第306話 ロレッタとアマンダ、そしてニコル

 入学式から一週間が経った。

 この間にダリルの件も片が付いた。

 ある日彼が登校すると、モニカに話しかけた。


「モニカ。もし、話しかける事から始めていたら、僕の事を好きになっていてくれたかい?」

「私も婚約者は決めないといけなかったから、そういう相手だと見るようにはなったと思う」

「そうか……。最初に相談する相手を間違ったのかもしれないね……」


 ――ジェイソンの後ろ盾を得る事ができれば、確実にモニカを手に入れる事ができる。


 最も確実で手っ取り早いと思われた方法が、最も遠回りな手段になってしまった。

 その事を彼は深く後悔をする。

 結局、ダリルは退学した。

 アイザックが望んだわけではない。

 これは彼自身が選んだ道だった。


 ――大勢の前で恥を晒し、愛する女性が他の男のものになった。


 家族から責め立てられたというのもあるのかもしれない。

 学院を退学し、教会で修道士になるらしい。

 ダリルが次男という事もあり、グレイディ子爵もこれを認めた。


 チャールズのように引き止める理由もないし、学院から離れたいという気持ちもわかる。

 大勢の前で大失敗したので貴族として死んだようなもの。

 アイザックも、彼を引き止めたりはしなかった。


 アイザックが婚約したという噂も、この一週間の間に収束していった。

「アイザックに選ばれる」という宝くじを当てにするのではなく、本命の相手を探し始めたからだ。

 これはアイザックの婚約よりも、モニカとポールのやり取りが大きな影響を与えていた。

 リサのように行き遅れてから、良い相手と結ばれる可能性はとてつもなく低い。

 自分に合った相手を探すのを最優先にする者が増えたため、みんないつまでも噂話に構っていられなかったのだ。


 だが、アイザックと仲良くなっておけば、それはそれで将来役に立つ。

 本命ではなく「気に入られたらラッキー」程度に考えている者もいる。

 アイザックの周囲から人がいなくなったわけではない。

 むしろ、面子は濃くなっていた。


「先輩、リサさんとはどんな方なんですか?」


 ――ロレッタが昼休み中に会いに来る。


 それだけでも、他の女子生徒が来るよりインパクトがあった。


「どんなって言われても……。一緒に居て安心できる人……かな?」


 アイザックは無難そうな理由を答えた。

 しかし、その返事は、聞いていた者達に軽いもののようで重く受け取られた。

「綺麗な人」や「優しい人」という返事であれば、他の女の子達にも希望がある。

 だが「一緒にいて安心できる人」というのは、長い年月で信頼を築き上げてこなければなれない関係だ。

 アイザックとリサの間に入り込むのが、それだけ困難な事であると思い知らされた。


「そうなのですか」


 政治的に影響が少ないという理由で選んだのではなく、心の安らぎを感じられる相手を選んでいる。

 ロレッタはエリアスの言っていた通り、アイザックが情に厚い人間なのだと確信した。


「ロレッタさん。こうして上級生のクラスにばっかり来てちゃダメだよ。同級生に友達を作った方がいいと思うなぁ」


 アマンダが笑顔でやんわりとロレッタに注意する。

 彼女の言っている事は間違っていない。

 学生生活を送る上で、クラスメイトとの交流は重要になる。

 それは上級生との交流よりもだ。


 しかし、ロレッタはアマンダの言葉に隠された意味を感じとっていた。

 やはり、彼女も笑顔で返事をする。


「ご心配ありがとうございます。ですが、アイザック先輩は素晴らしいお方。周囲に自然と人が集まっています。一緒にいる事で、多くの方々と知り合えますの。それに優しいお方なので、一緒にいると安心できます」


 早速ロレッタは、アイザックに「一緒にいて安心できる相手」とアピールし始める。


「いやー、そうでもないよ。アイザックくんの冷たさは油断できない男って感じで、ウェルロッド侯爵家の人間らしいんだもの。隣国の王女様が関わっていい相手じゃないよ」


 アマンダは、アイザックからロレッタを引き離そうとする。

 もっと気の利いた言葉を言えないのが辛いところだった。


「あら。それでしたら、凍り付いた心を溶かす努力をするだけですわ」


 だが、それはロレッタに効かなかった。

 むしろ、アイザックに対する前向きな発言を引き出すだけとなってしまった。

 これは彼女が、アマンダからライバル視されている事に気付いているからこその返答だった。

 挫けないロレッタの姿を見て、アマンダは焦る。

 ついでに、アイザックも焦っていた。


(あれ、もしかして怒ってる? いや、もしかしなくても怒ってるよな。これ……)


