第319話 髪留めをプレゼントした本当の理由は・・・

 使者を出したあとは、リビングに集まって話をしていた。


「それにしても、聖女様とは。凄いわね……」


 みんなが不思議なものを見る目でジュディスを見ていた。

 アイザックとしては避けたいところだが、どうしても聖女の話題になってしまう。

 だから、なんとかフォローしようと努力する。


「その事ですが、ジュディスさんは聖女と呼ばれる事を望んでいません。僕も普通の女の子として扱ってあげるべきだと思います」

「どうしてよ? ナイフが刺さらないなんて凄い事じゃない。魔法を使って怪我を治すにしても血が出ちゃうもの」


 ブリジットが「特別扱いをして何が悪いのか?」という反応をする。

 これは嫌がらせではなく、純粋な疑問だ。

 しかし、純粋な疑問なだけあって、はぐらかすのも難しい。

 ちゃんと答える必要があった。


「だからですよ。ジュディスさんは控えめな性格です。人前で派手に目立つのが嫌なのでしょう。聖女として特別扱いをされれば嫌でも目立ちます。あんな事件があったばかりなんです。この屋敷にいる間くらいは気楽にさせてあげましょうよ」


 アイザックは、ジュディスを気遣う。

 もちろん、こうする事でナイフから話題を逸らしたいという考えもある。


「確かに今はそんな気分じゃないよね」


 ティファニーには、今のジュディスの気持ちがよくわかる。

 さすがに命が危険に晒された事はなかったが、婚約者に捨てられたというところは同じ。

 アイザックがそういう意味で呼び出していないのなら、自分から行動してあげようと思っていた。


「こういう時は……。自分の部屋に籠って、人目を気にせずに……」


 ティファニーはジュディスにアドバイスしようとするが、それは「自分一人で思いっきり泣く」というものだった。

 だが、それはこうして周囲に心配してくれる人がいる時にやる事ではない。

 何か他に気の利いた事を言おうとするが、いい言葉が浮かんでこない。

 マーガレットに抱き着いたまま泣いているジュディスの背中を優しくさすってやるのが精一杯だった。


(そういえば、俺の時もこうだったな)


 家族との仲が悪化して悲しんでいる時に、リサとパトリックがそばにいてくれた。

 誰かがそばにいてくれるというだけで、悲しみも和らいでいた。

 ティファニーが何を考えているのかはわからないが、ジュディスを慰めようとしている事だけはわかった。

 他に適任の親族がいなかっただけという理由かもしれないが、モーガンの人選に間違いはなかったようだ。


「ところで、私もナイフは見てみたいと思う。神器として差し出せば、教会に保存されて見られなくなるだろう? その前にちょっとだけ見せてくれないか?」


 女性陣のようにジュディスを慰めるのが難しいクロードが、ナイフの事に話を戻した。

 聖女の話に関係はあるが、直接聖女の話をするわけではない。

 ちょっとだけ話を逸らそうと、興味のある話題に触れる事にしたのだ。

 だが、それは話を逸らそうとするアイザックには都合の悪いものだった。


「ナイフは――」

「見たくない」


 アイザックが誤魔化そうとすると、ジュディスが口を挟んできた。


「そうだよね。今は見たくないよね。興味があるのはわかるけど、ジュディスさんがもう少し落ち着くまで待ってください。教会に提供するまで時間もありますので」

「それもそうだな。すまない。話を聞いて、少し興奮していたようだ」


 アイザックは「セスとランカスター伯爵との話し合いが終わればナイフを渡す」という内容もみんなに話していた。

 つまり、ランカスター伯爵が到着するまで時間があるという事。

 ナイフを確認する機会は十分にあるので、クロードは引き下がってくれた。


(ジュディスに打ち明けておいてよかった)


 火刑を思い出すナイフを本当に見たくないだけかもしれないが、彼女のフォローは助かった。

 ノーマンが対処してくれるまでの時間を稼げるのはありがたい。

 だが、ジュディスが怖がっているのはわかっているが、この先の事を話さなければならない。

 ナイフの事を誤魔化すだけではなく、ジュディスのためにだ。


「ナイフとか聖女様の話はジュディスさんが落ち着いてからの方がいいだろうけど……。辛くても、これからどうするのかを考えた方がいいと思うの。特にマイケルくんの事を。許してあげるのかどうかとか……」


