第430話 重過ぎる愛

 アイザックの話を聞いて、二人は困った表情を浮かべていた。

 それもそのはず、ジェイソンにも不安があるが、アイザックにも不安があるからだ。

 アイザックは自分が思っているほど、ウィンザー侯爵家の人々から高く評価はされていない。


 ――愛が重すぎる。


 愛していればいいというものではない。

 ここまで愛が重いと、すれ違いが起きた時が怖い。


 能力があるだけに――


「どうして僕の気持ちがわからないんだ!」


 ――などと言って、暴走された日には目も当てられない。


 きっと、ウィンザー侯爵家の存亡に関わる事態になるかもしれない。

 もう少し愛が軽く、政略結婚の色が濃い方が安心できただろう。

 アイザックの「最後の一押しは情に訴える」というのは失敗していた。


「お父様、ウォリック侯やウィルメンテ侯には確認されたのですか?」


 判断に困ったアリスが、ウィンザー侯爵に話しかける。

 迂闊な発言ができるような内容ではないのだ。

 まずは真偽を確かめねばならない。


 ウィンザー侯爵が顔をしかめる。

 その反応でアリスは話を聞く前に、アイザックの言葉が真実だと直感した。


「ウォリック侯には直接確認した。かつて支援した事に対して恩義を感じてくれているようだったが、それでも宰相の私・・・・には話せないような約束を、エンフィールド公と交わしているようだ」


(よし! 忠告を聞いてくれていたようだな)


 ウォリック侯爵がウィンザー侯爵の妨害を警戒して、すべて打ち明けなかった事を知り、アイザックは心の中でガッツポーズをする。

 これでアリスも、ウォリック侯爵が賛同していると思ってくれるだろう。


「ウィルメンテ侯爵は文化祭以来、挨拶はしてくれるが深い内容の話をしようとすると避けられてしまうようになった。しかし、以前エンフィールド公から署名入りの誓約書を見せられた。腹心が連名しており、信憑性の高いものだった」

「ですが、ウィルメンテ侯があの時見せた反応で判断する限り、反乱に加担するような覚悟はなさそうでしたけど?」

「その点については、エンフィールド公から説明があるのではないかな?」


 ウィンザー侯爵を始め、皆の視線がアイザックに集まる。

「説明しろ」という無言の圧力を感じる。


「説明と言われましてもね。難しい理由はありませんよ。貴族ならば誰でも家の存続を考えるものでしょう? ウィルメンテ侯が協力すると約束してくれたのは、僕に勝ち目があると思ってくれたからです」


 だが、アイザックが焦る事はなかった。

 考える時間は十分にあったからだ。


「そして、あの時ネトルホールズ女男爵を亡き者にしようという考えが頭をよぎったのは、フレッドが他の女性と婚約する気配がないからです。ネトルホールズ女男爵に懸想するばかりで、ウィルメンテ侯爵家の嫡男が誰とも結婚しなければ? 跡継ぎに困る事になるでしょうね」

「……次男のローランドは、ウェルロッド侯爵家のケンドラと婚約している。もしもフレッドに子供が生まれなければ、跡継ぎはローランドになる。そうなると……」


 セオドアは思い浮かんだ事を言葉にしていた。

 しかし、最後は言いにくい内容になり、自然と語りが止まる。

 彼の視線は、アイザックに釘付けになったままだった。

 アイザックは、フッと笑う。


「かつてメリンダ夫人が行なおうとしていたのと同じ事が、ウィルメンテ侯爵家で起きるかもしれない。ウェルロッド侯爵家の影響下に取り込まれるという状況がね。ウィルメンテ侯が焦るのも当然ですね」


 ――フレッドがニコルに愛を捧げ、誰とも結婚しなかったら最悪の事態が起きる。


 それは奇しくも、かつてウィルメンテ侯爵家が行なおうとしていたものだった。

 当然、ウィルメンテ侯爵の警戒も厳しいものになる。

「めざわりだから殺す」などという理由ではなく、想像以上に切羽詰まったものだ。

 皆がウィルメンテ侯爵の行動に一定の理解を示す。


「だからウィルメンテ侯には、ネトルホールズ女男爵を放置する事で得られる利益を提示しました。彼が手出しする事はもうないでしょう。ですので、ネトルホールズ女男爵に手出しをした場合、ウィンザー侯爵家が真っ先に疑われる事になります」

