24 最後の収穫祭③
「そこまでだ」
ついさっきまで隣で聞いていた、まだ少し幼さの残る優しい声。
しかし今は激しい怒りが内包された氷のような冷たい声だった。
わたくしたちの目の前には麗しい狼男が立っていた。
「ハリー殿下っ!!」
わたくしは思わず叫んだ。嬉しさと安堵のあまり自然に涙が頬を伝った。
「で、殿下だぁっ!?」
男はさっきとは打って変わって慌てふためく。
「やれ」
ハリー殿下の冷淡な声が響く。すると、周りの騎士たちがあっという間に男を囲んだ。
「ひっ……!」
男は抵抗する間もなく騎士たちに拘束された。
「奥の小屋にも仲間がいました! 確保済みです!」
いつの間にか仕事を終えた騎士が殿下に報告に来た。
「それで全てか?」
「はっ」
「そうか。ご苦労だったな」
殿下はテキパキと騎士たちに指示を出していた。前回の人生でもほとんど見なかった王族としての凛とした姿にわたくしはドキリとした。
不意に、目が合った。
たちまち殿下はいつもの優しい表情に戻って、わたくしのもとへ歩いて来る。
「ハ……ハリー殿下……っ……」
止めようとしても涙は堰を切ったようにどんどん溢れてくる。
「遅くなってごめん、ロッティー」
殿下はゆっくりとわたくしを抱き上げて頭を撫でてくれた。ぽんぽんと心地よい音が頭上に響く。
「ハリー殿下……わたくしは…………」
「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
わたくしは目を閉じた。ハリー殿下の腕の中はとても暖かくて気持ちが安らいだ。
「シャーロット嬢、これを。開けてごらん」
「こちらは……!」
事件の後始末は秘密裏に終えて、帰りの馬車の中でわたくしはハリー殿下からプレゼントの箱をいただいた。
「ガラスペン!」
それは、あの出店で見たガラスペンだった。デザインは最後まで迷ったカメリアの花が描かれたものだ。
「残念だけど先に購入したものはもう使えないだろう? だから新しく買い直したんだ。これも僕と色違いだよ」
「ありがとうございます……! あ……せっかく贈ってくださったものを駄目にして申し訳ありません……」
「緊急事態なんだから仕方ないよ。むしろ、あのペンのおかげで君が逃げ出せて良かった。君がいなくなったと分かったときは血の気が引いたよ」
「本当に申し訳ありませんでした……。それにしても、よくわたくしの場所が分かりましたね」
わたくしが連れ去られた小屋は人気が少なくて目立たない場所にあった。探し当てるのはさぞかし大変だったと思う。
「あぁ、君の侍女が街中の怪しい場所を教えてくれたんだ。普段だと気に留めないような所をいくつも知っていて驚いたよ。あとは本職の騎士たちが動いてくれたのさ」
「そうだったのですね」
そういえばアーサー様から街を案内されているときにミリーも同行していたわね。彼女はそれを図面に起こして現地の使用人から聞いた情報も沢山書き込んでいたわ。
今日はわたくしが軽はずみな行動をとったせいで迷惑を掛けて本当に申し訳ないわ……次のお給金は弾まないといけないわね。
「今回の事件は箝口令を敷いてある。ありもしない君の醜聞が外部に漏れることはないだろう」
「本当にありがとうございます。軽率な行動をして申し訳ありませんでした」
「いいんだ、これくらい」
「王子殿下はわたくしの命の恩人ですわ」
「いや…………」
殿下は口に手を当てて黙り込んだ。
しばらく馬車の走る規則正しい音だけが鳴り響く。
「殿下……?」
わたくしは沈黙に耐えきれずに口を開いた。
殿下は意を決したように顔を上げて真っ直ぐにわたくしの瞳を見つめてくる。彼の澄んだ綺麗な碧い瞳に吸い込まれそうだった。
「君は……ロッティー……義姉様……なのか…………?」
「ハリー殿下……まさか、あなたも……?」
わたくしは息を呑んだ。
殿下も同じように黙ってただこちらを見ていた。
一瞬だけ二人を包み込む世界が静止したようだった。
「そ、そうか……君もか……ははっ…………」
殿下は力が抜けたように椅子の背もたれにずるずると身体を預けた。
「なぜ、そう思ったのですか?」
「僕が攫われた君と再会したときに『ハリー殿下』と呼んだだろう?」と、殿下はしたり顔をした。
「あっ……」
全然気付かなかったわ。あのときは必死だったから無意識にそう呼んでいたのね。一歩間違えたら不敬になるから気を付けなくちゃ。
「それで、君が王宮に来たときの態度を思い起こしたら合点がいったんだ。前の記憶では君は兄上に一目惚れをしていたし、それに君はもっと我ま――天真爛漫だっただろ」
「ふふっ、我儘で結構ですわよ? 事実ですから」
