番外編① 『聖剣と禿頭とアッシュ』

 ——それは、万物を斬り裂く聖なる剣。

 幾多の魔を御した、誉れ高き至高の剣。

 この世のあらゆる防護は意味を成さず、かの物は闇を祓う宝具。

 『聖剣』。それこそ、擬人化娘として転生したシルティーナの、本来の姿である。

 

「へえ、凄いわねシルティーナ!」

 とある午後の日差しの心地よいその日。

 アッシュルナ皇国の拠点である小屋で、シャルナが褒め称えた。

「どの食材も均等に切られていて丁寧。それに皮も全部剥かれているわ。食器の扱い方といい、最初の頃に比べて、ずいぶん調達したわね!」

「ふふ、ありがとうございますシャルナ様。わたしはこう見えて聖剣の化身。長らく人間の営みを見てきましたから、料理を覚えるのも早いのです」

 小気味良い音を奏でながら、シルティーナが木製のまな板の上で食材を切っていく。

 まるで姫のような白い衣装の少女だ。華やかな踊り娘のような可憐さも併せ持つ彼女が料理する姿はとても絵になり、見る者を心躍らせる。

「ジャガイモもニンジンも、ナスも全て完璧。聖剣から転生したのは伊達ではないわね」

「はい。わたし、斬ることに関しては誰にも負けません」

 確かな自負を見せるシルティーナ。銀色の髪がゆっくりとなびく。

 シャルナがふと言った。

「惜しむべくは、『聖剣』でまな板の上で、野菜とか切ってる光景が、めちゃめちゃシュールなことだけど」

「……何か問題が?」

 シルティーナは涼しい顔をして尋ねる。

「魔王討伐にも使われた聖剣が、ジャガイモ切りとかに使われているとか、歴代の英雄さまが見たら何て思うのかしら」

「ふふ、そんなこと」

 シルティーナは軽やかに聖剣を操りながら笑う。

「シャルナ様が英雄にどんな夢をお持ちか判りませんが、英雄も人間ですよ? 家庭的な面もあります。——例えば三代目魔王を討ち取った英雄、ワルドー王は、料理の時に聖剣わたしを使い、スパパパッと魔物の肉を斬り裂いていました」

