3 死に急ぎたい男
朝日が昇り、街にすっかり陽の光が行き渡った頃、カーテンを閉めたままのその病室内は薄暗かった。
カーテンレールに延長コードを通し、痩せこけた初老の男は迷っていた。
吊るべきか、否か。
延長コードを見上げる男の背後で、死神のガクはベッドにあぐらをかき、膝に頬杖をついてそれを眺めていた。
「で?なぁーんでお前がいるんだよ。ホノカ。」
ベッドの背後のソファに腰掛ける、女の死神へ声をかけた。
「あんたこそ何してんのよ。これあたしの案件よ?」
女はガクと同じように背中に漆黒の翼を生やし、黒髪ロングのストレート、前髪は定規を充てたかのように垂直に揃っている。
黒いタイトスカートに黒いジャケットと、黒いピンヒールを履き、白く長い生足を組みながらガクの背中へ言葉を投げかけた。
「いや、どー見ても俺のでしょ。ホノカは病死専門だろーが。この男は今から吊るの。自殺だろーがよ。」
「いぃえ、このおじさんは末期ガンなの。そろそろあたしのお迎えの時間よ。」
「いやいや、ガン細胞の勝利より先に吊るぜこのおっさん。」
2人の死神がそう押し問答していると、初老の男はため息をつき、ベッドに向いフラフラと力なくガクの隣へ腰掛けた。
まだ路頭に迷う男はそのまま頭を抱え俯いている。
男にはまだ、死神の2人が見えていない。
「ほらー、あんた簡単に吊るだの自殺だの言うけど、人間そんな弱くないんだからね?」
「どーだかねぇー。まだ迷ってるみたいだけどー?」
「だいたいこのおじさんから魂取ったって大したエネルギーなんか残ってないでしょーが。」
「いや、それがさ、あの世ではそんな少量のエネルギーすら喉から手が出る程必要なのだよホノカくん。」
「それあんたがサボってるからでしょ。」
「あは♡バレた。」
「そろそろホントに干されるわよ。」
「それよりホノカちゃん、今晩俺とどぉっすか?」
「まぢで干されろ。」
そんなやり取りをしているうちに、男はまたゆっくりと立ち上がった。
もはや生気のない白い顔で、男は延長コードを震える手に取り、遂に首へかけ始めた。
「はいー、俺の出番ー。」
「ちょっと、無理矢理持ってくんじゃないわよっ?」
「はいはいちゃんと仕事はしますよー。」
体をダラりと、男が首に体重をかけた瞬間だった。
「死ぬんすかー?」
男はいつの間にか床から少し宙に浮き、くい込み始めていたはずのコードから首が離れている。
「なっ...なんだあんたっ!」
「どうもー、俺、死神のガクでーす。」
ベッドの上であぐらをかき、ニッコリ笑う翼の生えたガクに男は驚いている。
その声は張り上げているつもりだろうが、掠れて聞き取りづらい。
「し....死神っ?ふざけるなっ...いつの間に入って来たんだあんた!」
「ん。何分か前に。
それよりおっさん、そのコードで死ぬの?カーテンレール折れちゃうんじゃねーかなー?
俺的にはこっちの壁のコート掛けにした方がいんじゃねーかと思うんだけど。」
「なんなんだよあんたっ出ていけっ!」
「だーかーらー、俺死神なの。おっさんが死にそうだったから迎えに来たんだよ?魂をね。」
男は驚きながら返す言葉に困り、ただただガクを見下ろしている。
「それにほら、おっさん、あんた宙に浮いてんぞ。」
ガクに指差されて足元を見ると、確かに地に足が着いていない。
「...っ...な....」
「俺が時間を止めたんだわ。」
「そ...んな...ホントに...死神なのか...。」
「っそ、正確には自殺専門死神。
あんたみたいな自殺志願者の前に現れるわけ。
だからおっさん、死ぬならその魂俺に預けてくれよ。あんたの許可がないと持って帰れないんだよねぇ。」
あざとく困った風な顔をして見せ、ガクはあぐらをかいたままスラックスのポケットに手を突っ込んだ。
「おっさん、あの世ってのはさ、すぐにでも生まれ変わりたい魂たちがひしめき合ってんだ。
その魂たちが生まれ変わるには、エネルギーが必要なんだよ。
そのエネルギーっつーのが、あんたみたいな途中リタイアした魂だ。
残りの寿命を生きられるエネルギーを残してるわけだからねぇ。
俺はそんな魂を回収するお仕事してんのよ。」
「............。」
理解したのか出来ないのか、男はまだ現実を受け止められないでいるようだ。
「そんなわけで、だ、魂もらっていい?」
そんなやり取りの様子を、ホノカはソファでイライラと眺めていた。
────あんなろ...まぢで持ってく気かよ...このおじさんの寿命なんてあと一日程度しかないのに....鬼畜がっ....。
するとガクは、ホノカをチラりと振り返って見ては、意味ありげに口角を上げた。
ホノカはギョッとしながら眉を顰めた。
「ところでおっさん、首吊りもいいが、あんたの寿命はいくばくもないぜ?
