第二話
──汝、すべからく弱き者を尊び、
かの者たちの守護者たるべし。
『騎士の十戒』
Book Cover for Leon Gautier's
"La Chevalerie"
ガウェインは罪悪感に胸を痛めた。
──これで5人目だ。いったい何人の令嬢を送り返せばいいのだろう。
だがその日、馬を降りて歩いてきた令嬢にガウェインは驚いた。うわさとは目の色も髪の色も違う。
近くでみてやはり違っていることに戸惑い、うっかり言葉に発していた。
『きみは……本当に“クニス家のご令嬢”?』
第二話
ガウェインの言葉に一瞬きょとんとした少女は、ぎこちなく笑って見せた。
『はい、サー・ガウェイン。令嬢の“妹の”アネットです』
──あれは、本当に申し訳なかったな。
ガウェインは己の失態を恥じながら馬の背にあった。とても嫌な気分になっただろう。でも彼女は笑って見せた。……クニス家のアネット嬢か。侮辱されたと怒るのではなく、彼女がぎこちなかったのは自分を恥じたからだ。あんなに控えめな令嬢は珍しい。
ガウェインは気の毒にも思った。彼女はふだんから周りに言われたことを断れなかったり、嫌なことをされても黙っているのではないだろうか。
人を信じやすく簡単に許す。何かあれば自分を責める。アネット嬢を利用するのは簡単だ。純粋すぎる少女がゆえ、よけいに罪悪感を感じてしまう。
──ええい、最悪な任務だ!
ガウェインは考えるのを止めようと、馬の足を速めたのだった。
ガウェインは円卓に席を与えられた騎士だ。それは彼がアーサー王の甥だからではなく、数多くの冒険譚をもつ優れた騎士であるからだ。また、不思議な噂もあった。彼と手合わせしたことのある人々の間では、ガウェインの力が登る陽とともに増し、沈みゆく陽とともに衰えるとささやかれていた。ゆえに彼を“太陽の騎士”と呼ぶ者もいた。
だが当の本人は──周りから称えられる理由を──じぶんがアーサー王の甥だから、と思っていた。名声は全てアーサー王のもの。むしろ王の甥として責任ある振る舞いをしなければならない。神の教えを守り、弱き者と貴婦人の守護者でなければ。
ガウェインは真面目すぎるところがあったし、考えすぎる部分もあった。だが忠義に厚く正義の騎士として、ブリテンじゅうから尊敬を集めていたのである。
アーサー王が困ったとき、真っ先に立ち上がるのもガウェインだった。今回の件もまた──……。
「聞いたぞ、ガウェイン。また新しい“花よめ候補”を呼んだって? 今度のご令嬢はどうだった?」
宮廷での用事を済ませたガウェインは、自分のタウンハウス(貴族が首都にもった居住。領地での邸宅はカントリー・ハウスという)に入るなり、同じ髪の色をした男性に声をかけられた。
「どうだったと言われても……別にやましいことは何にもない」
「“何にもない”だって? ブリテンじゅうの乙女から想いを寄せられている色男が?」
ガウェインはため息を吐きながら、マントを脱ぎ鎧の留め具を外した。「…そんな話をしにきたのか。ガヘリス、お前はよっぽど暇なんだな」
ガウェインの弟ガヘリスは、おどけた仕草で兄に歩みよった。
「いいじゃないか。“真っ赤なリボンの招待状”ってな、女たちは呼ばれたくて皆噂してるぞ」
「冗談は大概にしてくれ」
弟の軽い口調にガウェインは罪悪感がぶり返した。一つしか離れていない弟は、武勇はそれなりに秀でているのに悪乗りが過ぎる。ガウェインがなぜ招待状を送っているか、どれだけ胸を痛めているか知っていて、真面目な兄をからかう機会を逃すまいと現れたのだ。
「そう硬いことを言わずに」