「ほう、どのような利益を提示したのかお教え願えるかな。後継者に影響を及ぼす問題を無視させるなど、よほどのものだろう」


 ウィンザー侯爵は、すかさずウィルメンテ侯爵が賛同した条件を聞き出そうとする。


「宰相閣下に言えるはずがないでしょう? 王国のためと思って、僕以上の条件を提示するかもしれないんですから」


 アイザックは言わなかった。

 言えるはずがない。


 ――まだウィルメンテ侯爵と詳しい話などしていないのだから。


 だがウィンザー侯爵は、そうは思わない。

「やはり言わないか」と思うだけだった。

 アイザックがこぼしてくれれば儲けもの。

 その程度の仕掛けに過ぎなかったからである。


 落ち込んだりせず、すぐに切り替え――られなかった。


 これから先の事を考えれば考えるほど気分が沈む。

 状況打開の糸口くらいは欲しいところだった。


「ねぇパメラ。あなたはエンフィールド公と結婚したいと思っているの? あなたの気持ちを教えてちょうだい」


 アリスがパメラに確認をする。

 アイザックがパメラを強く求めているという事は、嫌というほど思い知らされた。

 もうすでにアイザックを説得してどうにかなる段階は過ぎている。

 あとはパメラがアイザックを拒絶するくらいしか道はない。

  

 だが、パメラに尋ねた時点でアリスは諦めていた。

 すでに彼女はアイザックに心が移っているように見えたからだ。


「私も……。私もアイザックさんと初めて出会った時、殿下にも感じなかった感情に気付きました。でも、私は殿下の婚約者。今まで感情を押し殺し、殿下を愛せるように頑張ってきたんです。実際、愛せるようになっていました。アイザックさんにも、その事を伝えていました。ですが、殿下は……」


 パメラはうつむき、太ももの上で拳を握る。


「愛せる人がいるというのは素晴らしい事だと思います。でも、相手に愛されなければ意味がありません。今はもう、殿下への気持ちは残っていません。アイザックさんのように愛してくれる人と……、私は結婚したい」


 実際、ジェイソンがニコルと出会うまでは上手くいっていた。

 彼女は新しい道を進み始めていたのに、ニコルのせいで大きくつまずいてしまったのだ。

 アイザックを忘れようと頑張っていたが、それを一瞬で無駄にされてしまった。

 彼女も色々と思うところがあったのだろう。

 目には、薄っすらと悔し涙が浮かんでいた。


 パメラの姿を見て、誰もがジェイソンとの復縁が難しいものだと感じた。

 ウィンザー侯爵が次のステップに進もうと提案を出す。


「この状況で我々が選べる道は、いくつかある。一つは今まで通り王家に忠誠を誓い、殿下を信じる事だ。今後、新たな問題が・・・・・・出ない限りは・・・・・・、これがベストだろうと思う」


 だが、言っている本人が信じていない様子だった。

 ウィンザー侯爵は、アイザックを見ている。

 ジェイソンを信じるという選択を取っても、アイザックが新しい問題を起こして二人の仲を引き裂くだろう事は想像に難くない。

 無策のまま何もせずにいるのは、座して死を待つのに等しい。

 それにベストとは言ったが、それはウィンザー侯爵家にとってのものとは限らない。

 アイザックにとって、ベストな選択になる可能性も高い。


「二つ目は、ネトルホールズ女男爵を暗殺するなりする事だ。あの娘がいなければ、すべて丸く収まる。しかし、我が家が犯人だと思われてしまう可能性が高くなってしまっているので、根回しをしっかりしておかねば危険だろう」


 ウィンザー侯爵は「主にお前のせいで」と言いたそうな目で、またしてもアイザックを見る。

 フレッドが騎士の誓いをした日、アイザックが邪魔をしなければ即日実行していただろう。

 ウィルメンテ侯爵は王党派で、フレッドはジェイソンの親友だ。

 犯人だと疑われても、厳しい処分はされないはずである。

 濡れ衣を着せるには最適な相手だった。

 最高の条件を即座に潰されたのは、気分のいいものではなかった。


「三つ目は、エンフィールド公の提案を受け入れるという道だ。ウォリック侯やウィルメンテ侯までも引き入れているのであれば、もう覚悟を決めるしかないと諦めるしかない。王国に混乱をもたらす最悪の事態だが……、我が家の存続はできるだろう。大きな損はないはずだ」

「ええ、もちろん得はありますよ。王家を打倒すれば、直轄領やその他の領地を分割してウィンザー侯爵領とする事も考えています。パメラさんのご家族ですので、他にも丁重な扱いをさせていただきます」


 ウィンザー侯爵が露骨に嫌がっているので、すかさずアイザックは協力のメリットを提示した。

 彼に任せたままでは、提案を拒否する方向に誘導されてしまうからだ。

 やはり宰相という立場を任されている事もあり、王家への忠誠心が厚い。

 王家への不満を持っていたとしても、最後の一線は守ろうとしている。


 モーガンのように「舐められたから反旗を翻す手伝いをする」という方が珍しいのか。

 それとも、ウィンザー侯爵のように忠義を尽くそうとする方が珍しいのかはわからない。

 長年宰相として国の舵取りをしてきたので、安定した政情の国に愛着があるのかもしれない。

 彼にも彼の人生がある。

 様々な条件を突きつけられても、簡単には同意できないのだろう。


「主に選べる選択肢はこの三つだが、他の選択肢もある」


 ウィンザー侯爵は、パメラを見た。


「パメラを自害させれば、殿下と揉める理由がなくなる。もしくは、エンフィールド公に病死していただくとかな。問題を解決する手段は、王家と事を構える以外にもある」

「そんなっ……」


 祖父の厳しい言葉に、パメラは身を強張らせる。

 だが、アイザックは余裕のある態度を取っていた。


「もしパメラさんに危害を加えたと判断すれば、僕はウィンザー侯爵家の敵に回りますよ。パメラさんに少しでも幸せになってほしいから、ウィンザー侯爵家の皆さんには甘い対応をしているのです。パメラさんがいなくなれば……。皆さんに甘くする理由もなくなります」