なのにわざわざ吊りてぇのか?」
延長コードの掛かるカーテンレールを見上げながら言われた死神のその言葉に、男は落胆し肩を落とした。
「.......そうか....いくばくってどんくらいだ.....俺は一刻も早く家族を楽にしてやりてぇんだ....。」
「さぁなぁ?あんたが病死を選ぶなら、そのうち他の死神が迎えに来てくれんだろーよ。」
そう言ってガクはまたニヤリとホノカに視線を送る。
─────ちっ!いちいちエロい顔向けんな馬鹿!
ホノカは舌打ちし、組んだ足の膝に頬杖をついて2人のやり取りを眺めていた。
すると男はまたポツポツと話し始めた。
「.......こんなんなっちまってよぉ...1人じゃ何も出来ねぇで....世話ばっかりかけてよ、荷物でしかねぇじゃねぇか。
どうせもう治りゃしねぇんだ。こんな重りはさっさといなくなっちまった方が.....」
男が俯きながらそう言い終えかけた頃、ガクがそれを遮るように話し始めた。
「馬鹿だろおっさん。荷物だなんて誰が言ったんだよ。被害妄想散らかしやがって、てめぇん中だけで片づけてんじゃねーぞ。」
突然の罵倒に男はガクを見上げた。
「なぁおっさん、あんたの嫁、毎日家で何してるか知ってっか?」
男は死神が突然何を話し出すのかと不思議そうにしている。
「嫁さんはさ、あんたが退院したら快適に過ごせるようにって部屋準備してさ、何食わせりゃいいかってガンにいい食品勉強して、まだ帰ってきてもねぇのに嬉しそうに寝床作ってさ、気が早ぇよなぁ。」
ガクはその白い八重歯が見えるほどにやりとした笑顔で続ける。
「娘だってもう遊んでばっかいるガキじゃねんだ。あんたの為に取得した栄養士の免許証見せに、あと30分もしたら嫁とここへ到着するだろうよ。」
男は目に潤みを持たせ、虚空を見つめたままガクの声に耳を傾けている。
「そんな2人がここへ到着してあんたの訃報を聞いたら、落胆どころじゃあねぇんじゃねぇかなぁ。」
死神だと言う割に、その低音で穏やかな声は、男を何かで包み込むような温かさだった。
「なぁ、どーせあとちょっとしかねぇ人生ならさ、こんな暗いとこで、こんなくっだらねぇことしてねーで、何を話すわけじゃなくたっていんだ、最後まで家族と過ごしたらいーんじゃねぇのか。
荷物か何か知んねーけどよ、そんくらいやったってバチなんか当たんねぇだろ。」
口は悪いが、男の冷えきっていた心を揺さぶるには十分な文句であった。
遂に溢れ出した涙を拭いて、男はゆっくりガクと目を合わせ、口を開いた。
「あんた....俺を連れて行かなくていいのか....迎えに来たんだろ...?」
「言ったろ、おっさんの許可がなきゃ連れていけねぇ。」
「.........そうか......」
そしてガクはまた、目線を逸らし一点を見つめる男に言った。
「じゃあ、最後にもっかい聞くよー?」
遅かれ早かれいずれは訪れる時間。
急ぐ必要なんてなかったんだ。
どうせやってくる最後の時まで、
欲しいもん求めたっていいじゃあないか。
男はそう思いながら、ふっと微笑んだ。
「死ぬんすかー?
免許証、見てやるんすかー?」
男は痩けた頬を思いっきり持ち上げ、今出来る限りの笑顔を見せた。
「免許証、褒めてやりますよ。」
────────────
3人揃った病室の窓から飛び立ち、上空へ翼を羽ばたかせる2人の死神はしばらく無言だった。
それを先に破ったのはホノカだった。
「ねぇ、ガク......。」
「ん。」
「あんた....」
「ふっ...なになに?俺と遊ぶ気になった?」
「だから営業成績悪いんじゃない?」
「あ。それ言っちゃいます?」
「あんなの...繰り返してたらそりゃそうでしょ...。」
「そぉなんだよねぇーいつまで経っても収穫がないよねぇ。なぁ、クビになったら死神って死ねるのかな?」
「知らないわよそんなの...。」
「あーあー。死にてぇよ俺もー。いつになったら死ねるんだろ。」
「........死ねないわよ。分かってるでしょ。」
「へーへー分かってますよ。つか病室いなくていいのか?」
「あんたが作った時間が終わるまであたしは邪魔者でしょうが。」
「あは、ごめんホノカちゃん、そのツンデレ感も好きよ、俺♡」
「黙れ変態が。」
こうして2つの黒い翼は、青い空の遥か上空へと吸い込まれるように消えていった。
人間にはどうしようもない苦の瞬間がある。
金銭での失敗。
男女関係のモツレ。
自分以外の人間を傷つけた時、また殺した時。
そして、生きていることへの負い目。
それが自ら命を絶つ死へと発展してゆくなら、是非協力してやってほしい。
死神屋さんのガクさんに。
アナタの力で生を受ける魂たちに。
TO BE CONTINUED…
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