12:坂道

 今回、Xが降り立ったのは、草一本生えていない、殺風景な丘のふもとだった。重たい曇り空の下、暗色の土の上に、白いタイルで舗装された細い道がゆるやかな上り坂を描いていた。

 Xはサンダルでタイルを踏み、坂道を上り始める。Xの歩幅に合わせて風景が後ろに流れていくが、進んでも進んでも、周囲の景色は変わり映えがしなかった。どこまでも続く、暗い丘と暗い空。時折、雲間に稲光が走ることで、辺りが一瞬だけ明るくなることはあって、もしかすると、もうすぐ雨が降り出すのかもしれなかった。

 その時、不意に、Xの聴覚と接続されているスピーカーから声が聞こえた。

「また、変なところに迷い込んだものね、旅人さん」

 つい、と。Xの視線が声の方向に向けられる。

 そこには黒いドレスに身を包み、先が尖った帽子を被った女が、箒の柄に横座りをして浮かんでいた。おとぎ話に出てくる「魔女」そのものの姿をした女は、Xに向かってにこりと微笑んでみせる。

 魔女。……そう、魔女、だ。

 Xがこの女と出会うのは――つまり、私たちがこの女を観測するのは、これが初めてではない。初めてではないが、我々がこの女について知っていることはそう多くない。見た目どおりの「魔女」を名乗り、不可思議な力を操る存在。

 私たちのプロジェクトが、あくまで限定的な形でしか『異界』を観測できないのに対して、この女はいたって自由気ままに『異界』を渡り歩いているらしい。おとぎ話に語られる魔女も、おそらくはこの女のように『異界』を自由に行き来できるような存在だったに違いない、と私は考えている。もちろん、これは仮説に過ぎないが。

 Xは「どうも」と挨拶すると、軽く首を傾げる。

「この『異界』について、何かご存知なのですか」

「そうね。この『異界』は、鏡のようなもの、って言えばいいのかしら」

「鏡……?」

 言われている意味がわからなかったのは、Xだけでなく私も同様だった。鏡、と言われても、この殺風景な丘が一体何を映しているというのだろう。そんな言葉にならない問いかけを受け止めたらしい魔女は、箒の上からXを見下ろす。

「そう、ここの風景があなたの目にどう映ってるか、私にはわからないけれど、それは、『あなた自身』から生み出された風景。心象風景であったり、過去の象徴であったり、未来の暗示であったり、ね」

 つまり。

 この、暗く沈んだ空と不毛の丘が、Xという人間を示しているというのか。

 Xは「なるほど?」と返事をして、辺りを見渡す。どれだけ見渡したところで、Xの目に映る風景が変わることはなかったのだが。

「随分、寂しい場所ですね」

「そう、残念。面白い場所かなって期待してたんだけど」

「……あの、私のこと何だと思ってます?」

 少々不服そうなXの声に対し、魔女はきゃらきゃらと笑いながら箒の先端を丘の上に向ける。Xもまた、歩を進め始める。白いタイルの上を、一歩、また一歩。

 何故黒い丘の頂上に向けてタイルで舗装されているのか、それにも何らかの意味があるのか、いくつもの疑問符が浮かぶが、明快な答えを与えられることがないまま、Xは長い坂道を、それでも疲れを感じさせない足取りで歩んでいく。

 その横を飛ぶ魔女の目には果たしてこの空間はどう映っているのだろう。聞いてみたい気持ちもあったが、何しろ『こちら側』の私の声は『異界』までは届かない。故に、口を閉ざして前に進んでいくXの視界を追うことしかできない。

 やがて、どこまでも続くように見えた坂道にも「果て」があることを知る。どうやら、丘の頂上にたどり着こうとしている、ようだ。

 それに気づいたXの歩調も自然と速くなる。「あら」という魔女の声を置いて、ほとんど駆けるようにして、最後の坂道を一気に登りきって。

 そこ、には。

 少し遅れてXの横に並んだ魔女が、あっけらかんと問いかけてくる。

「何が見える?」

 その問いに対して、Xはぽつりと言った。

「何も、ありません」

 そう、何も無かった。

 タイルの道はそこで途絶えていて、サンダル履きの爪先が半ば宙に浮いている。切り立った崖――のように見えるが、果たしてそれが正しい表現なのかもわからない。とにかく、丘も道もない、吸い込まれそうな虚空が目の前に広がっていたのだ。

「心象風景、過去の象徴、未来の暗示」

 Xは、先ほど魔女が言った言葉を繰り返して。

「確かに、そうかもしれませんね」

 灰色の雲に覆われた空の間に、何度目かとなる稲光が走る。その瞬きを見つめながら、Xは言うのだ。

「これが」

 ――私の未来、なのでしょう。

 Xの声に感情の色はなく、ただただ、淡々として。

 その時、視界に、ぽつりと雨が落ちた。

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