 その話題を切り出したのは、アイザックではなくティファニーだった。

 彼女は自分の経験から、婚約者の扱いをどうするのかが今後に必要な事だと知っていた。


 ――ジュディスを魔女だと告発したのはマイケルだ。


 自分の時とは大違いだが、婚約者の事をどうするかは重要である。


「ねぇ、ジュディスさん。意思表示が早ければ早いほど、望む方向に動いていけるの。私の時もチャールズとやり直すチャンスが欲しいって言ったら、アイザックがそういう方向で動いてくれたの」


 ティファニーがアイザックを潤んだ目で見る。

 当時の事を思い出して、悲しんでいるのか、感動しているのかまではわからない。


(そんな目で見ないでくれ。俺のために動いてたんだから……)


 アイザックにわかるのは、罪悪感を刺激されるという事だけだ。

 ティファニーを救うよりも、ニコルの機嫌を損ねないためにチャールズを救ってやっただけ。

 感謝されて喜ぶよりも、気まずさを感じていた。


「ジュディスさんはマイケルくんの事をどう思ってるの? もちろん、直接話をしないと判断が難しいだろうけど」

「……もういい」


 ジュディスはティファニーの問いに少し考えてから答えた。

 彼女の中で、マイケルはもう自分の婚約者ではなくなっているのだろう。

 殺されかけたので当然の事かもしれない。


「本当にいいの? アイザックとグラハムっていう人が話していたのを聞いただけでしょう? 告発しただけかも……、それはそれで許せないけど。確認しなくても大丈夫? アイザックはどこで知ったの?」


 ティファニーは慎重な対応をしなくても大丈夫なのかとジュディスに尋ね、アイザックに情報の裏付けを求めた。


「最近のマイケルの様子を見て、グラハムに鎌をかけただけさ」


 アイザックは、ジュディスから相談されていたという事を話さなかった。

 秘密の相談の内容をベラベラと話してしまうのはよろしくない。

「助けてくれたのは嬉しいけど、口の軽い最低な男」という評価を得たくはない。

「前世の知識で犯人がわかっていた」という事も言えないので、それっぽい事を言って誤魔化した。


「そっか、アイザックだもんね」


 ティファニーは、その答えで納得した。

 アイザックなら、それだけでわかるという信頼があるおかげだ。

 だが、それはマイケルが悪いという事の証明でもあった。


「それで、あなたはブランダー伯爵家をどうするか考えているの?」


 マーガレットがアイザックに尋ねる。

 これは彼女だけではなく、この場にいる者全員が気になる事だった。


「いえ、特には」

「何もしないというの!」


 マーガレットの目つきが鋭くなる。

 思わずアイザックがたじろぐ。


「チャールズの時にお婆様が僕が動くと大事になると言っておられたではありませんか。だから、ランカスター伯の判断にお任せしようかと思っています」

「何を言っているのです。チャールズはあれでもちゃんと正面からティファニーに別れを切り出しました。でも、マイケルは違うでしょう。自分の婚約者を魔女として告発するなど、どうせ自分で別れを切り出せなかったからでしょう。そんな事は腰抜けのやる事です! マイケルに遠慮などする必要はありません!」

「そんな無茶な……」


 マーガレットは、マイケルのやり口が気に入らなかったようだ。

 かなり怒っている。


(あぁ、そういえばブリジットも怒ってたっけ)


 いくらブリジットでも、相手の家を魔法で吹き飛ばすという事の意味くらい理解しているはずだ。

「ジュディスの味方だよ」と態度で教えるだけだとしても、少々やり過ぎだ。

 彼女の言葉は、かなり本心が混じっているのかもしれない。


(ドンマイ、マイケル)