「ええ……!? まず国王が自ら料理するのが意外だし、魔物の肉食べていたの!?」

「ちなみにワルドー王は面倒くさがりで、森の邪魔な草刈りも、料理の切り分けも、全て聖剣わたしを使っていましたね」

「食材切った剣で倒されるとか魔王って哀れ……」

 シャルナが何とも言えない表情で呟いた。

 ちなみに擬人化娘は、自分の元となった物を一時的に複製し、活用が出来る。

 シルティーナの場合は万物を斬り裂く『聖剣』を具現化。彼女はまな板ごと斬らないよう、絶妙に手加減して剣圧だけで斬っている。

「ふふ、まあ英雄なんてそんなものですよ。——おっと、そろそろ時間ですね、急ぎましょう」

 昼食と定めていた時間が近づき、シルティーナが聖剣を操る手を早める。

 スパパパッと、まさに達人、というより常人には視ることすら出来ない、凄まじい速度だ。

「すごいわ……さすがシルティーナ……聖剣の生まれ変わり……すご……ってあの……? ちょっと早すぎない? 早すぎるわ!? 目で追いきれないほど速いんだけど!?」

「ふふっ、不肖、聖剣のシルティーナ、切断にかけては右に出る者あり得ません。どんな物も、紙切れのように切断してご覧に入れましょう」

「待って! シルティーナドヤ顔してないでまな板を見て! まな板! 手元が怪しくなってる!」

「何を言いますか。わたしが切断でしくじることなどあり得ない————あ」

 そのとき、シュッとシルティーナ聖剣が、手からすっぽ抜けて、シャルナの頬の近くをかすめた。

 風圧と、煌めく刃が通り過ぎて髪の何房かを切る。

「ひゃああああああ!? だからシルティーナ! 言ったじゃない! わたしの顔かすめた!」

「申し訳ありませんシャルナ様。油断しておりました。まさか、トマトの水分で滑ってすっぽ抜けるとは……」

「も〜〜っ、危うくわたしの首飛んじゃうところだったわ! ほんと、危ないわね……」

「一応、すっぽ抜けてもシャルナ様の顔には当たらない角度で料理はしておりましたが」

 シャルナは物凄く疲れた声音を吐いた。

「もう疲れたわ……わたしデュラハンみたいな首なしになるところだった。本当に危な……危……、……っ!?」

「どうしましたか、シャルナ様?」

「あの……シルティーナ……あれ……あれ見て……」

 シャルナの言葉に、シルティーナがそちらの方へ首を向ける。

 部屋の片隅、そこでは——『アッシュ』が休憩のため寝ていた。

 彼はこの国の皇帝だ。ゆえに諸々の雑務に追われ、先ほどようやく作業が一段落して、英気を養うため仮眠していたのだが——。

 

 ——シルティーナの手から飛んだ聖剣が、アッシュの頭頂部の『髪』をザクッと伐採して、彼はハゲてしまっていた。

 

