心を重ねて
登美川ステファニイ
第1話 百合の花
十一月。夕暮れともなれば太陽の温かさはどこかへ消え去り、迫ってくる冬の気配が日々確実に強くなっていく。
しん――としている。人気がないだけじゃない。全てのものが動きを止め、命を持たぬ者さえ寒さに身を強張らせているように感じられた。手がかじかむ程ではないが、ふと指先の冷たさに驚いてしまう。彼は冷たい右手を、冷たい左手でさすった。
彼は
人の世に巣くう鬼と戦う集団、それが夜合だ。だが半年前に鬼の頭目である
頭珠天の配下である鬼達にはまだ生き残りがいる。それに下っ端の鬼も市井のいずこかに潜んでいる。しかし頭珠天の血がなければ数か月で死ぬため、夜合の生き残りは危険を冒さず、ただ時が過ぎるのを待つ事を選んだ。
夜合の生き残りたちは今も時折連絡を取り合っていた。普通の人間として生きるために身分を改めたり、金を工面し合ったり、住居を用意したり、まだ残っている組織としての力を使い、新たな人生に向けて動き出そうとしていた。
その中で、五葉は別だった。誰とも関わらず、ひっそりと町の片隅で生きる事を選んだ。最低賃金で働き、友を作らず、何かに熱中することもなく、静かに生きていた。
彼は
だから、町でたまたま見つけた鬼の気配に、つい近寄ってしまった。磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、その場所に来てしまったのだ。
「いらっしゃいませ」
店員の男がこちらを見ずにあいさつをしていた。花屋。段になった箱にバケツや筒が置かれ、様々な花が並び、空気に甘い匂い、さわやかな緑の香りが混じる。五葉は花に疎く名前を知らないが、知っている数少ない花を見つけた。
百合を一輪、手に取って、五葉はレジに向かう。すると、店員は作業していた手を止め、近づいてくる五葉の方を向いた。
「何かお探しですか?」
「黄色い百合はあるかい」
「黄色ですか? 種類としてはあるんですが、今はうちでは扱ってないですね。一週間ほど待ってもらえれば取り寄せは出来ると思います」
そう言い、店員はレジの脇にある分厚い本をめくり始めた。その本に該当の品種が掲載されているようだった。
だが五葉はそれには興味を示さず、言葉をつづけた。
「花言葉」
「はい?」
店員は手を止めて聞き返す。
「花言葉、知ってるかい。ここに来る前にわざわざ調べたんだよ、黄色いユリの花言葉」
「花言葉ですか……あいにく……」
困惑する店員に向かい、五葉は微笑みながら言った。
「偽りだとさ。あんたにピッタリなんじゃないかと思ってね」
「何が……でしょうか?」
店員は困惑を通り越し、五葉に不気味な恐怖さえ感じ始めていた。
「何が、だと。鬼め。まさかこんな所で人のふりをしているとはな」
店員の顔が色を失う。ゆっくりと花の本を置き、五葉から逃げるように一歩後ろに下がる。五葉は穏やかな微笑のまま、鬼である店員を見つめていた。
「しばらく前に見つけて、あんたがずっと気になっていたんだ。鬼のくせに、人間も食わずに花の手入れをしている。はっきり言って不気味だ」
「何を……言ってるんですか……何のことだか分からない……」
そう言いながら、男の脚は震えていた。
「嘘をつくならもっと練習しておけ。表情に出すぎだ。しかし変な奴だ。お前は少なくとも二か月は人間を食っていない」
五葉の見鬼としての目には、店員の男の姿が青白く見える。人の場合は赤く、鬼は青い。たくさん人間を食った強い鬼ほど黒に近く、弱いものは白っぽい青になる。
目の前の男は青白かった。ほとんど白に近い。経験的に、これは長期間人間を食っておらず力の落ちた鬼の色だ。数日から二か月の範囲で判別ができるが、それより前はみんな同じ薄い青に見えて判別できない。だから、こいつの食ってない期間は三か月や半年かも知れないが、二か月以上とまでしか分からない。
そして、人の振りをする鬼も過去にはいたが、どれだけごまかそうとしても、五葉の見鬼としての力を出し抜くことはできなかった。
「お、俺は……人間なんか食ってない……なったばかりで、まだ何も……」
「怯えるなよ。俺は聞きたかっただけだ。お前が何故、人間も食わずにこんな花屋で働いているのかを」
五葉は右手に持っていた百合を自分の胸の前に持ち上げる。白いユリ。雄蕊から花粉がこぼれそうになっていた。
「一本、五百五十円だったな」
五葉は百合から手を放す。しかし百合は落ちず、空中に浮かんだままだった。
その百合が、上下から押さえつけられたように折れ曲がり、潰れ、くしゃくしゃになっていく。そして数センチの塊になり、絞られた水分がぽたぽたと床に垂れていた。辺りには百合の香りと、茎の青臭さが漂っていた。
そして、百合だった塊は何の前触れもなく床に落ちた。
「……夜合」
店員の男は、もう震えを隠そうともしなかった。壁に背を寄せ、張り付くようにして歯をカタカタと鳴らしていた。
「知っているのか。なら、話が早い。しかしお前を殺しに来たんじゃない。話を聞きたいんだ。明日の夜、この場所に来い」
五葉はポケットからメモと千円札を出し、レジのカウンターに置いた。
「釣りはいらん。明日、そこで待っている。一人で来い」
そう言い、五葉は踵を返し花屋を出た。店員の男は震える手で五葉のメモを握りしめていた。
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