 今までアマンダは、アイザックの事をこんな風に言ったりはしなかった。

 それだけに、彼女の怒りがかなり強いものだと思ってしまう。


 二人の表情は穏やかだったが、視線で殴りあっているかのようにアイザックには感じられた。

 その直感は正しい。

 他の者達は二人のただならぬ気配を、アイザックよりハッキリと感じ取っていた。

 そんな中、二人の事を気にしない者もいる。


「へー。アイザックくんって、意外と甘えん坊なところがあるのかな? 年上のお姉さんと婚約するなんてさ」


 ――ニコルだ。


 彼女は十年来の友人であるかのように、気楽に話しかけてくる。


(いや、まぁそれくらいの付き合いはあるんだけどさ……)


 彼女と知り合ったのは、確かに十年ほど前の事。

 だが、こんな風に親しくなるような出来事などなかった。

 お互いの関係の割には、やけに馴れ馴れしい。

 しかも、アマンダとロレッタの間で行われている冷戦も気にしていない様子だった。


「そういうわけじゃない。傍にいてほしいって思う相手がリサだっただけだよ」

「そういう事にしておいてあげるね。ウフフフッ」

 

 なにが楽しいのか、ニコルは小さく笑う。


「ところで、そのリサって人に会ってみたいなぁ」

「もう無理だよ。今はウェルロッドに帰ってるしね」


 リサは婚約したばかりだというのに、ウェルロッドに帰っていってしまった。

 だが、これは仕方がない面もある。

 彼女はケンドラの乳母役。

 すぐに代わりを見つけられない以上、そのまま続けてもらうしかない。

 それに婚約者だからといって、ずっと一緒にいるわけでもない。

 ジェイソンと婚約していたパメラも、王都に住む季節が過ぎればウィンザー侯爵領に帰っていた。

 結婚するまではバラバラに住む事は普通の事である。


 リサの立場は、非常に難しい立場であるという事がわかる。


 彼女を取り巻く状況としては――


 新婚早々夫が単身赴任でいなくなり、ルシア小姑ケンドラとの同居生活。


 ――といったところだ。


 家族ぐるみの付き合いを子供の頃からしていなければ、さぞかし肩身が狭い思いをしていただろう。

 もちろん、二人が嫁いびりをするはずがないので、あくまでも状況だけの話だ。


 バートン男爵家には、ファーガスともう一名の秘書官をつける事にした。

 アイザックの傍にいた彼らにしてみれば、田舎の代官付きなど左遷も良いところだろう。

 だが「未来の公爵夫人の家族を助ける」と考えれば悪い話ではない。

 とりあえず、今年一年は良からぬ考えを持つ者から守る。

 その間に、バートン男爵には身を守る方法を身に着けてもらう予定だ。

 今まで政争に縁がなかっただけに、これからは頑張ってもらわなければいけない。


「なんだぁ、残念」

「リサはケンドラの乳母をやっているから、ニコルさんも会っているかもしれないよ」

「妹さんの? ……あぁ、あの人。アイザックくんって地味なタイプが好きなんだね」


 ニコルの発言に、ロレッタとアマンダが反応する。


 アマンダの攻撃も軽やかに躱したロレッタは、見るからに動揺している。

 彼女は王女様らしく、華やかな美しさを意識している。

 それではアイザックの好みではないかもしれない。


 対するアマンダは飾りっけがあまりなく、派手か地味のどっちかと聞かれれば地味な方だ。

 さらに、ティファニーも地味なタイプである。

 リサが地味なタイプだと聞いて「ロレッタに一歩リードだ」と希望を持つ。


「ニコルさん、地味なタイプとはなんですか。いくらなんでも失礼ですよ」


 さすがにアイザックも、ニコルの発言を咎める。

「大人しい」や「控えめ」といった表現ならともかく「地味」というのは良い印象のある言葉ではない。

 過去に「リサやティファニーのようなタイプがいい」と言った時に、家族から「地味なタイプが好きなのね」と言われたが、それとは違う。

 ニコルにだけは言われたくなかった。

 ここは婚約者の名誉を守るために、しっかりと注意する。


「ごめんごめん。悪気はないんだよ。ちょっと言葉が思いつかなかっただけ」


 しかし、ニコルにはあまり効果がなかったようだ。 

 彼女は笑って受け流す。


(なんでこんな奴に攻略されるんだか……)


