ep.2 模範対応

「大変お待たせ致しました。この度はご不運でしたね」


「ご不運? 何をいってるんだ、店長さんよ。まさかこれをハプニングとでも言い切るつもりか?」


 結婚指輪はない。顔は魚に似ている。無論不細工だ。恐らく独り身だろう。


「ええ。灰原様にはそのようにご説明差し上げたと、先ほどの若宮が申しておりましたが」


「そんなもん、ホントかどうか分からんだろうが」


「恐縮ですが灰原様、私ども嘘は申しません。本命の物件がやけに安価であることを不自然に感じた若宮が、能動的に確認を取りました結果判明した事実でございます」


 申し訳ないことに、この発言の中には嘘しかない。


「ふん。どうだか」


 そう言いながら緩めたネクタイは、先日ショッピングモール内にある紳士服店の格安ネクタイコーナーで三本二千円の棚に並んでいた量産型と同一だった。


 独身で部門責任者。部門責任者は総支配人の一つ下、次期店舗責任者である。年収は優に一千万を超えるだろう。なのにネクタイは三本二千円のそれだ。脳内でケチ野郎に分類する。


「我々と致しましては、どうにかして灰原様のお眼鏡に叶う物件を探し出したいところでございます。しかしながら、基準が事故物件となりますとそれは困難を極めるところでして」


「そんなもんどうにかしろ。こっちははるばる北海道から来てるんだぞ。この物件を内見するためにな」


 なるほど。これはタカリだ。交通費の請求、さらにはホテル宿泊費の請求まで視野に入れなければならないかもしれない。


 テンザン経理部の財布の紐の固さは、一般的な鬼嫁のそれの比ではない。集めるものはダイソンの掃除機の如く掻き集め、貯め込んだものは超合金でできた貯金箱の如く吐き出さないのだ。


 届いた稟議書に難癖をつけては突き返し、経理部と顧客の間で悶え苦しむ店長を冷却材として客の怒りの鎮火を待ち続けるに違いない。そんな板挟みを苦にして辞めていった人間を、これまで厭というほどに見てきた。あいにく俺に、板の間で悶絶する趣味はない。


「北海道からでしたか。埼玉はミカドさんの本店所在地でしたよね。たしか三橋が」


「俺はそこの部門責任者だ」


「左様でございますか。となると、今回はご栄転ということでしょうね」


「周りはそういっているが、そんなもんは俺からすればどうでもいいことだ」


 顔から自尊心がうっすらと漏れ出している。どうやら扱いやすい人種であるらしい。しかしこの男は「出る杭」だ。出る杭は打たれる運命にある。


「となると、大山総支配人の右腕になられるということですか」


 灰島の顔から険が抜ける。サラリーマンの習性というやつだ。


「……よく知っているな。大山さんもこの店に?」


「ええ。お部屋探しは当社の方で。そのときは私が担当させて頂きました」


 これは嘘だが、恐らくバレることはないだろう。大山の名前を聞いた灰島は、高圧的な態度を弱めると同時に、ほんの一瞬だが畏縮の反応を見せた。気軽に連絡を取り合うような間柄ではないはずだ。むしろ、灰島は大山に怯えているのではなかろうか。


 ミカドフーズはさいたま市の三橋に本店を構える食料品販売の最王手だ。俺の自宅は、その本店から徒歩数分の位置にある。何を隠そう、俺は本店兼店舗となっているデリシャスミカド三橋店の常連客なのだ。


 先日同店の総菜コーナーで天ぷら詰め合わせを購入した俺は、その天ぷらの衣の中にとあるものを発見していた。小型のゴキブリだ。調べてみたら、どうやらチャバネゴキブリというやつであるようだった。

 

 その種は一匹見たら数十匹いると思えといわれる代表格であるらしく、店舗側を窮地に追い込むには十分すぎる発見であることは明らかだった。


 その際に謝罪の矢面に立ったのが大山だ。その横にいたのは、恐らく灰島の前任者であろう水田という名の人間だった。


 憐れむべきことに、その顔には恐怖心しかなかった。俺に対してではない。隣に立つ、不動明王の如き大山を恐れ戦いているのは間違いなかった。


 大山の顔。あれは間違いなくパワハラを常としている人間の顔だ。恐らく灰島は、そんな大山の下で働くことに戦々恐々としている。これを利用しない手はなかった。


 ミカドフーズの社員が部屋探しを行う際、本来のルートではその社員がうちの店にはやってくることはない。ミカドフーズの法人契約案件においては社宅代行会社が一枚噛んでいて、転勤発令時の社宅手配はその社宅代行会社に集約されるためだ。


 テンザンエステートなどという得体の知れない不動産業者が入り込む余地は、本来そこにありはしない。


 では、どうやってその牙城を崩すのか。その方法の一つとして、今回対灰島に用いたおとり広告が上がる。


 事故物件を事故物件として募集すること自体に罪はなく、問題は担当の若宮がマイソク資料に細工を施している点にあった。備考にあった「告知事項あり」という文言を、きれいさっぱり抹消しているのだ。


 とはいえ灰島の方にも落ち度はある。厳正なる法人契約の規定をぶっちぎろうとしているのだから当然だ。


 五平米ほど専有面積を改ざんし、共益費を五千円ほど家賃にスライドして紹介することは可能かどうか、かの自殺物件を問い合わせた際に確認してきたのは灰島本人に他ならない。


 それに対して、若宮は二つ返事で「もちろんです」と即答していた。


 若宮静香。新卒二年目の女子だ。他の会社ではどうだか分からないが、彼女は間違いなくテンザンの有望株である。肝が据わっているし頭もいい。ただ、ことが荒立つと簡単に謝罪を口にしてしまうところがあった。


 謝罪。別名、諸刃の剣。謝罪をすれば謝意を示すことができるが、同時にもう一つの作用が誘発される。肯定だ。


 己の犯した罪を認めれば、それは時に敗北に直結する。今回の灰島は、そうなるケースの典型だ。


 相手の弱みを見つけたら完膚なきまで付け込む手練れ。こういう輩を相手にする場合、軽い謝罪は命取りとなる。机の下にレコーダーを忍ばせている可能性まで視野に入れて応対しなければならない。失言は禁物だ。


「水田さんのことも存じ上げております」


「何? 水田のこともか」


 何故、お前はそんなことを知っているんだ。そんな目を向けている。知りたいけど知りたくない。複雑な乙女のような心情であるに違いない。


「灰島様、もしよろしければその自殺物件を実際にご覧になられては如何でしょうか」


「はあ? 嫌だよ。気持ち悪い」


 灰島は、問い合わせた物件に何か特殊な事情があることを知っていたのではないか。俺はそう勘ぐっていた。


 物件の名称は「グランコスタ桜木町ヴィアーレ」。大宮駅から徒歩六分という好立地を誇る、優和不動産レジデンシャルが手がけたハイグレードかつハイスペックな分譲マンションだ。高級ホテルさながらの上品なコンシェルジュまで備えた、ラグジュアリを極めた仕様にある。


 その四〇二号室が今回の自殺物件なのだが、実はそのツーフロア上の六〇二号室もほぼ同じ間取りで賃貸募集に出ているのだ。


 家賃は管理費なしで月額二十七万円。四〇二号室は共益費別で月額十五万五千円、管理費は一万円となっていた。規定外物件を探すために賃貸物件サイトに張り付いていた灰島が、この六〇二号室の情報を得ていなかったとは考えづらい。


 そもそものところ、四〇二号室もテンザンが元付業者ではない以上、ネットに掲載しているのは別の業者だ。そこには「告知事項有」と明示があるのは間違いない。


 灰島は住まいに相当なこだわりを持っているらしく、間取りは3LDK以上と一貫していた。その一方で学区や周辺環境については一切気にしていない。


 恐らく女を連れ込むための高級住宅を渇望しているのだろう。この男はケチだが、自尊心を重視するタイプの人間だ。


「自殺物件に抵抗がお有りでしたら、こちらは如何でしょうか」


「……何だこれは」


 さいたま新都心駅から徒歩十分。築後十五年。築浅住宅ではないが、いわゆるデザイナーズ物件だ。間取りは1LDKだが室内に螺旋階段があるという変わり種である。


 物件名は「レジデンス・ラピュータ」。螺旋階段を上った先には摺りガラスの嵌まった小部屋がまるで浮いているかのように配置されている。その部屋を天空の城に見立てているのだろう。ぱっと見はケチなラブホテルの一室のようだ。


「如何でしょうか」


「相当変わった物件だな。でも、まあ嫌いじゃあない」


「さらにですね。一階部分が駐車場になっているんですが、その脇には外部収納まであります。室内に生活感を持ち込まないというのがこの物件のコンセプトです」


「……ほう」


「ここだけの話なんですが」と前置き、わざとらしく声を潜める。「加納隆太郎がセカンドハウスとして契約していた履歴があります。愛人をかこっていたという噂も……」


「俳優の? こんな埼玉でか?」


 加納竜太郎はナイスミドルを売りにした、今をときめく一流俳優だ。愛人部屋を借りるにしても、こんな都内勤めたちのベッドタウンを選ぶわけがない。


 周りの住民に訊かれたらバレるかもしれないが、この灰島がそこまでやる人間であるようには思えなかった。


 そもそもバレたところで怖くもなんともない。この男の自尊心を満たすための優しい嘘なのだ。感謝されこそすれ恨まれる筋合いなど寸分もない。


「家賃も共益費を調整すれば規定に収まる射程圏にあります。もしよろしければ」


「まあ見るだけ見てみるか」


 もはやこれは九分九厘勝ち戦。レジデンス・ラピュータの室内写真を眺める灰島の目は爛々としていた。まだ見ぬ愛人をはべらせる図を想像していたのだろう。


 若宮は指示されるまでもなく社用車を取りに走っていた。

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