第69話 原作とのズレ
領都ウェルロッドに戻り、早くも三ヵ月。
気温が暖かくなって、氷の入った冷たい飲み物が美味しくなってくる。
屋敷で使う分は、クロードかブリジットが氷を作ってくれている。
一日の終わりに、氷を入れた酒を飲むのがランドルフの楽しみとなっていた。
氷といえば、エルフの氷菓子店も開店した。
今はウェルロッド、テーラー、ティリーヒルの三店だけだが「どこかに腰を据えて働きたい」という要望に多少なりとも応えた形となる。
ブリジットの友人達も働く事を希望し、大人のエルフと共にウェルロッドの店で働いている。
美男美女の手作りの氷菓子が食べられる店として人気のようだ。
かつてブリジットの尻を触ったギルモア子爵のように、平民の男も女エルフの尻を触る恐れがあるので、不要な摩擦が起こらないようにウェイターやウェイトレスは人間を雇っている。
今まで交流のあったエルフの村以外も参加し始めたので、遠くに出稼ぎしても良いという者で四グループを作る事ができた。
これで王都を中心とした王家の直轄領や、他の侯爵家の領地に派遣する事ができる。
あまり遠出したくない者はウェルロッド侯爵領で働いてもらう。
なので、幸いにも自領で働くエルフの人手は不足していない。
人間とエルフのコミュニケーションの問題も、お互いに現場にいる者が上手くやろうとしているので、今のところは問題は起こっていない。
そのお陰で、アイザックはのんびりとした時間を過ごせている。
メリンダとネイサンの排除に関しては、すでにやる事が無くなった。
あとは実行する時になるのを待つだけとなっている。
ここまで来れば実行あるのみ。
上手くいくのか不安ではあるが、覚悟を決めて十歳式まで待つだけだ。
時間の余っているアイザックは、気分転換するために自室のテーブルに座りながら祖父からの手紙を読み始める。
(大変な事になってるな……)
アイザックは祖父からの手紙に書かれている内容を読み、何とも言えない気まずい気分になっていた。
自分のやった事が大きくなりすぎて、正直なところビビっている。
『やはりウォリック侯爵家には減税が申しつけられた。ウォリック侯爵家を継いだクエンティンが当主が亡くなった事を理由に、減税を延期してほしいと陛下に温情を願ったのだが「温情を与えられるべきは平民だ」と断られた。突然の減税のせいで広い範囲に悪影響を及ぼした。ウォリック侯爵領はかなり混乱しているらしい』
手紙の序盤に書かれた内容だけで、もうお腹が一杯になる。
(そこまでやるつもりは無かったのに、なんでこんな事に……)
確かに、ウォリック侯爵家の無力化を考えた事はある。
だが、それは今ではない。
まだ卒業までに十年はある。
今混乱していても、十年後には収まっているだろう。
どうせなら、九年後くらいに混乱してほしかった。
そして何よりも、アマンダ・ウォリックの動向が気になる。
原作にはなかった流れになった事により、アマンダとフレッドとの仲が強固な物になる恐れがあった。
それでは、ニコルが二人の仲を裂く事ができなくなるかもしれない。
それは最悪の事態だった。
リード王家とウォリック・ウィルメンテ両侯爵家が相手では、どうしても形勢が不利になってしまう。
(いや、そうでもないか)
今回、ドナルドがエリアスと口論している最中に憤死した。
さらに、税率が80%から50%にまで引き下げられた。
そのせいで領内で混乱が起きているという。
混乱の原因は、おそらく食料に関してだろう。
高い税率は商会から食料をまとめ買いで安く買って平民に分配するためだ。
「税金を下げるから自分で買ってくれ」では、まとめ買いで安く買えない分、今までと同じ食事は食べられなくなる。
クエンティンという新しい領主も「なんとかしろ」と突き上げを食らっているはずだ。
当主が死ぬ原因となり、領内が混乱する原因を作ったのはエリアスだ。
ウォリック侯爵領と関係のないただの貧民を使った演技だったとは思われていないのだから、表向きはそう思われている。
そうなると、いくら王党派のウォリック侯爵家とはいえ、王家に対する恨みを持っているはずだ。
王家に協力するのが消極的になるだけではなく、上手くやれば味方に引き込めるかもしれない。
(俺はこうなる事を予想して、あの作戦を決行したんだ。うん、大成功!)
