22 最後の収穫祭①

 月日が流れるのは早いものであっという間に数年が経ち、いよいよわたくしも来年から王立学園に通うこととなる。


 アルバートお兄様とダイアナ様の関係は順風満帆そのもので、週に二、三度は会っているようだ。

 さしあたり学園の令嬢との浮気はないようで一安心。ダイアナ様からものろけ話をびっしり書いた手紙をいつも頂いている……読んでいるこっちが恥ずかしくなるくらいよ。

 お兄様の長期休みのときに二人して領地に来たことがあったけど、幸せ全開なオーラを燦然と放っていてもう目が開けられなかったわ。


 わたくしの婚約のほうは全く進展していない。縁談相手の三人と何度か手紙をやり取りしたくらいだ。

 そして三人とも未だ婚約者を決定していない。これは王都に戻ったら面倒なことになりそうね。

 お父様はわたくしが領地にいる間にほとぼりが冷めて他に婚約者を検討するだろうと思っていたようだけど、目論見は見事に外れたわね。一体どうするつもりなのかしら? このままのらりくらりと躱すことができるといいんだけど。

 お母様はいっそのこと全部断って自分の出身国の貴族に嫁がせてみてはどうかしら、と話しているみたいだ。わたくしとしては恋愛結婚が叶わないのなら、せめて誠実な人がいいわ。もう第一王子みたいな人は御免よ。




 今日は収穫祭だ。

 領地に来てから約3年、最後の収穫祭である。

 来年から学園に通うのでしばらく参加できないから、今日は気合を入れて仮装をしようと一月以上前から準備を進めてきた。

 前にダイアナ様とお揃いにした魔女の衣装を参考にして、今回は魔女の使い魔の黒猫の仮装をすることにした。

 黒いワンピースに猫耳と尻尾を着けて、肉球の付いたもこもこの猫の手袋をはめる。靴も猫の造形にしたかったけど、滑って歩きにくいのでお母様に却下されてしまった。曲がりなりにも公爵令嬢なので怪我は禁物なのだ。



「今年も凄い人ね。無事にお祭を迎えられて良かったわ」


「そうですね、お嬢様。今年もヨーク領は豊作のようですよ!」


「そうね」と、わたくしは満足げに頷く。

 お兄様は学問と平行して領地運営も手伝っていて、こちらも順調なようだ。このまま繁栄するといいけど第一王子との婚約話によってはどうなるか分からないわよね。注意しておかないと。




「可愛い子猫さん、よろしければ僕と一緒に今宵の宴を楽しみませんか?」


「えっ」


 振り返ると、そこには狼男が立っていた。

 月光に照らされた青みがかった銀色の毛に、真夜中の夜空のような深い紺色の鋭い瞳。合わせた銀色のタキシード姿は優美で、峨峨たる山に住む狼より室内で飼われている血統書付きの大型犬のような雰囲気だった。


「どちら様でしょうか」


 ミリーが守るようにわたくしの前に立った。


「あぁ、ごめんごめん。この顔だと分からないよね」と、狼男はおもむろに頭の被り物を取った。


「ハ……ヘンリー第二王子殿下!?」


「久しぶりだね、シャーロット嬢」


 わたくしは驚きのあまりぽかんと大きく口を開けてしまった。そんな間抜けな姿を見てハリー殿下は「驚きすぎ」とくつくつと笑っていた。


「だ、誰でも驚きますわよ!」


「あはは。そういうことにしておこう」


「本日はどうしてこちらに……?」


「あぁ、実は近くの領地へ視察に来てね。ついでにヨーク公爵領の有名な祭も見学しておこうと思って」と、ハリー殿下は片目を瞑ってみせた。


「ついでって……その被り物も……?」


 わたくしはハリー殿下の持つ狼の頭をまじまじと見つめた。

 とても精巧な作りをしていて、まるで本物の狼のようだ。庶民が仮装用に店舗で購入するような安価な代物とは作りが全然違うのが分かる。


「はっはっはっ! ばれたか! 実はこれは今日のために半年前から作らせていたんだ」


「まぁっ!」


 殿下ったらそんなに前から収穫祭を楽しみにしていたのね。これはヨーク公爵令嬢の腕の見せ所ね。王族の方にこのお祭の素晴らしさをアピールしなくちゃいけないわ!


