第565話 ギャレットの手土産
ギャレットの出迎えには、ランカスター伯爵を向かわせた。
彼は外務副大臣であるし、王都までの道中でランカスター伯爵領を通るからでもあった。
それにランカスター伯爵は年のせいか、近頃ウォリック侯爵化が進んできている。
「ジュディスの子を見たい」という事を言わせないため、厄介払いにもちょうどよかった。
「ロックウェル国王のギャレットがくる」という知らせは、王都中に知らされた。
その噂を聞き、ロレッタやアマンダは期待で胸を高鳴らせていた。
二月に入ると、ギャレット一行が王都近郊までやってきたという知らせが入る。
アイザックは自ら出迎える事にした。
アイザック自らの出迎えに、ギャレットは驚く。
だが、それはアイザックがきたからではない。
護衛の少なさに驚いたのだ。
「大国の王なのです。もう少し、護衛の数を付けてもよろしいのでは?」
「平和的な話し合いをするために足を運ばれたギャレット陛下に対し、兵を並べて武を誇るのは愚の骨頂。最低限の兵がいればいいのです」
ギャレットの連れている護衛は五百。
それに対し、アイザックも同数の護衛しか連れていなかった。
万が一を考えれば危険だが、その可能性は低いとアイザックは考えていた。
「平和的な話し合いではない可能性もあるのではないですかな?」
「それはないでしょう。あの提案が不快であれば、シルヴェスター殿下やビュイック侯の首を送り届ければいいだけです。交渉の余地があると考えたから、自らヘクター陛下と話し合い、こちらにお越しになられたのではありませんか?」
ギャレットが、ニヤリと笑う。
彼の考えは、アイザックの言った通りだったからだ。
条件次第では、リード王国の傘下に入ってもいいと思っていた。
それに彼は破滅願望があるわけではない。
「自分の命と引き換えにアイザックを道連れにする」という選択もあったが、わざわざそれを選ぶ必要などない。
やるとしても交渉の結果を確認してからでも遅くなかった。
もっとも、その時は手出しができなくなっているだろう事は想像に難くない。
「すべては条件次第でしょう」
ギャレットが皮肉めいた笑みを見せた。
「いかがなされました?」
気になったアイザックは、理由を尋ねる。
すると、今度は自嘲染みた笑みを見せる。
「いえ、以前にお会いした時は『アイザック陛下』とお呼びする事になるとは想像もしませんでしたので。エリアス陛下の冥福をお祈り申し上げます」
「ありがとうございます。エリアス陛下は平和を愛されたお方でした。ご存命であれば、きっとロックウェル王国との新しい関係を積極的に構築しようと動かれていたでしょう」
「ええ、そういうお方だと伺っております。本当に残念です」
ギャレットの言葉は、ただの社交辞令に過ぎなかった。
シルヴェスターと違い、彼がエリアスに持っている印象は「アイザックを抜擢した男」という程度だ。
そのため社交辞令を超える感情は湧いてこなかった。
アイザックも両者の関係が希薄だとわかっているので、深くは追及しなかった。
エリアスの話題は切り上げ、次の話題へと移る。
「長旅でお疲れでしょう。まずは二、三日ほど迎賓館で旅の疲れを癒してください。疲れが取れてから、交渉の席を設けましょう」
アイザックとしては「疲れで思考がはっきりしない間に話を進められた」と言われる事のないようするための配慮だった。
「それはちょうどいい。目を通しておいていただきたい資料を手土産として持ってきておりますので」
だが、ギャレットも万全の状態で話ができるように、時間を作るための準備をしてきていた。
「資料……、ですか?」
「ええ、我が国の財政や外交、交易、軍事。そういった重要な情報を包み隠す事なく持参しました。ロレッタ殿下との結婚が進み、ファーティル王国と共に我が国も編入していただけるのであれば、陛下にお見せしても問題はないでしょう?」
ギャレットは暗に「ここまでしたのだから、あっさりと切り捨てるような事はしないだろう?」と言っていた。
リード王国に来る前に、彼はアイザックの事を調べていた。
その結果、アイザックは敵には容赦しないが、義理人情の通じない相手ではないという事がわかった。