なおも強請るガヘリスに、いっそ愚痴でも聞かせようかとガウェインは口を開いた。
この数ヶ月で自分のもとを訪れ去っていった令嬢の話をしたあと、ガウェインは深くため息をついて今回の話をした。
……無関係の少女を巻き込んでしまった、という思いで。
「最後に招待状を送った家は、どうやら娘が2人いたようで、噂とはちがう方の娘が来てしまった」
「“美しい姉妹”という噂になっていなかったのか?」
ガヘリスが聞いた。暖炉のまえに座らせ、好きな林檎を差し出したことでガウェインはすこし饒舌になっていた。暖炉ではぜる火の音が会話の合間に響いた。
「…それが不思議なことに。クニス家の令嬢として姉の名は聞こえていたが、妹は出ていなかった。だが領主の娘は妹のほうで、姉は後妻の連れ子だという。なにか事情があるんだろう」
「ふうん」
がへリスはそんな事情まったく興味がない、というように話題を変えた。「では、“噂とはちがう方の娘”はガウェインの好みだったのかね。どうなんだ?」
ガウェインは顔をしかめた。
「いいかげんにしてくれ。個人的な理由で招いているんじゃないんだ。彼女は……」
そう言ってガウェインは、自分がしばらく戻ってこないと言ったときのアネットを思い出した。泣き出しそうなのを我慢していた。だが、迷惑になるまいと笑ったのだ。
「………」
「どうした、ガウェイン。言葉を濁すほど残念だったのか」
「──いいや。滅多にいない、心のきれいな令嬢だったよ」
ガウェインは暖炉の火を見つめながら言った。
アネットを思い出すたび、彼女がどうしているか気になった。令嬢だというのに召使いを一人も連れず、荷物も少なかった。実家であまり良い待遇を受けていないのだろう。留守にする詫びに『ご滞在いただく間は何でも召使いに言ってください』と言い残したが、快適に過ごせているだろうか。
罪悪感からせめて心地よく過ごして欲しいとガウェインは思った。
ガヘリスは憂色をうかべた兄の顔をじっとみながら問いを重ねた。「…で、その令嬢はどうするんだ?」
「どうするも何も」
ガウェインは林檎を齧りながら言った。
「関係ない令嬢を巻き込んだのだ。関わらないほうが良いだろう……現にこうやって、放置して宮廷にいるんだ。酷い男だと思われているさ」
ガヘリスは兄の言葉に頷かなかった。すこし考えて、ガウェインの出方を見ようと思ったらしい。
「兄上がそう言うなら。だが、知らない場所で放置されているのも辛いだろうな」
■□■□■
ガウェインがアーサー王の宮廷を訪れてから3日が経った。アネットは館に4日ほど滞在していることになる。……そろそろ帰ろうか。ガウェインにはとても気がかりな事があった。
残念だがそれはアネットではない。騎士として必要な武芸をみがく以外に、彼が夢中になっているもの。それは……
( いまは食事の時間だ。アーネストは散歩につれていってくれただろうか )
懐から取り出した姿絵に目尻が下がる。…ああ、愛おしい。さびしがって鳴いているだろうか。三角の耳をぴんと立て、舌を出しながら短い手足でけんめいに走ってくる。ガウェインが両手を広げると、全力で飛び込んで顔じゅうを舐めるのだ。
彼を夢中にさせている相手は“コーギー犬”だった。仔犬を5匹産んだばかり。母犬に似て愛くるしい仔犬たちは、好奇心旺盛で耳をぱたぱたさせて走り回る。疲れたら腹をごろんと出したまま寝ている姿も可愛いかった。
──そういえば、あのときのアネット嬢は母犬に似ていたな。
ガウェインがしばらく戻って来ないと言ったときだ。泣き出しそうなのを我慢していた。だが、にこっと笑ったのだ……!