 アイザックは、マイケルに同情する。

 ニコルの事もあるので、アイザックは温情を与えてやるつもりだった。

 いや、正確に言えば今もそのつもりだ。

 だが、アイザック一人の力ではどうしようもない事態になるかもしれない。


 ――ご婦人方の不興を買った。


 テレビもラジオもない世界において、口コミネットワークの力は強い。 

 マーガレットが知り合いの奥様方にマイケルの悪口を言いふらせば、やがて王国貴族全てに広まるはずだ。

 悪い評判が広まれば、ジュディスの代わりを見つけるのも困難になる。

 ニコルと上手くいかなければ、寂しい人生を送る事になるだろう。


 そして、それだけではない。

 ブランダー伯爵家の立場も著しく悪化する。

 男性上位の世界とはいえ、レイモンドとアビゲイルの関係のように、妻が夫を尻に敷いている家も一定数存在する。

 女性の意見が強い家では、マイケルへの反感からランカスター伯爵家に味方する方針を取る家もあるかもしれない。

 チャールズとは違い、婚約者に正面から向き合わなかった結果は酷い事になりそうだ。


「ですから、僕が直接行動するつもりはありません。ジュディスさんが家族と話し合って決めてもらう事です。ジュディスさんの身柄は、エンフィールド公爵家とウェルロッド侯爵家が保護しているので、今後は一切の手出しをするなと言うくらいにするつもりです」


 だから、その分だけアイザックはマイケルに配慮してやった。

 ここでアイザックまで「徹底的にやりましょう」などと言えば、マイケルがどうなってしまうかわからない。

 それに、下手にマイケルを庇うような事を言って、自分の評価を落とす事も避けたい。

 最初からの考え通り、どう処罰するかはランカスター伯爵に任せる方向で話を進め、さり気なくフォローしてやるのが一番だと再確認する。


「ジュディスさんの事を心配するのはかまいませんが、過剰な反応は控えてください。『今、一番怒りたいのは誰か?』という事を念頭に置いて行動する事を心がけてください」

「そうね……」


 マーガレット達は、アイザックの言う事を大人しく聞き入れた。

 言葉も正しいが、ジュディスを助けたあととは思えない落ち着き。

 その冷静さがあったからこそ、素直に聞き入れる事ができたのだ。


「閣下、お話し中失礼致します。使者が戻ってきました」


 ここで執事がアイザックに報告する。

 近くに屋敷がある貴族の所から戻ってきたのだろう。


(という事は、これから続々と帰ってくるだろうな)


「僕の部屋で報告を聞く。お婆様、ブリジットさん、ティファニー。ジュディスさんと一緒に居てあげてください」


 アイザックは自分の部屋で報告を受ける事にした。

 続々と報告に来られるとジュディスが落ち着けないだろうと思ったからだ。

 祖母達にジュディスの事を任せ、自分の部屋に戻っていった。



 ----------



「ご苦労だった。指示があるまで通常の業務に戻ってくれ」


 アイザックは使いに出ていた者に労いの言葉をかける。

 報告自体は皆同じで「了解した」という返事をもらってきたというものだった。

 中には「了解した。しかし、念の為にこちらでも確認してから協力する」と慎重な返答もあった。

 それも仕方がない。

 あまりにも突然の出来事なので、慎重な対応をするのも当然だ。

 アイザックも彼らの判断に理解を示す。


 マットからは「向こうが大人しく手紙を受け取ったので、揉め事は起きなかった」という報告を受けていた。

 ブランダー伯爵家の騎士が王家に証人として確保されているくらいだ。

 当然、残った者達にこれ以上騒動を起こす気はないだろう。

 そう思ってはいたものの、マイケルが命令して争いになる可能性もあった。

 念のためにマットを行かせたのは間違いではないと、アイザックは思っていた。


 そして、最後に――


「ただいま戻りました」


 ――ノーマンがやってくる。


 彼はウィンザー侯爵家に向かったあと、寄り道をしていたので最後になるのはわかっていた。


「どうだった?」

「ウィンザー侯爵家からは『協力する』という返答を頂きました」

「えっ? 返事を貰えたの?」


 当主であるウィンザー侯爵は王宮にいるはず。

 だから、モーガンが本人に説明する事になっていた。

 ウィンザー侯爵家の屋敷に残っているもので、勝手に返答をできる者はいないはず。

 そんな事をすれば、怒られる程度で済む事ではなかった。


「パメラ様が『婚約者を魔女扱いして殺そうとするなど許せません』と憤っておられました。ウィンザー侯を絶対に説得するので、協力するように伝えてほしいとの事でした」

「あぁ、パメラさんか」


(彼女なりに思うところがあったのかな?)


