行った。
わたくしはしばらく彼の乗った馬車を見つめたあと、そっと自身の右手の甲を取って軽く唇を触れた。
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