第17話 決意

「ハァ……」


 アイザックはベッドに潜り込みながら、何度目かの溜息を吐いた。

 一日経っても、パメラの事が忘れられない。

 どうしても、彼女の事を思うと食事も喉を通らない。


 この世界には、同年代から年上まで幅広く可愛い女の子がいる。

 女としての魅力だけならば、若いメイドの方がグッと来る。

 転生ではなく、大人の体のままの転移であったならば、毎日前屈みになった状態で過ごしていただろう。


 可愛い事は可愛いが、パメラはそれ以上に魂を惹かれる何かを持っていた。

 こんな不思議な感情は初めてだ。

 そう簡単に彼女の事を忘れられるはずがない。


(結局、最初に戻るわけだ)


 パメラを手に入れたい。

 だが、モーガンが何か大事な理由があっての婚約だと話していた。

 貴族として、王子の婚約者を奪うような真似はできない。

 ならば、文句を言われぬように、王族を権力の座から引きずり下ろすべきだろう。

 自分が王となれば、誰にも文句を言われる事なくパメラを手に入れる事ができる。


 最初に王になってやろうと思ったのはなんとなくだった。

 ただ、権力者になれそうだから、目指してやろうという軽い気持ちだった。

 だが、それが欲しいものを手に入れる最短、確実な方法でもあった。


 ――パメラ以外の者と結婚して、幸せな結婚生活を過ごす。


 それも一つの選択肢として考えた。 

 しかし、王族がいる以上は簡単に覆されるかもしれない。


 今もメリンダによって、男友達になりそうな子供はネイサンのもとへ集められている。

 誰かが理不尽だと思っても、それを押し通す事のできる力。

 それが権力だ。


 王に何か理不尽な命令を出された場合、幸せな生活をしていても引き裂かれる恐れがある。

 結局、自分よりも権力を持つ者がいる以上は、自分の生活を脅かされ続ける。


 ――それを防ぐにはどうするか?


 簡単だ。

 自分で権力を握ればいいだけだ。


 自分の幸せを邪魔する者を叩き潰せる力を持てばいい。

 そうすれば、誰も邪魔をしてこない。

 邪魔をしようとする者が居ても、全員排除していけばいつかは居なくなる。


 ――自分の人生は自分で掴む。


 これは前世と同じだった。

 ただ、大きな権力が関わるかどうかの差でしかない。

 ならば、当初の目的通り反逆による国家掌握を目指すだけだ。


(一番良いのはスターリンのように、権力を手中に収めるまで表向きは目立たぬまま影響力を高める方法だ。けど、時間が掛かり過ぎるし、学院を卒業してからになってしまう。それではパメラが殺される。今、俺が参考にすべき人物は――)


 アイザックは本で読んで来た歴史上の偉人を思い出し始めた。


(――織田信長のようなタイプは無理。ナポレオンのように戦争で武名を高めるタイプも無理。ヒトラーのようにカリスマ性で人を惹き付けるのは無理。……あれ? 無理じゃないか?)


 有名な独裁者を思い出すが、そのどれもが一芸に秀でている。

 凡人が権力を手にした例が思いつかなかった。

 自分が凡人である事を認め、地道に始めようとするアイザックにとっては辛い現実である。


(だったら、俺がなってやる! どんな分野でも、最初の一例はあるもんだからな)


 アイザックは諦めなかった。

 人の弱みを握り、利益によって心を縛る。

 そういう地道な根回しをするべきだろう。


(金、権力、女。そういった物が欲しいのに、それらを手に入れるために金と権力が必要だ。あぁ、クソ。ネイサンマジうぜぇな。目の前に金と権力があるっていうのに、あいつのせいで使えやしない)


 人生が上手くいかない事への怒りをネイサンに向け始める。

 ネイサンがいなければ、家中の掌握という手間を省けていた。

 その分、王位簒奪の準備も進んでいたはずだ。

 必要のないところで足止めを食らってしまい、不愉快になる。


(どいつもこいつも、俺の幸せな人生計画を邪魔しやがって……)