 パメラも自分の身の危険を感じている。

 ランカスター伯爵家に協力する事で、味方を増やしたいのかもしれない。

 とはいえ、誰も彼もが打算で動くわけではない。

 困っている人を助けたいだけという可能性もある。

 これをネタに、また会って話そうとアイザックは考えていた。


「それとお望みの品ですが、どちらもございました」


 ノーマンが机の上に袋を置くと、中からナイフを取り出した。

 アイザックはナイフを確認する。

 ちゃんと刃のあるものだった。


「思ったより早く用意できたんだね」

「元々、おもちゃとして生産する事が前提のものだったので、量産できるようにナイフの型を流用していたそうです。ですので、普通のナイフをそのまま受け取ってきました」

「なるほどね。……やっぱり、おもちゃとして売り出さなくてよかった。普通のナイフと形が同じだと、事故が起きてしまうからね」


 アイザックは自分の判断が正しかったと改めて思った。

 ケンドラのためではあったが、一般に売り出されていたら、子供が間違って本物のナイフで人を刺すという事故が起きていたかもしれない。


「おもちゃのナイフは?」

「勝手に行動していいのか迷いましたが、炉が目に入ったので中に放り込みました」

「証拠を消すにはいい方法だ。それでいい。残しておけば、どこで露見するかわからないからね。よくやった」


 おもちゃのナイフが、かなり危うい存在だという事は彼もわかっていた。

 完全に消してしまうには、溶かしてしまえばいい。

 そこで、グレイ商会の者に許可を取って炉の中に入れてもらう事にしたのだ。

「勝手な行動をするな」と怒られる事も覚悟していたが、アイザックに叱責されずに済んで安堵する。


「それと、こちらも用意させました。……本当にこれでよろしいのですか? グレイ商会の者も困惑しておりましたが」


 続けてノーマンが取り出したのは、銀製のカチューシャだった。

 だが、装飾がまったく施されていない地味な物。

 C字型の細長い板でしかない。

 アイザックが求めるには地味過ぎる。


「これでいいんだ。まさに僕が求めていたものだよ。ありがとう。今日は、これ以上仕事はないだろうから休んでくれ。もしかすると、明日は王宮に行く事になるかもしれないという事だけは覚えておいてくれ。ご苦労だった」


 ノーマンはアイザックの指示に従い、一礼をして部屋を出ていった。

 アイザックはナイフを机にしまうと、カチューシャを手に持ってほくそ笑む。


(これさえあれば……。フフフッ)