 言っている事は「ニコルに手出しをするとジェイソンがキレる」というのと同じもの。

 アイザックとジェイソン。

 どちらを選んでも、ウィンザー侯爵家にはロクでもない事が起きるかもしれない厄介な選択だった。


「当然、僕の命を狙っても同じ事です。パメラさんのご家族とはいえ、僕も無抵抗ではいませんよ」


 アイザックも厳しい事を言ってはいるが、表情は穏やかなものだった。

 それが他の者達には「それくらい対応可能だ」と不敵な笑みを浮かべているように見えていた。

 実際、アイザックの笑みは強がりではない。

 余裕があるからこその態度である。


(言葉にするんだから、本当にやるわけがない。本当にやるんだったら、黙ってやるはずだもんな)


 ウィンザー侯爵が最後の選択を口にしたのは、何らかの思惑があっての事だろう。

 セオドアやアリスに「そういう選択もある」と知らせて、アイザックからより良い有利な条件を引き出そうとしていたのかもしれない。

 だが、アイザックはそれを見破っていた。

 だからこそ、余裕のある態度を取っていられたのだ。


 ウィンザー侯爵の言葉に驚いたりせず、どっしりとしたアイザックの態度を見て、パメラは信頼を強める。

 宰相相手にも物怖じせず、不敵な笑みを浮かべている様は、本当に反乱を成し遂げてくれそうな安心感があった。


「あくまでも選択の一つというだけ。実行するとは言っておりません。その点は勘違いしないでいただきたい」


 ウィンザー侯爵は「選択の一つだ」としらばっくれる。

 アイザックも深く追及はしなかった。


「この件に関しては、家族でよく話し合ってください。計画が上手くいけば、パメラさんは王妃になれる。ウィンザー侯にも引き続き宰相として辣腕を振るっていただく事になるでしょう。セオドアさんにも要職を任せます。ただ、言うまでもないでしょうが外部に相談はしないでください。ウェルロッド侯爵家の人間にもです。万が一に備えて知らぬ振りをするように伝えていますので、相談事があれば僕に言ってください」


 まだランドルフやルシアには話していないので、彼らに相談を持ち込まれても困る。

 その点、一応釘は刺しておく。


「誰に話せるというんだ……」


 セオドアは頭を抱える。

 忠臣として知られるアイザックが反乱を考えているなど、誰も信じてくれないだろう。

 むしろ「ただの私怨だ」と非難されるのは、ウィンザー侯爵家の方だ。

 セオドア自身が、アイザックに決闘を申し込もうとしていたのだから。


「そういえば、パーティーに出席された時はどう対応すれば?」


 ふと、アイザックへの対応をどうすればいいのかという考えが浮かんだ。

 媚びを売ればいいのかどうか判断に迷ったからだ。


「表向きは仲直りしているものの、本心は許していないというぎこちない感じでお願いします。今の段階でベッタリというのも、怪しまれるでしょうしね」

「あぁ、それなら簡単です。普通にしていればいいんですから」


 セオドアは苦笑する。

 どう考えても、明日のパーティーで以前のような対応ができるとは思えない。

 反乱に関する話を聞いたあとなので、どうしてもぎこちなさが出てしまうはずだ。

 仲の良い演技の方が難しいだろう。

 気まずい雰囲気なら、演技をしなくても醸し出す自信がある。

 最後の最後で良い話が聞けた。


 最後に軽く明日の話をして、会談は解散となった。

 あと二ヶ月もすれば卒業式だが「あと二ヶ月もある」と考えるか「もう二ヶ月しかない」と考えるか難しいところである。

 セオドア達にとって難問が残された。


「義父上。もしエンフィールド公が亡くなったという知らせを聞けば、きっと私は安心する事でしょう。……先代ウェルロッド侯の時もこうでしたか?」

「そうだ。しかも国にとって必要な人材だから始末に困る」

「身内には甘そうな分、義父になった方が楽ですかね?」

「それは知らん。権力を握った途端、先代ウェルロッド侯のようになるかもしれんからな」


 ウィンザー侯爵とセオドアの溜息が同時に吐き出される。

 とりあえず、どちらに転んでも大丈夫なように、上手く立ち回っておくべきだろう。

 それには、まずウィンザー侯爵家の方針を固めておかねばならない。

 家族で相談しなければならない問題は、今日一日で一気に山積みとなっていた。

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