 アイザックの顔が、子供とは思えないほど険しいものになる。 

 両親譲りの優しい顔立ちが変わるほどに。


(みんなこの手で片付けてやる。そして、全てを手に入れるんだ)


 この世界に来て何度目かの決意。

 だが、今回はその意味合いが違う。


 アイザックはどこか遊び気分で、下剋上を目指すと決意していた。

 今まではネイサンやメリンダを無力化してしまえば、殺さなくても良いと考えていた程度だ。

 しかし、今回は殺す事を前提に考え、完全なる排除を目指す。

 そこには妥協も慈悲もない。


(暗殺者でも雇うか? さっさと殺してしまえば――)


 暗殺者など、どこで雇えばいいのかわからないのに、そんな短絡的な考えをしてしまう。

「さすがに暗殺は無いな」と考えるアイザックの耳に、ノックの音が聞こえてくる。


「アイザックー、遊びに来たよ」


 リサの声だ。

 だが、今は会いたくない。


「ごめん、今は遊ぶ気分じゃないんだ。また今度遊ぼう」


 アイザックの返事を無視して、ドアが開けられる。


「あっ、ちょっと!」


 自分のプライベートな空間に勝手に入ろうとするリサに、起き上がって抗議の声を上げる。

 しかし、ドアを開けたのはアデラだった。

 彼女も乳母としてリサと一緒に来ていたのだ。


「まったく、酷い顔をして……」


 今は泣いていないが、アイザックは目を泣き腫らし、頬には涙の跡がある。

 アデラがハンカチを取り出し、アイザックの顔を拭く。


「今は放っておいてほしいんだけど」


 アイザックの言葉に、アデラは首を振る。


「ずっと考え込んでいては、いつまでも忘れられない。気分転換も必要ですよ」


 アデラはアイザックの事情を知っているようだ。


「……お爺様から聞いたの?」

「乳母ですからね」


 アデラは優しい笑みを浮かべる。

 そこに、リサも参戦してきた。


「まだ見た事もないけど、そんなに可愛い子だったの?」

「リサ!」


 傷口を直接抉る言葉を放ったリサを、アデラが叱りつける。 

 アイザックは目を閉じ、パメラの事を思い出しながら言った。


「可愛いけど、可愛さならリサお姉ちゃんやティファニーも負けてはいない。一目見た時から、もっとこう……。心の繋がりを感じたような気がしたんだ」


 アイザックの言葉に、アデラは驚く。

 元々、五歳児とは思えないアイザックであったが、この言葉は今まででも一、二を争うくらい子供が言うセリフとは思えなかったからだ。


「それだけ可愛くて好きになったっていうのじゃないの?」


 だが、リサには通じない。

 彼女はまだ恋をした事がなかったせいだ。

 心の繋がりというものを想像できなかった。


「リサお姉ちゃんも人を好きになればわかるよ。……なんで、お爺様はリサお姉ちゃんにまで話してるの!」

「そりゃ、お姉ちゃんだし?」


 リサは首をかしげる。


(小さい子供だからって、いくらなんでもプライベート無さすぎだろう!)


 もっと大きくなれば配慮してくれるのだろう。

 けれども、今はまだ幼い。

 現状を共有する事で、子育てに手抜かりのないようにしているのだと思われる。

 しかし、完全なる子供ではないアイザックにとって、その対応は辛い。

 下手をすると、みんなに“あいつは出会って数十秒で失恋したから、温かく見守ってやってくれ”と言いふらされている可能性がある。


 そんな事、たまったものではない。

 アイザックはベッドから抜け出す。


「リサお姉ちゃん、先にパトリックと遊んでて」

「アイザックはどうするの?」

「先にお爺様と話してくる」


 主に「言いふらさないでくれ」と文句を言いにだ。


「旦那様は中庭におられましたよ」

「ありがとう」


 アイザックは部屋を出て、中庭へ向かう。

 その背後をアデラとリサが付いてくる。


「一人で大丈夫なんだけど……」

「乳母ですから」

「お姉ちゃんだから」


 アイザックの抗議を笑顔で受け流す。

 彼女達はアイザックが心配なのだろう。

 心配してくれるのは嬉しいが、同時に鬱陶しくもある。


(まぁ、贅沢な悩みだな)