 ――たかがカチューシャ。


 だが、これが自分の命運を分ける品物だ。

 あとはジュディスにどうやって上手く渡すのかを考えねばならなかった。



 ----------



 モーガンが帰ってきて、夕食を済ませる。

 それから、彼の話が始まった。


「ジュディス。お前の事を陛下が心配なさっていた。王家の方からも、ブランダー伯爵家に自重するように使者を出してくださるそうだ」


 まずはジュディスが安心できるように、エリアスも保護に動いてくれた事を話す。


「そして、アイザック。陛下が明日の朝から大司教猊下やクーパー伯を交えて話をしたいとの仰せだ。学校は話し合いが終わってから行きなさい」


 ブランダー伯爵家は、領地持ちの貴族には珍しい中立派だ。

 そのため、中立派筆頭のクーパー伯爵も呼び出されたのだろう。


「わかりました。ジュディスさんやマイケルも呼び出されているんですか?」

「いや、二人は呼ばれていない。いきなり対面させるのは酷だろうと判断された。登校すれば顔を合わせるだろうが……。家族が来るまでは休んでもいいんだぞ」


 言葉の後半は、ジュディスに向けられていた。

 さすがにジュディスも顔を合わせたくないのだろう。

 コクリとうなずいて「休む」と自分の意思を伝える。


「お前はここにいる誰も経験した事のないものを体験した。しばらくゆっくり休むといい」

「……ありがとう、ございます」


 モーガンが言うように、ジュディスは誰も経験した事のない体験をした。


 ――処刑されそうになった事と聖女扱いされた事。


 どちらも稀有な経験だ。

 モーガンだけではなく、他の誰にも想像できない事だ。

 家族が王都にいない以上、落ち着ける場所と時間に頼るしかない。

 そして、家族はモーガンに用意できないが、場所と時間は用意できるので提供してやるつもりだった。


「それでだ。……陛下が奇跡を起こしたナイフを見てみたいと仰っている。見せても大丈夫か?」


 モーガンが心配そうな目でアイザックを見る。

 彼はナイフが偽物だと知っている。

 ノーマンに代わりを用意させたのかを知っておきたかった。


「大丈夫ですよ。陛下にお見せする準備はできています」

「そうか、なら明日持ってくるように」

「わかりました」


 代わりが用意できているのなら、それでいい。

 モーガンは、この話題は終わりにしようとした。


 ――だが、終わりにはできなかった。


「あっ、それなら先に見せてもらいたいかも。教会も欲しがってるんでしょう? 陛下が預かるとか言うかもしれないし」


 ブリジットが「預かられる前に見せてほしい」と言ったからだ。


(余計な事を……) 


 アイザックが心の中で舌打ちする。

 だが、もう見せても問題はない。

 断る理由はなかった。


「わかりました。ジュディスさんに渡したい物もあるので、一緒に持ってきます」


 アイザックはそう言ってから、自室に戻ってナイフとカチューシャを持ってくる。

 その時、なぜか櫛を持ったメイドも一緒だった。

 最初にナイフをモーガンに渡す。


「念の為に確認をしておいてください」

「わかった」


 モーガンは鞘からナイフを抜くと、刃先を確認する。

 重さなど不可解な点もなく、ありふれた安物のナイフだ。

 だが、人を刺したりするには十分な本物のナイフでもあった。

 それを確認し、満足そうにうなずく。


「ジュディスさん。ナイフが怖いだろうけど、これをプレゼントするから我慢しててね」


 アイザックはカチューシャを見せる。

 それは、とても女性にプレゼントするような代物には見えなかった。

 ジュディスだけではなく、他の女性陣も首をかしげる。

 しかし、アイザックは彼女達の反応を無視して、ジュディスの背後に回る。


「これはジュディスさんのためなんです。僕を信じて、しばらくジッとしていてください」


 アイザックは櫛を持ったメイドに「やってくれ」と命じる。


「あっ……」


 メイドはジュディスの前髪を後ろに流す。

 前髪がなくなり、急に視界が開けてジュディスが戸惑う。

 彼女があたふたとしている間にオールバックにされ、カチューシャで髪を止められる。

 当然、ジュディスはカチューシャを外そうとするが、アイザックが彼女の腕を優しく掴んで止める。


「ジュディスさん。マイケルがなぜ魔女だと告発したのかわかりますか? 今なら、僕にも一つはわかる気がします」


 これはアイザックが思っているとかわかったではなく、マイケルが話していた事だ。

 だが、それは問題ではない。

 ジュディスに前髪を上げさせるのが目的だからだ。


「子供の頃から色々と事情があったのはわかります。ですが、この機会に変えてみませんか? 今のままでは、いつか同じ過ちを犯す事になるかもしれません。僕も兄上を手に掛けたあと、家族との仲が悪化しました。でも、それまでの生き方を反省し、家族との接し方を変えたおかげで今の良好な関係があります」