「ま、まぁ、あれだ。前の記憶と今の君が著しく異なっていたから気付いたんだ」
「そうだったのですね。気を付けて隠していたつもりなのですが」
「チェリーパイの前では無力だったようだね」と、殿下はくつくつと笑った。
「あっ、あれは仕方のないことなのです! というか、チェリーパイを出してくるなんて反則ですわ!」
「僕はチェリーパイを食べるロッティーの姿を見るのが好きなんだよ。普段は国一番の令嬢だって呼ばれているのにパイの前では年相応の少女に戻るところが、ね?」と笑って殿下は片目を瞑ってみせた。
「もうっ、殿下の意地悪!」
「はははっ!」
ハリー殿下はおかしそうに笑ったあと、矢庭に真顔になってまた真っ直ぐにわたくしを見つめてきた。
「ど……どうなさったのですか?」
にわかに鼓動が高まった。
嫌だわ、こんなに見つめられたら平常心を保てないわ。
「ロッティー、済まなかったっ!!」
殿下は地面に付きそうなくらいに勢いよく頭を下げた。
「えっ……!? で、殿下、頭をお上げください! い、意味が分かりませんわ!」
「前の記憶では僕は君を助けることができなかった! 本当に申し訳ない……っ!!」
「そんな! ハリー殿下のせいではありませんわ! あれはわたくし自身が招いたことでもあるのです」
「それは違うっ!」
「いいえ、違いませんわ。わたくしは前回の人生では公爵令嬢で王太子の婚約者というプライドが肥大化をして傲慢になっていたのです。自業自得なのです。ですから、そんなにご自身を責めないでくださいませ」
「ロッティー……」
殿下は泣きそうな顔でこちらを見た。わたくしは彼を安心させるように笑顔を向ける。
「前回の人生の出来事はわたくしには良い薬になりましたわ。以前の自身の振る舞いを反面教師にして今回の生を全うしようと思っております」
「僕は前の記憶の君も今の君も素晴らしいレディーだと思うよ」と、殿下も笑ってくれた。
「ありがとうございます。あと、本当に謝罪は不要ですわ。むしろ、わたくしはハリー殿下に一言お礼を申し上げたかったのです」
「お礼?」
「ええ。前回の人生でわたくしのことを最後まで庇ってくださったのはハリー殿下だけですわ。それに孤立していたわたくしに温かいお声を掛け続けてくださったのもあなただけです。それがどんなにわたくしの心の支えになっていたことか……。本当にありがとうございます」
わたくしは深々と頭を垂れた。
「いや……当然のことをしたまでさ。礼を言われることじゃない。顔を上げてくれ」
わたくしは殿下に向き直しニヤリと笑って、
「では、この話はもうお終いですわね。殿下ももうわたくしに謝らないでくださいませ」
「そうだな……。過去より未来のことを考えようか」
「はい。過去を悔やんでも仕方がありませんわ」
「君はこれからどうしたいんだい? その、兄上とは……」
「わたくしは第一王子殿下とは婚姻も婚約もしたくありません。モーガン男爵令嬢にリボンを付けて差し上げますわ」
「ははっ、逞しいな。よし、君の気持ちは分かった。微力ながら僕も協力しよう。今回は前のようにへまはしない」
「本当ですか!? 嬉しいですわ! 殿下が付いてくだされば百人力ですわ!」
「大袈裟だなぁ。とりあえずは君が王都へ戻るまで兄上との婚約話を進めないように尽力するよ」
「ありがとうございます」
「……なぁ、ロッティー」
「はい?」
殿下はしばし押し黙ってから、
「今回の人生では、僕と――」
「お嬢様、お疲れ様でございました! 屋敷に到着いたしましたよ!」
張りのあるミリーの声が馬車内に響いた。
「あら、もう着いたの? 今行くわ、ミリー。――あ、殿下、申し訳ありません。お話の続きを……?」
「いや、いいんだ。今度にするよ」
「左様でございますか。では……名残惜しいですが、わたくしは失礼いたしますわ」
「最後にエスコートくらいさせてくれ」
殿下はわたくしの手を引いて玄関ホールまで送ってくれた。
「ハリー殿下、今日は本当にありがとうございました。想定外のこともありましたが、とっても楽しかったですわ」
「僕も楽しかった。今日のことは外部に漏らさないようにするから安心して王都に来てくれ」
「はい。では、ご機嫌よう。また王都でお会いしましょう」
「またね、ロッティー」
こうして、王都へ戻る前の最後の収穫祭は幕を閉じた。
いろいろあったけど、ハリー殿下に一番言いたかったお礼を言えて本当に良かったわ。
それに、彼も前回の人生の記憶があるということがどんなに心強いことか!
わたくしはだんだんと未来に希望が差し込んできているような気がした。
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