 ――放置されるよりはマシ。


 アイザックはそう思い、気にしないようにしていた。




 中庭にいたのはモーガンだけではなかった。

 祖父母と両親の四人が暗い顔を突き合わせている。

 おそらく、アイザックの事を話し合っていたのだろう。


「アイザック!」


 最初に気付いたランドルフが、アイザックのもとへ駆け寄る。

 そして、抱き上げた。


「心配をかけてすみませんでした」

「良いんだ」


 ランドルフが頬ずりをする。

 彼も心配していたのだ。

 自分で苦難を乗り越えて来たアイザックを、精一杯抱き締めてやっていた。


「お爺様にお話が有って来ました」

「そうか」


 ランドルフは、アイザックを自分とルシアの間に座らせる。

 そして、アイザックの背後にアデラとリサが立つ。

 皆の視線がアイザックに集まっていた。


「お爺様にお願いがあります」


 ――お願い。


 モーガンはその言葉に眉を動かした。

 パメラとの婚約をお願いされても、叶えてあげられないからだ。


「なんだね」

「良い婚約者を探していただけるとの事でしたが、やめてくれますか?」

「それは構わないが……。いつまでだ?」


 ネイサンがいるとはいえ、アイザックが本来の後継者である。

 パメラを思い続け、結婚する事なく子孫を残さないという事になれば大事だ。

 だから、モーガンは期限を求めた。


「王立学院を卒業するまで。という事でどうでしょうか?」


 これはアイザックにとって譲れない一点だった。

 もちろん「形だけの婚約者を作って、相手の家の力を利用する」という事も考えた。

 だが、それではいつか婚約者を裏切ることになる。

 そんな事はやりたくない。

 これはアイザックなりの、まだ見ぬ婚約者への精一杯の誠意だ。

 自分でも甘いとは思ったが、言わずにいられなかった。


「……ランドルフと同じようにというわけか」


 モーガンは唸る。

 ランドルフは貴族社会において、例外中の例外。

 同じようにというのは問題がある。

 ランドルフに婚約者が決まっておらず、ルシアと結婚できたのは非常に運が良かったとしか言いようがなかった。


 これは、アイザックの曾祖父であるジュードの影響だ。

 彼は身内を使った謀略に抵抗が無かった。

 嫡流のランドルフですら、最高の切り札でしかなかった。

 しかしながら、ランドルフの卒業前に戦死。

 謀略のカードとして切られる事もなく、フリーだったランドルフは愛するルシアと結婚できた。


 だが、通常の貴族であれば別。

 大体が王立学院に入学する前に婚約を済ませる。

 卒業するまで婚約者を決めないという事は、目ぼしい相手が残っていないという事だ。

 ランドルフとルシアのように、思い合う相手が居ないと寂しい結果になる可能性が高い。

 モーガンが難色を示したのはそのせいだ。


「同じ年の者と婚約する事が多いそうですが、絶対ではないでしょう? 良い相手が残っていなければ、多少年が離れている者から相手を見つける事はできるはずです。なんだったら、リサお姉ちゃんを引き取っても良い」

「ちょっと、私は五歳も年上なのよ! アイザックが卒業するまで待ってたらオバサンになっちゃう! っていうか、なんで売れ残ってる事を前提に――」


 抗議の声を上げるリサを、アデラが口を押さえる。

 主家の一族の重要な話し合いに口出しするべきではないからだ。

 ただ、リサの抗議内容は正当なものだ。

 この世界においては、学院卒業後に結婚する者がほとんど。

 五年も独身生活をしていては、行き遅れと後ろ指を指される事になってしまう。


「まぁまぁ、あくまでも例として挙げただけだから」


 アイザックは仕草でリサに落ち着くよう訴えかける。


「お爺様。これは僕なりに考えた結果です。良い相手が見つからない、僕自身が誰とも良い関係にならない。そういう場合は卒業後にお爺様の選んだ相手と婚約する事に従います。お願いします。卒業まで待ってください」