 アイザックは、ジェイソン達がどんな頭をしているのかわからなくなる。

 絶世の美女でも、ここまでデリカシーのない相手はお断りだ。

 だが、だからこそ魅力的に感じるのかもしれない。

 ジェイソンは「王太子である、この私にそのような態度を取るとはな。……フフッ、まぁいい。許してやろう」というセリフを言っていた……ような気がする。

 失礼な態度を取るからこそ、興味を惹かれるという事もあるのだろう。

 誰も失礼な態度を取る者などいなかっただろうから、目新しかったのかもしれない。


「だいたい、ニコルさんは人の事をどうこう言っていられるんですか? ちゃんと相手を決めておかないと、いつか後悔する事になるかもしれませんよ」


 アイザックは未来に触れる事によって「ここから先は自己責任だぞ」という確認をさりげなくする。

 注意はしておいた。

 あとは本当に本人次第だ。


「大丈夫だって。なんとかなるから」


 だが、ニコルは余裕の表情だ。

 すでにチャールズは攻略済み。

 他の誰も攻略できなかった場合でも、彼という逃げ道がある。

 どん詰まりというわけでもないので、余裕があるのも当然というわけだ。


「それよりもさ。お醤油ってもうないの? お味噌とかもあったら嬉しいんだけど、どこのお店にも売ってなくて困ってるの」


 その余裕からか。

 ニコルはアイザックにもらった醤油の事を持ち出す。

 量は多くなかったので、全部使い切ったのだろう。


 悔しい事に、アイザックはニコルが醤油を欲しがっているのを少しだけ嬉しく思ってしまった。

 この世界では、同じ味覚を持っている者は貴重だ。

 相手がニコルでなければ、喜んで渡していただろう。


「今はないよ。取り寄せないとダメだけど、人気のない商品だからお店で手に入れるのは難しいかもね」


 だが、先ほどリサに失礼な事を言ったばかり。

 味噌はまだ残っているものの、今回ばかりは素直に分けてやる気はなかった。


「えー、残念。美味しかったのになぁ……」


 ニコルはこの時、今日初めて暗い顔をする。

 その顔を見て、アイザックは心を大きく揺さぶられる。


(くそう、なんでだよ。こんな奴どうでもいいのに……。これがこいつの力か)


 アイザックは醤油や味噌を使った料理について、ニコルと語り合いたいという気分になってしまう。

 それはニコルの魅力によるものではなく、同じ味覚を持つ者同士で話し合いたいというものだったが、アイザックはそうは思わなかった。

 彼女の不思議な魅力によって、そう思わされているのだと思い込んでいた。

 だから、ついその気持ちに抗おうとして、意地でも誘うものかと考えてしまう。

 そのせいで、彼女の事を知ろうとする気持ちが萎えていく。


「おしょうゆやおみそ、とはいったいどんなものなのでしょうか?」


 ニコルとの話を聞いて気になったロレッタがアイザックに質問する。


「醤油と味噌はエルフの調味料ですよ。大豆と塩が主な原料だったはずです」

「私もその調味料に興味があります。なんとか手に入りませんか?」


 ロレッタが上目遣いでアイザックを見る。

 アイザックと共通の話題が欲しかったし、そのついででエルフの文化を知る事ができれば一石二鳥である。

 彼女に関しては、ニコルと違って願いを叶えてやりたいという気持ちがアイザックの中で込み上げてくる。


「あっ、ボクも興味がある。その、家庭科部だしね」


 アマンダも興味があると意思表示をする。

 だが、それは醤油や味噌にではない。

 自分にはプレゼントしてくれなかった品物に興味があったというだけだ。

 ニコルだけが知っているものがあるというのが、自分では信じられないほど嫌な気分にさせられた。

 とはいえ、正直に気持ちを伝えるのはためらわれる。

 だから、家庭科部を理由に、調味料を分けてもらおうとしていた。


「それじゃあ、分けてもらえるか聞いてみるよ」


 アイザックは、みんなが醤油や味噌に興味を持ってくれて嬉しく思った。

 実際に食べてみたらガッカリされるのかもしれないが、そこは調理方法を考える事でカバーできるかもしれない。

 まずは輸入してみて、みんなに食べてもらおうと考え始める。


「やった! ありがとう!」


 ニコルがアイザックの腕に抱き着く。

 それが本心か演技なのかはわからないが、表情は本当に嬉しそうに見えた。

 本当に醤油が手に入るのを喜んでいるだけなのかもしれない。

 だが、そうは思わない者もいる。


 ――アマンダとロレッタだ。


 彼女達は、当初ニコルの事をライバルだとは思っていなかった。

 あまりにも失礼な態度を取るので、アイザックが相手にしないだろうと思っていたからだ。

 しかし、実際は違う。

 アイザックが嫌がっていれば、本気で彼女を遠ざけようとするはずだ。


 ――古くからの知り合いで、恩師の孫娘。

 ――しかも、醤油という貴重そうなものをプレゼントする仲。


 絶世の美女という事もあり、彼女達にとって新たなライバルが出現したかのように感じられる。

 そして何よりも、二人にはできない事をやってのける胆力。

 それが脅威に受け取られていた。


 アマンダは、アイザックに抱き着くのが恥ずかしくてできない。

 ロレッタは、自然な流れならともかく、人前でいきなり抱き着くような真似は立場が許してくれない。


 正妻としては、お互いが一番のライバルであると感じ取っている。

 だが、それ以上に自分達ができない事を平然とやってのけるニコルの事を、彼女達は強力なライバルが登場したように感じていた。

 立場上、正妻の座を争うライバルたりえないというのにだ。

 彼女達に危機感を覚えさせるほどの何かがニコルにはあった。


 そして、その危機感を最も感じている人物。

 パメラも、この光景を離れたところから眺めていた。

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