そう思い込む事で、アイザックは罪悪感のような気持ちから逃れようとする。
「将来のためにやった事」と思えば、胸の奥にあるモヤモヤが晴れて、少し気分が軽くなる気がした。
(さて、続きを読むか)
アイザックは手紙の続きに目を通す。
祖父からの手紙だからというのもあるが、なんとなく責任を持ってどうなっているかを見届けないといけない気がしたせいだ。
『新しいウォリック侯爵は金に困っているようだ。突然税収が大きく減ったせいで、役人への給与すら困っているらしい。一時しのぎのためにウィルメンテ侯爵に借金を申し入れたようだ。だが、そのせいで両家の婚約は破棄になった。子供達の婚約による両家の関係強化よりも、金を貸す側借りる側という上下関係で十分だと思ったようだ』
「ノーーーーーゥ!」
驚きのあまり、アイザックは思わず声に出した。
自室に誰かいれば「頭がおかしくなった」とでも思われただろう。
(なんで……。いや、本当になんでこうなった……)
――ニコルがアマンダからフレッドを奪う。
それによって、ウォリック侯爵家がニコルとウィルメンテ侯爵家を憎み始め、その感情を利用して敵対するように仕向けるはずだった。
だが、その案も無駄になった。
フレッドとアマンダの婚約が破棄された。
それでは、ニコルがフレッドを奪っても「普通に口説いただけ」という事になる。
アマンダから奪うという形には、どうやってもならないだろう。
そして、婚約破棄の時期も悪い。
今なら「ウォリック侯爵家が陛下の不興を買ったからだ」とでも言えば、クエンティンもぐうの音も出ないだろう。
ウィルメンテ侯爵家を恨むにしても、根が深い恨みにはならないはずだ。
両家の関係に決定的な亀裂が生まれない可能性が高い。
むしろ、大金を借りているという負い目もあって、関係を絶ち切れなくなったかもしれない。
(大丈夫、まだ大丈夫。対応できる時間はまだまだある。とりあえず、これから何か考えていけばいい事だ。それに、詳しい内容までは書いていない。付け入る隙だって、きっとあるはずだ)
アイザックは一度深呼吸をする。
そして、問題を考える事を先送りにした。
(続きを読むのが怖いな……)
それでも、読まなくてはならない。
手紙を読むのを後回しにはできない。
何があったか知っておかないと、どう対応するのか考える事もできないからだ。
『我が家にも金を借りに来た。後を継いだ時の最初の仕事が金の無心では、さすがに可哀想だったから貸してやった。元々いくらかは貸してやるつもりだったから、余裕のある範囲で貸してやった。その時に「アマンダをアイザックの婚約者にどうだ?」と聞かれたが、ちゃんと断っておいたぞ。悪くない話ではあるが、婚約破棄されたばかりの娘を婚約者にするのは世間体が悪い。そして何よりも、お前とは「大きくなるまで婚約者は作らない」という約束をしていたからな』
「じぃぃぃちゃぁぁぁぁぁぁん!」
今度は叫んでしまった。
今まで自分が取った行動が全て裏目になってしまっている。
アイザックが叫んでしまうのも仕方がない。
(アマンダとの婚約って最高じゃないか!)