少なくとも筋の通らぬ一方的な協定の破棄や、理不尽な仕打ちもされないはずだ。
「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」という言葉もある。
出し惜しみなどせず、最初から全力で協力する姿勢を見せれば、アイザックも相応の扱いをしてくれるだろうと考えての行動だった。
「それは、ありがたいですね! さっそく官僚に調べさせましょう。では迎賓館までご案内しましょう。サンダース子爵を接待役として付けますので、おくつろぎください」
「サンダース子爵を?」
ギャレットもリード王国の全貴族を知っているわけではない。
だが、アイザックの周囲は調べていた。
もちろん、ランドルフの事もだ。
あのトムを討った槍の達人であり、猛将として知られている男だ。
しかし、武勇に優れた男だという事が重要なのではない。
――アイザックの実父という事が重要だった。
(人質として預けるというわけか! それだけ私の事を考えている? それともロックウェル王国領がそんなに欲しいのか? だが実質的には降伏しにきた王に対する扱いではないだろう。何を考えているのかがさっぱりわからん。さすがに騙し討ちなどしないと思うが……)
ギャレットは悩む。
あまりにも待遇がいいからこそ、逆に怪しんでしまう。
前もってリサーチした結果、安全だという確信を持ってリード王国までやってきた。
だが、いざアイザックを前にすると不安になってしまった。
そんな彼の不安を吹き飛ばす一言を、アイザックが言い放つ。
「きっとメリンダ夫人の話題で盛り上がれるでしょう」
あまりにも不謹慎なネタ振りに、ギャレットは噴き出してしまう。
(冗談にしてもきつすぎる。こやつを王として仰ぐのは大変な事なのかもしれんな)
アイザックの軽口は、ギャレットに一抹の不安を与えた。
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ギャレット一行を迎賓館に案内したあと、アイザックは王宮に戻る。
各省庁から大臣や官僚を呼び集め、早速ロックウェル王国から持ち込まれた書類を調べさせる。
「些細な事でもいい。何か気になるところが見つかれば報告するように」
そう言って、アイザックは皆の作業を見守るつもりだった。
――だが、そうはいかなかった。
どこもザワザワと騒ぎ出す。
そのあとすぐに財務事務次官であるアダムス伯爵が報告にやってきた。
「陛下、こちらをご覧ください。ここ十年分の税収総額なのですが……」
彼は不安そうにしていた。
いや、憐れんでいるのかもしれない。
とにかく暗い顔を見せていた。
アイザックの表情も曇りそうになるが、書類に大人しく目を通す。
「げっ!」
書かれている数字を見て、思わず驚きの声が出てしまった。
――ロックウェル王国の税収。
それはウェルロッド侯爵家が得ているものの二割増し程度だったからだ。
しかもアイザックが領主代理を務めていた頃の税収なので、今のウェルロッド侯爵家はロックウェル王国以上の税収があるだろう。
あまりにも少なすぎる。
「ウェルロッド侯! ちょっときてください」
慌ててモーガンを呼ぶ。
呼び出されたモーガンは、アイザックから書類を見せられる。
「確か先代のサイモン陛下が崩御された時に弔問していましたよね? ロックウェル王国内を見て、この数字が正しいと思うか教えていただきたいのです」
「えっ、これは……」
モーガンも、ロックウェル王国の税収を見て憐れんだ。
彼はランドルフからの報告で、今のウェルロッド侯爵領の税収を知っていたため、一際強い感情を持った。
しかし、今はアイザックに尋ねられた事に答えるのが優先である。
いつまでも憐れんではいられない。
「王都近辺は他国に蔑まれないように整備していましたが、王都に向かうまでの間に見ただけでも平民が苦しい生活をしているのが見て取れました。ロックウェル王国を取り巻く情勢を考えても、十分にあり得るかと思われます」
