3
放課後。
ナミ(とメイちゃん)がお店に来る前に宿題を終わらせようと、足早に七日町商店街に向かう南海さん。
時間短縮のために、小学校と商店街の間にある近道を使おうと、やや大通りから引っ込んだ小路に足を踏み入れた。
ホントは通学路から外れるから登下校には使っちゃいけないんだけど、ま、いっか。
ギリギリ車が通れる、小さなスナックや居酒屋が点在する、いわゆる歓楽街の、細い道。
日が暮れたら絶対近づいちゃいけない、って言われてるけど。
昼間だし、人通りは少ないけど、全く無いわけではないし、大丈夫。
小さい頃から、何度も足を踏み入れている、南海さんにとっては庭みたいなものだし。
それでも、人に見られたらまずいな、という気持ちもあったので、殊更足を早めて通りすぎようとして……ふと、足を止める南海さん。
クルッと左を向いて、しゃがみこみ、手を合わせた。
道端にひっそりと佇む、小さな祠。
右側の耳が欠けてしまった古い狐の石像が、一体チョコンと祀ってある。
社名も謂われも分からない、古い、小さなお社。
お稲荷さんだろうと見当を付けて、小さな頃、よく油揚げを分けてもらっては納めにきた。
最近はすっかりご無沙汰だったけれど、昔からの習慣で、南海さんは当たり前のように手を合わせ、頭を垂れる。
『神様に手を合わせるのは、お願いするためじゃなくて、感謝するためなんだよ。こちらのお社にお詣りさせていただけて、ありがとうございます、って。今日も無事、過ごすことが出来ました、って』
まだ、ひいおばあちゃんが生きてた頃。
杖をつき、南海さんを連れて散歩しながら、小さなお社を見つけては手を合わせていた。
『きっと、何かしら必要があって、ここに居なさって、ずっとお守り下さってるんだ。ありがとうございますって言うんだよ。おかげで、この道を通ることが出来ますって』
両親だけでなく祖父母もお店で忙しかったので、ひいおばあちゃんが南海さんの守役だった。
南海さんが七歳の時に亡くなるまで。
だから、幼い時の事なのに、ひいおばあちゃんの言葉は、鮮明に思い出せる。
神様仏様を見かければ、南海さんは何も考えず、手を合わせ、頭を垂れる……無意識に。
思い浮かべるのは、感謝の言葉だったり、単に朝昼晩の挨拶だったり、本当に無心の時もあるけれど。
神様だろうと仏様だろうと、決まりも何も知らず、ただただ、手を合わせるだけで、ひょっとしたら礼に叶ってはいないのかもしれない、けど。
顔を見れば必ず、おまけに何の邪心もなく挨拶してくれる子供を嫌う人は、そうはいないはず……それは神様仏様だって、変わらないのかもしれない。
だから。
そんな南海さんが、これから起きる予定の、ちょっとしたことでない災難に巻き込まれずに済んだのは。
……単に運が良かった、では済まされない、神様の御加護のような不思議な力を、感じずにはいられないのであった。
顔を上げて、再び帰路につこうとした南海さんの背後で、カチャンと硬い音が響いた。
小さな音だったけど、気が付いて振り向いた南海さんの足元に、手提げ袋につけていたキーホルダーが落ちていた。
だいぶ昔、少し年の離れた従姉にもらった旅行土産の猫のキャラクターのキーホルダー。
南海さんの名前が入っているので、ネームタグ代わりにつけていたんだけど。
「あれ? 別に壊れてないのに……変なの」
金具にも紐にも傷はない……というか、あんな風に「カチャン」なんて音がするほど重みもない、のに。
首を傾げながら、南海さんは再び手提げ袋にキーホルダーをつけて、今度こそ、歩き出す。
小路を抜けて。
南海さん、足を止める……止めないではいられなかった。
大通りに足を踏み出そうとした、瞬間。
ガシャーン、とも、ドカーン、とも聞こえるような、盛大な破壊音が、聞こえて。
足を踏み出し、勢いよく回れ右、した瞬間、目に入る、大惨事。