ウィンザー侯爵家はパメラに死罪を言い渡されるので、味方にする事は容易だ。
だが、王党派のウォリック侯爵家を味方にする事は至難の業だった。
アイザックがアマンダと婚約すれば、ウォリック侯爵家を味方に引き込む難易度がグッと下がる。
しかも、それだけではない。
侯爵家が三家も手を組んで反乱を起こせば、日和見主義者だけではなく、王党派の中からも寝返る者が出てきたはずだ。
その効果は絶大なものとなっただろう。
もちろん、その場合はアマンダには第二夫人となってしまう。
「自分が王に成り上がるために利用する」という罪悪感にさえ耐えられるのならば、最高の話だったのだ。
(でもまぁ、アマンダも可愛いから側室にするのも悪くないな。それでオッケーと言ってくれるんだったらだけど)
アイザックは葬式で見かけたアマンダの姿を思い出す。
侯爵家令嬢とは思えないベリーショートの髪型と日に焼けた肌。
公式サイトで見た彼女は、大きくなっても大体似たような姿だった。
学院に入る年になっても身長は低く、女子の陸上長距離選手のように無駄な脂肪を省いた体付き。
健康的な小麦色の肌に、明るい性格。
そして、ボクっ子。
アイザックは胸の大きな女性が大好きだが、小さな女性が嫌いなわけではない。
前世でアマンダレベルの女の子に告白されたら、地面に頭を擦りつけて感謝の気持ちを告げていただろう。
少なくとも、ストライクゾーンから外れているというわけではない。
ど真ん中か、外角よりかの違いでしかない。
パメラと会わなければ、普通にアマンダを第一夫人として愛せていただろう。
(そうか。なんで俺への手紙にウォリック侯爵家に関する内容を書いていたのかと思ったら、アマンダとの婚約話があったからか……)
もしも、自分が王都にいれば、どうやって色よい返事をするか考えていたところだ。
アマンダを下剋上のための手駒のようにするのは申し訳ないが、ウォリック侯爵家を味方にできるかどうかは大きな違いとなる。
「本当に申し訳ない」という感情を抑えて婚約を受け入れていたことだろう。
本当に惜しい事をした。
(こんなところで過去の出来事が影響するなんて思うはずないだろ……)
アイザックは頭を抱える。
確かに「王立学院を卒業するまで婚約者を作らないでほしい」と言った。
だが、それは三年ほど前の事。
状況が変わった今、その一言が悪影響を及ぼすなんて考えもしなかった。
当時の自分に「婚約者は自分に選ばせろ」と言うように忠告してやりたいくらいだ。
(いや、待てよ。爺ちゃんの手紙に『婚約破棄されたばかりの娘を婚約者にするのは世間体が悪い』とある。っていう事は、まだまだチャンスはあるって事だよな? それじゃあ――)
トントンとドアを叩く音で考えが途切れる。
そして、すぐにドアが開かれた。
「アイザック様、何かございましたか?」
おそらく、アイザックの叫び声を聞いたのだろう。
メイドが様子を見に来たらしい。
「大丈夫だよ。お爺様の手紙に返事を書こうとしたら、インク壺が倒れそうになって声が出ちゃっただけだよ」
とっさに思いついた嘘だが、そう悪くない。
メイドも信じたようで「何か御用があればお呼びください」と、ドアを閉めて仕事に戻った。
(ふぅ……。いきなり来るから焦ったじゃないか。それに、子供だからってノックの後すぐにドアを開けるのはやめて欲しい。思春期の時期にいきなりドアを開けられたら……、辛すぎるだろ)
アイザックは先程のメイドの行動を考える。
だが「ドアを開ける時は、ちゃんと返事を待ってからにしてほしい」というのも気が引ける。
「あぁ、アイザックにも思春期が来たんだな」というような生温かい目で見守られるのは、それはそれで辛い。
今はまだ耐えられるので、もうしばらくは我慢の時だ。
間が開いた事でアイザックは冷静になる時間ができた。
もう一度手紙を読み、テーブルの上に置く。
(やっちまったもんはしょうがねぇなぁ……。考え込んでもしょうがない。俺が関係してるってバレさえしなけりゃ問題無いはずだ)
ウォリック侯爵家に起こった事は不幸な事故だ。
わざとやったわけではない。
「素性の知れない貧民の直訴を信じて減税を命じたエリアスが悪い」と責任を全てなすりつけて気を楽にしようとしていた。
(それと、急いでアマンダとの婚約話に食いつく必要もないな。どの程度ウォリック侯爵家が王家などを恨んでいるのか調べてからでいい。婚約してウォリック侯爵家を味方にできるのは良いが、婚約する事によって行動が制限される可能性もある。今はまだ自由に動ける方が良い)