「きゃあああ〜〜〜!? アッシュ————っ!?」

 シャルナが悲鳴を上げた。

 シルティーナが凍りついたように固まっていた。

「アッシュ! アッシュの! 頭が!? 頭頂部が! きゃ〜〜、聖剣で髪が!」

「これはいけません。このシルティーナ、一生の不覚です」

「なにやってるのなにやってるなにやってるのシルティーナ——ッ!」

 シャルナはシルティーナの方をゆっさゆっさと揺さぶる。

「アッシュの頭、とんでもない状態になったじゃない! あんな……あんなの……っ」

「ふむ、アッシュ様はハゲても、なかなかの美男子なのですね」

「そうじゃないから! そんなこと言ってる場合!? いや、意外と変ではないし……むしろ格好良い方だと思うけど……これまずいわ!?」

 シャルナはもはや半泣きだ。

「どどど、どうすればいいかしら!? 彼が起きたらやばいわ、シルティーナ何か策を!?」

 シルティーナは優雅にあごに手を添えて呟いた。

「そうですね……このままでは目覚めたら、アッシュ様が憤怒するのは明白。ゆえにそうならないよう……ん? それはそれで楽しいかも」

「シルティーナぁぁぁぁぁ! 馬鹿言ってるんじゃないわ! なんとかして!」

 シャルナはシルティーナの方をさらにゆっさゆっさゆっさと強く揺さぶる。

「落ち着いてくださいシャルナ様。策ですか……睡眠薬でも飲ませ続ければ三日くらいは保つのでは?」

「保たないわよ! そんなことしたら起きたとき、余計アッシュ怒るでしょ! ああどうしたら……っ!」

 アッシュは椅子の上で奇跡的に聖剣の貫通は免れて眠っている。

 しかし彼の見事な左右非対称な髪はもはや見る影もなく、頭頂部はほぼ地肌。つまり有り体に言って、ハゲと言える有様だ。

 今でこそ「ぐがーぐがー」といびきを立てて寝ているが、起きて鏡を見た場合、彼が激怒するのは明らかだった。

「とにかく鏡よ! この小屋……いえアッシュルナ皇国中にある全ての『鏡』を隠さないと!」

「はい。——とりあえずこの部屋にある鏡は布で隠しました」

「後は他の部屋ね! アッシュが起きて寝癖の確認するために、『鏡貸してくれ』って言っても良いように、わたしの部屋のも隠さないと!」

「あれですか? 確かアッシュ様の肖像画が描かれた素敵な鏡ですね?」

「なんでわたしの部屋の鏡知ってるのー!? じゃなくて、シルティーナも隠して! ほら、早く応急処置として鏡隠して! あと皆に、このことを秘密って知らせて!」

 そうして三十分後が経った。


「……とりあえず、鏡の隠蔽と皆への告知は出来たわ。問題はアッシュの髪、どうすればいいかしら」

「わたし、名案があります。カツラを作り、それをアッシュ様の頭に被せては?」

「数分でバレるから却下! もっとマシな案を出して!」

「では、やはり睡眠薬を飲ませ続けましょう。眠るアッシュ様、なかなかに絵になりますし」

「アホなこと言ってないで、あなたの髪も切っちゃうわよ!?」

「そ、それだけは勘弁を……」

 そのとき、アッシュが身じろぎして、大きなあくびをして立ち上がった。

 少女二人はビクリッと振り返る。

「ふああ……よく寝た。——おい、昼飯ってもう出来てるのか?」

「シルティーナ、子守歌を!」

「らりほ〜らりほ〜」

 アッシュは不思議な旋律に誘われ、夢の世界へと旅立っていった。

「窮地は脱したわ! でもどうしよう……っ!? アッシュ、このままじゃいつか起きてしまう! その度に子守歌なんて出来ないし……」

「いえ、わたしでしたら一晩中アッシュ様のそばで歌っても、大丈夫ですが」

「も〜〜〜、ふざけてないで! 根本策を何か考えて!」

 いびきを立てるアッシュの傍ら、シルティーナとシャルナはあーでもないこーでもないと論議を交わす。

 昼飯の時間はとうに過ぎ、そろそろお腹の虫も「食わせろ」と鳴き始めた頃。

「……育毛剤を買いましょう」

 シルティーナが唐突にそんなことを言い出した。

「付近の街に行って、強力な育毛剤を買うのです。そうしてアッシュ様の頭髪を復活させ、万事解決です」

「そんな簡単にいく? 都合良く即効で生えてくる育毛剤なんてあるかしら? 少なくとも、わたしは聞いたことないけど……」

「以前、ディートリッヒの要塞に攻めたでしょう? そのとき、大量の財宝を持ってきましたよね? その中から特別な育毛剤があるか探し出し、アッシュ様に使うのです」

「そんなピンポイントで便利な育毛剤あるかしら……ディートリッヒって確か武具とか金銀ばかり集めてたような……」

 アッシュが再び起きた。

「ふああ……よく眠った。おい、昼飯ってそう言えばまだなのか——」

「「らりほ〜っ! らりほ〜っ!」」

「ぐがー、ぐががー」

 シルティーナとシャルナが力を込めて歌い、アッシュは糸が切れた人形のように再び眠りについた。

 一息つき、シルティーナが言葉に圧を乗せて語っていく。

「諦めてはなりませんシャルナ様! あるかもしれないではないでしょう、育毛剤! あれだけロクでなしだったディートリッヒです、育毛剤の一つや二つ持っていたかもしれないではないですか!」

「そうかなぁ……わたし、絶対にないと思うけどなぁ……」

 不安そうにシャルナはそう言いながらも、倉庫部屋に行き、シルティーナと一緒に育毛剤を探しだした。

 

 五分後。

「あった! あったわシルティーナ!」

「え。本当ですか?」

 宝物庫と化した部屋の中。シャルナが財宝の山から救世主でも見つけたかのような声音で叫びを上げる。

「本当よ! だって書いてあるわ。『強力! 大賢者ディアギス製の育毛剤! これであなたの頭髪も全盛期に復活だ!』って大きく目立つように!」

「……あの。大賢者ディアギス様って、確か初代魔王を倒した大賢者様ですよね? なぜそんな方が育毛剤を? ……本物なんでしょうか?」

「なんでもいいじゃない! ディートリッヒの宝物庫には聖盾ミリー聖短剣ユリーハもあったわ! だから凄い育毛剤があっても不思議じゃないでしょう?」

「いえ、大賢者様の名を借りた商品だけのような気が……しかし選り好みしてる暇はありませんね。そうですね、では早速使いましょう」

 シルティーナとシャルナは、念の為、使い方の部分を良く確認した。

 そして人体には悪影響がないと判ると、アッシュに使用していく。

「では、アッシュ様の頭に振りかけます」

 シルティーナがアッシュの頭頂部に育毛剤をかける。半透明の液体がドボドボと彼の頭に降りかかり一瞬で頭部に染み込んでいく。

 輝くアッシュの頭。まばゆい光がきらめき、星々のような神秘的な光が部屋を満たしていく。

「おおっ! さすが大賢者様の育毛剤! 偽物かと思いましたが、これなら……っ」

「元通りに戻るはず! よ、良かった……一度はどうなるかと……」

 そして一分後。無事に光は収まり、アッシュの髪は元通り。

 まるで何事もなかったかのように生え揃った。

 

 そして遅い昼食。

「ん。今日の料理は美味いな! さすがシルティーナ、見事な腕前だ」

「お褒めに預かり光栄ですアッシュ様。料理も戦闘も——わたし、失敗しませんので」

「……」

 シャルナがジト目でシルティーナの方を見ている。

 銀髪の聖剣使いは、涼しい顔でそれを受け流した。

「それにしても美味だな! 今日の昼飯は、少し時間帯が遅いがどうでもよくなるくらい美味い! まるで、何か失敗したことを挽回するために頑張ったかのような美味さだ!」

 ビクリッ、とシルティーナとシャルナは反応したが、動揺を押し隠した。

 そして互いに「言わないでよ」「もちろんですとも」と、アイコンタクトを交わす。

 やがてアッシュが全ての料理を平らげ、ナプキンで口を拭く。

「ふう、美味かった。シルティーナ、お前の花嫁スキルはばっちりだな」

「ふふ、光栄です。戦闘のみならず食事もアッシュ様のお役に立つよう、さらに精進します」

「(……なんか、いつもと少しリアクションが違うような? まあいいか) そうか、それなら頑張れ。俺は自室で作業に戻るから」

「はい、わたしも片付けを終えたら皆と鍛錬をします」

 アッシュが部屋から出ていき、シルティーナとシャルナはテーブルの上に身を投げ出した。

「つ、疲れたわ……」

「わたしもです。いつ感づかれるか冷や冷やしました」

 不照りして顔を見合わせ、「ふふ」と頬を緩めていた。

 

 

 ——その数分後。宝物庫にて。

「あれ? 日課の宝物庫の見回りしてたら、床に何か落ちてるのです?」

 聖盾の娘、ミリーが、床に落ちていた羊皮紙を拾っていた。

 そこには、達筆な字でこう書かれていた。

 

【大賢者ディアギスがここに書き記す。

 私は、薄毛に悩む弟子のために強力な育毛剤を調合した。

 これはとても素晴らしい効力で、使用者の髪を全盛期にまで戻す効果がある。

 だが副作用として、胸毛、足毛、尻毛、その他陰毛など、『あらゆる毛が、異常増毛する』難点がある。

 ゆえに、使用する際は、よく注意すること』】

 

「うーん、達筆過ぎてよく読めないのです。あとで誰かに聞いてみるのです」

 そうしてミリーは鍛錬に勤しみ、そのことを忘れた。

 


 ——そしてその日、しばらくして。

 風呂場で体を洗おうとしたアッシュが、自分の体の毛を見て「なんじゃこりゃああああああああああ!?」と、大きな悲鳴を上げて、少女たち皆が飛び込んでいった。

 そして駆けつけた擬人化娘たちからアッシュは事情を聞き、全てを把握。シルティーナとシャルナは、アッシュから雷を落とされまくった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

※本エピソードはカクヨム限定公開となります。専門店特典SSとは内容が異なります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る