「ヘンリー第二王子殿下、よろしければわたくしにご案内させてくださいませ」


「それは光栄だ」と、ハリー殿下は手を伸ばした。わたくしも手を差し伸べてエスコートを受ける。


「ではあちらの大通りからご説明しましょう」



 わたくしたちはゆったりとした足取りで屋台の並ぶ大通りを歩く。お互いの近況や王都の噂など他愛のない話をしながら出店を見て回った。

 ハリー殿下は前回の人生では気の置けない仲だったから、わたくしは隣に立つ彼の存在になんだか安堵してリラックスした楽しい時間を過ごしたわ。



「わぁっ、素敵なガラスペンだわ!」


 わたくしは屋台のガラスペンに釘付けになった。色とりどりの装飾のペンが並んでいる。


「見たことのない模様ね」


「いらっしゃい、お嬢ちゃん。うちのガラスペンは遠い東の国から仕入れた珍しいものだよ」


「まぁ! とっても異国情緒溢れる素敵な模様だわ」


 わたくしがうきうきしながらガラスペンを見比べていると、

「シャーロット嬢、よかったら僕からプレゼントするよ」


「で、ですがヘンリー第――」


「今日はただのヘンリーだ。お忍びだからね」

 ハリー殿下がわたくしの唇を人差し指で軽く押さえた。途端にわたくしは顔が真っ赤になる。

 な、なんて大胆なことをなさるのかしら!?


「……へ、ヘンリー……様…………プレゼントだなんて、恐れ多いことですわ」


「大したことないさ。今日のお礼だよ。シャーロット嬢はどれがいい?」


「そ、そうですわね……あっ、こちらにしますわ!」


 わたくしは奥に立て掛けてある赤い魚の模様のガラスペンを手に取った。清流を泳ぐその姿は涼しげでどこか儚かい雰囲気だった。


「可愛らしいね。僕もそれにしよう」と、ハリー殿下は色違いの青い魚が描かれたガラスペンを持つ。


「えっ……?」


「今日の記念のお揃いで買おうかと思って。……嫌かな?」


「とんでもないことですわっ!」


 わたくしは否定しようとぶんぶんと首を左右に振った。ハリー殿下はにこりと笑って、


「じゃあ決まりだ。このペンで君に手紙を書くよ」


「わたくしも頂いたペンでお返事を書きますね」


 お父様からは三人平等にって言われたけど、やっぱりハリー殿下はわたくしにとって特別な方だわ。少しくらいは贔屓してもいいわよね?



 わたくしたちは大通りを見終わって、今度はお祭のメイン会場の大広場を見物した。

 ハリー殿下は中央にある魔女のモニュメントやおどろおどろしい飾り付けが気に入ったようだ。

 わたくしは一緒に見物しながら領地に伝わる魔女の伝承や現代に繋がる薬学の話や領地の名産の話をしたが、現物がないと説明が難航することもあった。う~ん、もっと勉強して相手に上手くイメージを伝えられるようにしないといけないわね。


 そうだわ、ただ説明するんじゃなくて実際に領地の品を差し上げたらいいんじゃないのかしら? たしか近くに薬草の店があったはずだわ。


「ヘンリー様、提案があるのですが」


「どうしたんだい?」


「実はこの近くに先程ご説明した薬草を扱う店があるのです。よろしければいくつかお持ちしますわ」


「それは楽しみだ。では僕も一緒に――」


「いえいえ。近くですのでわたくしがすぐにお持ちしますわ! しばしお待ちを!」

 わたくしは挨拶もそこそこに駆け出した。せっかく領地に来て下さった王子のお手を煩わせるわけにはいかないわ。


「おい、待ってくれ」


「ヘンリー様はお祭の雰囲気を楽しんでくださいませ! ミリー、殿下をお願いね」


「お、お嬢様!」


 ミリーもなにか叫んでいたが、わたくしは早々に人混みに紛れてもう彼女らが見えなくなった。

 そのまま人の波に流されるままに前へ進んで、すんなりと目的の店に辿り着いた。数種類の薬草を購入して足早に店を出る。

 帰り道も人がごった返していて戻りの波に乗るのに苦労した。

 今日はお祭で人が多いからお忍びには最適ね。きっと誰もわたくしやハリー殿下が貴族や王族だって気付かないわ。そう考えるとちょっとおかしくて一人でくすくすと笑ってしまった。




 そのときだった。

 ぐい、っと誰かに袖を引っ張られた。


「えっ……」


 あまりの突然の出来事にわたくしは抵抗する間もなくずるずると物のように引きずられる。


「きゃっ!」


 そして、路地裏の暗い場所で乱暴に手を離された。

 勢い余ってつんのめる。

 顔を上げると、盗賊のような風貌の男たちがこちらを見下ろしていた。その獰猛な野生の動物のような雰囲気に圧倒されて、わたくしは身震いして声も出なかった。

 男のうちの一人がおもむろにポケットからハンカチを取り出してわたくしの口に当てた。


 次の瞬間、わたくしは意識を失った。

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