 アイザックが頭を下げる。

 その姿を見て、モーガンは他の者を見回す。

 正直なところ意見が欲しい。

 だが、見る限りでは「アイザックの望み通りにしてやってもいいんじゃないか」という目をしている。

 聞くまでも無かったようだ。


 それに大貴族として考えた場合、アイザックに自由にさせるのはなんとかなる程度の問題だった。

 有力な貴族からの婚約の申し出はネイサンの方に来ている。

 今のところアイザックに対する申し出は弱小貴族からのみ。

 ならば、自由にさせてやっても良いのではないかとも思った。


「わかった。ただし、条件がある」

「なんでしょうか?」


 アイザックは顔を上げ、モーガンの目を見つめる。


「パメラに会いに行かない事だ。もちろん、社交界で会う事があるだろうが、挨拶だけで必要以上に接触する事は許されん」

「!?」


 これはモーガンがジェロームと話し合った結果決めた事だ。

 パメラの方もアイザックに特別な感情を抱いたようだった。

 王子の婚約者として、他者に恋慕しているなど非常にマズイ。

 接触を持って後戻りできないところまで行く前に、二人を引き離す事にしたのだ。


 本来なら、一方的に告げねばならなかった事。

 それを卒業までの間婚約者を決めない事の条件として伝え、アイザックに受け入れやすい形にしてやった。

 アイザックは下を向き、唇を噛み締める。


「わかりました。ですが、お爺様もウェルロッド家当主として約束を守ってください」

「もちろんだ」


 モーガンは当主としてふさわしい威厳に満ちた顔で答えた。


「お爺様が引退して、お父様に当主の座を譲ったから、約束は反故にするというのも無しですよ」

「当然だ。……今までお前にそんな酷い事をした覚えはないぞ」


 モーガンは孫に疑われた祖父として悲しみに満ちた顔で答えた。


「ありがとうございます。ただ、今はもうしばらく時間が欲しいです」

「うむ、それは致し方なかろう」

「心配をかけてごめんなさい」


 アイザックは謝り、父や母に抱き着いた。

 そして、アデラやリサと共にパトリックのいる部屋へと向かった。

 その後ろ姿を見送り、一同は深い溜息を吐く。


「アイザックといいパメラといい、頭の良い子は早熟なのかしら」


 マーガレットが呟く。


「いやぁ、僕も同じ年くらいの時に女の子の事が気になり始めたから、そんなものじゃない?」

「まぁ」


 ランドルフが予想よりも早く異性に興味を持っていた事にマーガレットは驚く。


「私達は結婚してからよ。政略結婚なんてまっぴら。本当に愛し合ってお義父様を見返してやりましょうって話し合ってね」


 モーガンとマーガレットは、ジュードに決められた完全な政略結婚だ。

 だが、それを嫌ったマーガレットがモーガンと話し合って好き合うようになっていった。

 恋愛による結婚ではなく、結婚してからの恋愛だ。

 これはこれで、割り切った結婚生活の多い貴族社会において珍しい事だった。


「仲良く手を繋いで歩く私達の姿を見て驚いた父上の顔は見ものだったな」

「えっ、あのお爺様がですか!」


 冷徹な計算のもとで決断を下すジュード。


 ――冷た過ぎて感情が凍り付いた人。


 そう思っていた祖父が驚く姿など、ランドルフには想像できなかった。


「あぁ、そうだ。……きっと、アイザックも驚かせてくれるのではないかな」


 ウェルロッド家、三代の法則。

 それに則れば、アイザックが何かをやるはずだ。

 一同はアイザックが何を起こすのか。

 少し怖がりながらも、楽しみにしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る