手紙を読んだ時は「なんで婚約を受けなかったんだ!」と思ったが、少し考えると「婚約を受けなくて正解だった」と思い始める。
アマンダと婚約すれば、ウォリック侯爵家の催し物などにも顔を出さなくてはならなくなる。
人脈を広げるという意味では悪くないが、別に婚約しなくてもできる事だ。
それよりも、他の女の子に話しかけにくくなる方がデメリットとなる。
これはナンパしたいというわけではない。
将来に備えての準備のためだ。
例えば、ランカスター伯爵家の娘であるジュディス。
彼女の祖父であるサミュエルは、アイザックの祖父であるモーガンと仲が良い。
だが、仲が良いからといって、さすがに反乱の手助けはしてくれないだろう。
味方に引き入れるには、最低でもジュディスを助けて恩を売っておかなければならない。
そのためには、彼女と接触しなければいけない。
――だが、婚約者がいるのに他の女に声を掛けるのは世間体が悪い。
この世界では政略結婚が普通に行われる。
恋愛の自由など、貴族の子供達にはない。
だから、肉体的な接触はなくとも「精神的な恋愛関係」という恋人ごっこを楽しむ者も一定数いるそうだ。
当然婚約者の中には「まるで本物の不倫だ」と不快に思う者もいる。
そういった層から不要な反感は買いたくないので、婚約者の存在はアイザックにとって足枷になる。
婚約だけで正式に結婚していなくても「婚約者がいる」というだけで行動に制限がかけられてしまう。
下剋上の事を考えているアイザックにとって、それは望ましくない事だ。
(王都にいて、焦って婚約発表なんていう暴走をせずに済んだと喜ぶべきなんだろうな)
考えれば考えるほど、自分にはとっさの思いつきの行動が合っていないと気付く。
思いつきで動いた時に出る結果に、自分自身が耐えられないからだ。
「何かをする時は、よく考えてから動くべきだろう」と思った。
(ネイサンも婚約者がいなかったはず。そっちに話が行ってもおかしくなかった……。もしかして、俺の方が後継者争いでリードしていると思われているのか?)
アイザックはそのように考えたが、すぐに思い直した。
(いや、ネイサンはウィルメンテ侯爵家の系統。その血筋を嫌って俺の方に話を持ってきたのかも)
婚約を破棄した相手と同じ血筋の者を、新しい婚約者に選ぶ事を避けたのだろう。
さすがにそこまでプライドを捨てる事ができなかったようだ。
ちなみにネイサンに婚約者がいないのは、主にランドルフとメリンダのせいだ。
最初はランドルフが決めた後継者の問題により、他の家は婚約を申し込む事を敬遠していた。
だが、アイザックが生まれた事により、メリンダがネイサンを後継者にしようと根回しを始める。
それによって「ネイサンが後継者になるかも?」と思われ始めたが、その頃には目ぼしい相手が残っていなかった。
パメラはジェイソンと、アマンダはフレッドと婚約が決まっており、侯爵家の娘とは縁談が決まらなかった。
伯爵家でも有力者の娘は公式・非公式問わず婚約の話が進んでいた。
残っているのは侯爵家の後継ぎには正直微妙だと思われる家の娘だけ。
そうなると、メリンダが「その娘はネイサンの婚約者にふさわしくない」と駄々をこね始める。
外国の有力者でも良いから、ネイサンにふさわしい相手を探せと言い始めたのだ。
そのせいでネイサンの婚約者選びは難航し、いまだに決まっていない。
なお、アイザックが幼い頃に婚約者が決められていないのは、ルシアの出自のせいだ。
「母親が子爵家の出」という事で、ウェルロッド侯爵家の継承権第二位であっても、自分の娘をアイザックの婚約者に推薦する者がいなかったからだった。
今ではダメで元々で、婚約者の決まっていない娘を持つ親が、とりあえず「自分の娘を婚約者にどうか?」とモーガンに薦めてくるらしい。
状況が変わってきているとはいえ、現金なものだ。
(だが、この状況はマズイな。俺の行動のせいで原作と話が変わってきてる。ニコルとも会っちまったし、何か影響を与えてるかもしれない。どうしよう……)
このまま原作改変上等で突っ切るか。
それとも、大人しくしてこれ以上話の流れを乱さないように大人しく過ごすか。
これはかならず選ばなければならない問題だ。
アイザックにまた一つ悩みが増えた。
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