「……どういうこと?」


 ジュディスは「過去の話を持ち出してまで自分を変えようとしている理由は?」と言いたいのだろう。

 なんとなくアイザックにも彼女が言いたい事がわかったので、その説明をしてやる。


「顔が見えないのは良くないですよ。人と話をしている時に、相手がどう感じているのかわからないというのは不安なものです。マイケルも愛していると伝えていたものの、どう受け取ってもらえているのかわからなくて不安だったのではないでしょうか。そういった不安や不満が積もり積もって、今回のような形になったのだと思います」


 アイザックは掴んでいたジュディスの腕を放す。

 とりあえず、話を聞こうとしてカチューシャを外そうとはしなかった。


「でも、恥ずかしい……。それに……、視線が……」


 ジュディスは周囲をチラチラと見る。

 皆の視線が気になるのだろう。

 これは想定内の範囲だったので、アイザックも考えていた説得方法を試す。


「すぐに慣れますよ。それに、みんなの視線は受け止められる範囲のものです。皆をよく見てください」


 アイザックは、まず祖父母を指差す。


「お爺様やお婆様は、ジュディスさんの事を心配しています。それはわかるでしょう?」


 ジュディスがうなずく。

 次にブリジットとクロードを指差す。


「ブリジットさんは、ジュディスさんの側に立って怒ってくれました。クロードさんもブリジットさんの言葉を注意しても、ジュディスさんのために怒る事は止めなかったですよね?」


 この質問にも、ジュディスはうなずいて応えた。

 アイザックは、最後にティファニーを指差す。


「ティファニーもそうです。名前や顔は知っていても、まともに話した事のない相手。それでも、ジュディスさんの事を心配している。誰か蔑んだりするような、嫌な視線を向けた人がいるかい?」


 今度は首を振って応えた。

 ジュディスも、みんなが心配してくれている事はわかっている。

 その中に「婚約者に殺されそうになるなんて無様な奴だな」と蔑むような視線を向けるような者はいなかったという事も。


「これはいい機会なんだよ。ここには家族はいないし、親友と呼べるほど深い仲の人もいない。普段のジュディスさんを知らない人ばかりだ。家族や親しい人がいれば『急にどうしたんだ?』とか聞かれて、恥ずかしくなって普段の自分を変えるのが嫌になったりするだろう? だから、この屋敷にいる間は髪で顔を隠すんじゃなく、他の人と顔を合わせて話す練習にちょうどいいと思ったんだ。屋敷にいる間だけ、その髪留めを使ってみてほしい。どうだろう?」


 アイザックは、ジュディスの今後のために自分を変えろと諭していた。


 ――だが、それは自分のためだった。


(これが上手くいけば、夜のトイレも一人でいけるようになる)


 ジュディスが怖いのは、前髪で顔が隠れているからだ。

 前髪で顔が見えないとホラー映画の主役みたいだが、顔が隠れていなければちょっとビックリするだけで済む。

 夜に廊下で遭遇して、小便をチビる心配がなくなるのだ。

 良い事を言って、カチューシャを使わせようと必死になっていた。


 ジュディスは周囲を見回す。

 顔を真っ赤にして、一人一人の反応を見ている。

 そして、最後に後ろを振り返ってアイザックの顔を見る。

 アイザックはニコリと優しく微笑んだ。

 すると、ジュディスはより一層顔を赤くして、両手で顔を隠した。


(……やっぱり、いきなりは無理か)


「この屋敷にいる間だけでいいんです。試すだけ試してみませんか? 僕も髪の毛越しではなく、ジュディスさんと顔を合わせて話をしてみたいんです」


 諦めきれず、アイザックはできるだけ優しい声で話しかける。

 すると、ジュディスは一度だけ首を縦に振ってくれた。


(セーフ!)


 ジュディスに強制するようで悪いが、これはアイザックの名誉に関わる極めて重要な事だ。

 彼女が納得してくれた事に心の底から感謝する。


(あとはティファニー達に任せて、明日以降の事を考えるだけだな)


 自宅でリアルなホラーを味わわなくて済んで、アイザックはホッとしていた。

 しかし、彼女の容姿にこだわり過ぎて、内面にまで考えは及ばなかったようだ。

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