(衛星写真とかがないから正確にはわからないけど、ロックウェル王国の領土は、リード王国半分程度の広さだったはず。それで昔のウェルロッド侯爵領に毛が生えた程度の税収しかないのか。資源を買い叩かれているのが効いているな……)
数字に裏付けされたモーガンの言葉に、アイザックはロックウェル王国の厳しい状況を知った。
これまで考えていた以上に、ロックウェル王国の財政は苦しいようだ。
経済優先にしたのも理解できる。
「ダッジ伯とフォード伯、こちらへ」
次にロックウェル王国出身の二人を呼ぶ。
モーガンと同じく、まずは税収が書かれた書類を見せる。
「確か衛兵などを合わせれば十万程度の兵がいたはず。それを本当にこの年度予算から出せていたのですか?」
「厳しい状況でしたが、ファーティル王国の奪還は悲願でしたので……」
「地方貴族の私兵なども含めてなんとか……」
「この財政状況で十万人規模の軍事費を捻出していたんですか!?」
二人の返事を聞いて、アイザックは驚く。
ウェルロッド侯爵領も、以前は衛兵を含めて三万程度だった。
エルフやドワーフとの交易というあぶく銭があって、ようやく六万まで拡充したのだ。
昔の経済状態から軍の規模を十万にまで拡充しようと考えれば、かなり無理がくるはずだ。
そんな無茶を本当にやっていたとは容易には信じられなかった。
「二百年前に分裂したばかりで余裕のあったロックウェル王国と、二百年間軍事費に国家予算を注ぎ込んで疲弊した今のロックウェル王国とでは状況が違います。ダッジ伯には申し訳ないですが、ビュイック侯の方針転換は思い切ったものではあるものの、国を立て直すのには必要だったのではないかと思います」
「そこまで厳しい状況だったのでしょうか? 私達にはこれが当たり前だったのですが」
ダッジ伯爵が首をかしげる。
彼はロックウェル王国で生まれ育ったため、それが当たり前の状況だった。
そのため「リード王国は豊かな国だから、そう感じるだけでは?」としか思えなかった。
そこでアイザックは辛い現実を突きつける。
「ロックウェル王国の国家予算は、ドワーフとの交易が始まる前のウェルロッド侯爵領といい勝負です。昔のウェルロッド侯爵家が保有する軍の規模は三万程度が限度と考えられていました。今のウェルロッド侯爵家でも六万ほど。十万まで増やそうとすれば狂気の沙汰だと止められるでしょう。まさか資源を買い叩かれて酷い状況だとは思っていませんでした」
「そう……、なのでしょうか?」
ダッジ伯爵とフォード伯爵は顔を見合わせる。
自分達ではわかり辛いが、他人にこう言われると深刻さがよくわかった。
「陛下に敗れて、変わるきっかけができてよかったのかもしれません」
フォード伯爵が力なく答える。
「ファーティル王国を攻め落とせていれば、ロックウェル王国も軍事偏重から方針転換をしていたでしょう。今となってはわかりませんが、悲願を叶えて方針転換というのは十分にあり得ますから」
だが、アイザックは彼の答えを否定する。
これは本心でもあったし、落ち込む彼を慰めるための言葉でもあった。
元ロックウェル王国出身者に対する配慮も必要だろうと考えてのものである。
「しかし、困った……。ファーティル王国はともかく、ロックウェル王国の貴族と認識の違いについて埋めていかないといけないな。それに経済格差もどうにかしないといけない。問題が山積み……、だな」
アイザックは見てしまった。
――ダッジ伯爵とフォード伯爵の後ろに報告待ちの列ができているのを。
軍事アドバイザーとして呼んだウィルメンテ侯爵やウォリック侯爵が、官僚に順番を譲られている。
しかし、順番を譲らない者もいた。
それだけ優先順位が高い報告があるのだろう。
(誰だよ! 平和的な解決をしろって俺を叱った奴は! こんなに問題があるなら絶対平和的な併合をするよりも、攻め落として一回政治体制をリセットしたほうがいいじゃないか!)
アイザックは頭痛を感じ始める。
しかし、これだけ大きな話が進んでいるのを「やっぱりやめた」でやめるわけにはいかない。
しっかりと情報を精査し、ギャレットとの交渉を行わねばならなかった。
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