小路をでた、すぐ角にある空き店舗に、大きなワゴン車が突っ込んでいた。
グシャグシャになったワゴン車から、まだモウモウと煙が立ち上っている。
空き店舗はシャッターが降りていたが、それも突き破られていた。
「あ、南海ちゃん」
しばらく呆然としていると、すっかり顔馴染みの魚屋のおじさんが、真っ青な顔で駆け寄ってきた。
「危ねえよ! こっちに来な!」
おじさんに手を引かれて道路の反対側に渡った途端、サイレンの音が近づいてきた。
「……何があったの?」
「何って、騒ぎを聞き付けて来たんじゃねえのかい?」
「ううん。今、そこの道から出てきたの。そこを曲がって、お店に」
帰ろうと……。
全部の言葉をいう前に、おじさんが南海さんを抱き締めた。
「何てこった! 一歩間違えたら、南海ちゃんが巻き込まれてたかもしれねえ! よかったよ……巻き込まれずに、本当によかった……」
おいおい泣くおじさんの腕の中が苦しくて。
南海さん、何とかおじさんを宥めて、解放してもらう。
そうこうしているうちに消防車やパトカーがやって来て、同時に野次馬も増えてきた。
「ちょっとお話よろしいですか?」
お巡りさんが、おじさんに声をかけてきて、何となく一緒にいた南海さんも、付いていく流れになって。
南海さん、実は凄く危ない状況に、自分がいたことを知る。
たまたま空き店舗のはす向かいの事務所に注文を受けたお惣菜を届けにきた魚屋のおじさんが、事務所を出ると。
隣の駐車場からワゴン車が出てきて、そのまま真っ正面の空き店舗に突っ込んでいった。
呆気に取られたおじさんが、ふと気が付くと、そこに、やはり呆気に取られた南海さんが、立ちすくんでいた、という訳らしい。
「あと1分、いや30秒早く南海ちゃんが来ていたら、巻き込まれてたかも知れんのですよ」
思い出して、また涙を浮かべるおじさん。
あと、1分か、30秒……。
もし、お稲荷さんにお詣りせず、まっすぐ小路を出ていたとしたら……。
ううん、そのあと、もし、キーホルダーを落としたことに気付かず、それをつけ直すために時間を使ってなかったら。
何も気付かず、角を曲がり、スーパーに向かって、空き店舗の前に、いたのかもしれない。
グシャグシャのワゴン車と、シャッターに挟まれて。
…………!
……死んでいたのかも、しれない。
もし、お詣りしてなかったら。
自分の状況を思い知らされ、恐怖のあまり真っ青になる。
驚いて涙も声も出ない南海さんを、おじさんがスーパーまで送ってくれて、ついでに事情を説明してくれた。
「ワゴン車は誰も乗ってなくて、エンジンがかけっぱなしだったらしい。幸い空き店舗で店にも誰もいなかったから、怪我人もなかったし、本当に南海ちゃんが巻き込まれずにすんでよかったよ」
おじさんの話を聞いて、お母さんが南海さんを抱き締め。
涙声で「もう! きちんと通学路を通りなさいって言ってるでしょう!」と叱りつけてきて、改めて恐怖が襲ってきた。たとえ通学路を通ったとしても、結局あの場所は通るのだけど。
ということは、かなりの確率で、あの事故に巻き込まれていた可能性が高いわけで。
「……南海ちゃん、どうしたの?」
不意に、耳に飛び込んできた、声。
お母さんに抱き締められたまま、南海さん、声の方の視線を向けた。
「……ナミくん」
絞り出すように、名前を口にする。
「……ナミ……な……うわあぁぁん!」
その言葉をきっかけに、堰が切れたように、南海さんは泣き出した。
「……えぐっ……ひっく……った……くて……たよぉ……」
死ななくて、よかった。
お母さんに、お父さんに、また会えてよかった……!
ナミくんに、また会えて、本当に、よかったよぉ……!
赤ちゃんみたいに、お母さんにしがみついて、南海さんは、泣き続けた……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます