ハッピーバースデー

ひろたけさん

第1話 10月29日

 僕の十六歳の誕生日である11月7日は、後一週間後に迫っていた。僕は既に自分の誕生日をかれこれ十五回も経験している訳なのだが、今年の誕生日はちょっと特別だ。僕が彼氏の津々見奏佑つつみそうすけと付き合って迎える初めての誕生日なのだ。


 実は、僕が家族以外の誰かと誕生日を祝うことができるのは、今年が初めてだ。僕はピアニストを目指して五歳からずっとピアノ一筋で生きて来た。友達との時間も犠牲にし、ピアノのレッスンに励む僕の誕生日をわざわざ祝ってくれる誰か親しい人なんか、僕の周囲には一人もいなかった。来る年来る年、誕生日の日も、僕はピアノのレッスンを受け、練習するのみだった。


 小さい時は、母さんが僕にバースデーケーキを買って来てくれていた。けれど、中学生にもなると、母親に誕生日を祝ってもらうというのも気恥ずかしくて、母さんに「もうバースデーケーキを食べたくない」と一方的に告げた。本当はケーキは大好物だったのだが、周囲のクラスメートたちが友達同士で誕生日を祝う中、僕だけ母さんに誕生日を祝われるのが、僕のちんけなプライドを傷つけていたのだ。


 だけど、今年は違う。僕には愛する奏佑がいて、一緒に誕生日を過ごすことができるはずだ。友達と誕生日を祝ったこともないのに、一気にそんなものを飛び越して、僕は恋人と誕生日を過ごす権利を得たのだ。本来なら、嬉しさのあまり浮足立って指折り数えるはずの誕生日なのだろうが、実は僕はまだ自分の誕生日が一週間後に迫っていることを奏佑に伝えることができていない。


「あのさぁ、律。来週の今日の放課後、時間ある?」


奏佑がホームルームが終わった後、こう声をかけて来た時、僕はドキッとした。僕がまだ自分の誕生日について伝える前に、もしかしたら奏佑は僕の誕生日を調べ上げ、お祝いでもしてくれるのではないか。僕のことを人一倍愛してくれている奏佑なら、そんな気を利かせてくれるかもしれない。僕は秘かにそんな期待をしていた。


「うーん、どうだろ。ちょっと待って」


僕はわざとらしく、携帯を取り出して、スケジュールをチェックするフリをする。


「あ、ちょうど空いてるよ。何も予定はないみたい」


まぁ、予定なんて初めからないんだけどさ・・・。


「そっか。じゃあ、俺ん家に泊まりに来いよ」


「行く行く! 奏佑ん家に泊まりたい」


「なんだ。いつも泊まりに来ている癖に、やけに嬉しそうだな。何か特別なことでもあるのか?」


そのセリフを聞いた瞬間、僕の期待は脆くも崩れ去った。


「い、いや・・・。奏佑と一緒に過ごすの、いつも楽しいから、つい。わぁ、楽しみだなぁ・・・」


「変なやつ。あ、そうそう。来週の今日なんだけど、テレビでバイロイト音楽祭の特集をやるんだよ。『トリスタンとイゾルデ』の新演出でやった公演も全曲放送されるんだって! それ、りつと見たいなって」


「ああ、そうなんだ」


確かにその番組は気になるけれど、でもその日には、そんなものより僕には奏佑とやりたいことがあるんだ。奏佑と一緒に部屋に飾り付けをして、一緒にクラッカーを鳴らして、ロウソクの立った大きなホールケーキの真ん中に「霧島きりしま律くん、16歳の誕生日おめでとう!」なんてデコレーションの板チョコが乗っていて、サプライズで「律、これ気に入るかな?」なんて奏佑がちょっと照れ臭そうな顔しておずおずと誕生日プレゼントを取り出して・・・。


「律、おーい、聞いてるか?」


奏佑が僕の目の前で手をひらひら振っている。


「き、聞いてる、聞いてる」


「だから、夜まで一緒に感想を語り合いたくてさ」


「う、うん。楽しそう・・・だね・・・」


「本当にそう思ってるか? 何だか上の空って感じだけど」


「お、思ってるよ! もちろん・・・」


「何か言いたいことでもあるのか? ちゃんと思っていることは俺に言え。俺たち恋人だろ? 俺たち二人の間で隠し事は厳禁だ」


「隠し事なんて・・・して・・・ないよ」


本当はそんなの嘘だ。僕は奏佑に誕生日を祝って欲しい。一緒に誕生日パーティーってやつをやりたい。でも、その「やりたい」という一言が出て来ない。誕生日パーティーを十六歳にもなってしたいだなんてせがんだら、まるで子どもみたいじゃないか。バースデーケーキが食べたいとか、誕生日プレゼントをくれだとか、そんな図々しいこと、奏佑に頼めないよ・・・。そもそも11月7日が僕の誕生日だなんて奏佑に伝えること自体、いかにも「祝ってください」と主張しているようで、みっともないじゃん。


「ふうん。まぁ、律がそう言うなら、信用するけどね。あ、すまん。今日はこれからピアノのレッスンがあるんだ。じゃあ、律も気を付けて帰れよ。じゃあな」


奏佑はそう言うなり、慌ただしく教室を出て行ってしまった。


 奏佑は今年のピアノコンクールの全国大会で優勝して以来、コンサートの仕事がぼちぼち入るようになり、レッスンにも一層力が入っている。ピアニストを目指す僕にとって、奏佑は憧れの存在だ。僕が入賞を逃した地区大会で第一位の座を颯爽とかっさらっていったのがこの津々見奏佑という男だった。本来なら、僕は嫉妬に燃えて、こんな男大嫌いになるはずなのに、なぜか僕はそんな彼に人生で初めての恋をした。その恋がこうして実り、今は恋人関係になっているなんて、奏佑に出会った頃の僕は想像もしていなかったよな・・・。


 奏佑が立ち去り、一人、その場に取り残された僕は、結局今年の誕生日も誰にも祝ってもらえないんだろうな、ということを自覚した。仕方がないよ。もう、諦めよう。誕生日なんか、ただ年を取るだけのイベントじゃないか。今はまだいいけど、四、五十になってから迎える誕生日なんて、恐怖のイベントじゃないか? だから、僕は奏佑と付き合い始めた記念日とか、クリスマスを大事にすればいいんだよ。これまでだって、誕生日を親以外の誰かから祝ってもらったことなんてなかったじゃないか。それでも十六年間、僕は普通に生きて来れたんだ。誕生日を祝ってもらわなくても死ぬわけじゃないし。僕はそう自分に言い聞かせた。

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