( )
不覚にも溢れそうになった気持ちを、ガウェインは顔を強張らせることで誤魔化した。あれは反則だ。招待状を出した女性には、何の感情も抱かないことにしているのに。
──これまでの令嬢と全く違うからだろうか。
アネットはこれまでガウェインの館にきたどの女性とも違う。容姿も性格も。手違いで来てしまい、任務と関係ない相手なのだ。……そうであれば、もっと構ってあげたほうが良かったかもしれない。しゃくだが弟ガヘリスの言葉を思い出した。たしかに、知らない場所は心細いだろう。
「そろそろ戻ろうか」
ガウェインは重い腰をあげ、4日ぶりに領地へ戻ったのだった。
王都から領地へは馬で半日もかからない。風を切るように走り、領内に入ると荷物を任せ、従者だけ連れて館に向かった。主人が久しぶり戻ると召使いたちに安堵が広がったようだった。仕事をねぎらいながらホールを抜け、専属に命じたエミリアに「アネット嬢をお呼びしてくれ」と伝える。
エミリアは急いで呼びに行ったが、しばらくすると顔面蒼白で戻ってきた。
「…ご、ご主人様。アネット嬢がお見えになりません」
「館の中は探したのか。庭は」
「いいえ。私たちのだれも見ていなくて……」
エミリアは後ろめたそうに目を逸らす。ガウェインは緊張した面持ちで召使いたちにアネットを探すよう伝え、自らも探し回った。
──館の中にはいるはずだ。いつから姿を消したのだろう。気付かれぬほど、召使いたちが彼女を放置していたということか?
疑心をいだきながら令嬢の行きそうな場所を回る。なるほど、確かに居ない。ガウェインはあまり人のいない場所にも足を伸ばした。普通の令嬢なら行きそうにない場所でも、アネット嬢なら行くかもしれない。
けっして彼女を貶めているわけではなく、何か事情がある気がしたからだ。
裏庭をまわって、ガウェインは館の端にある井戸で少女をみつけた。寒空にたった一人、粗末な薄着……とても令嬢には見えない。だがあの髪色、目の色。噂と違ってまじまじ見てしまったから覚えている。
「──アネット嬢? ここで何をやっておいでですか」
アネットは自分の姿を恥じて、事情を話すのをためらった。だがガウェインはもっと色々あったのだろうと考えた。アネットがひどい目に遭っていたことなど、洗濯をしている姿をみただけで十分明らかだ。
すぐさま召使いを全員集める。集めた召使いたちを前に、ガウェインは重々しい口調で切り出した。
「私は“彼女を丁重にもてなすよう”言ったはずだ。それがどうしてこうなった。専属の召使いに命じたエミリアはいるか」
周りの視線に促されて進み出たエミリアを、その場にひざまずかせた。責任を追求して解雇し、彼女をかばおうした召使いも叱咤する。
一方でガウェインは騎士の矜恃をよごされたことに怒りながら、召使いの責任だけで終わらせるつもりはなかった。
──召使い達は主人の器をうつす鏡だ。私の気の緩みが招いた事態だ。
ガウェインは一切ためらわず、アネットの足元にひざまずいた。
「アネット嬢。召使いの不手際は主人の咎(とが)です。どうか私に償いをさせてください」
宮廷の騎士がひざまずいて許しを乞う姿にアネットは驚き、急いでガウェインを立たせようとした。
「サー・ガウェイン……貴方様がそう言って私の尊厳を守ろうとしてくれただけで、じゅ、じゅうぶんです。ですから、彼女をお許しください…」
ガウェインは目を赤くしてぐっと堪えている少女を見上げた。
──きっと辛かっただろうに。自分に意地悪をした召使いを許してほしい、と言うほど、どうして寛大なのだろう。
アネットの様子を見て、ガウェインのなかで合点がいった。怒らないのではない。彼女は“自分のために怒るほど自分にプライドを持っていない”のだ。
…寛大さは美徳だ。だが自分にプライドがないのなら、結局自分を大事にしていないことになる。自己犠牲や優しさは、己の信念があってこそ価値がある。そうでなければ利用され、自分を傷つけるだけだ。ガウェインは己の経験を噛み締めた。
「では」
ガウェインはまったく違う思いをアネットに抱き始めた。「私の申し出を受け入れてください」
「は、はい……」
おずおずとアネットは返事した。ガウェインはその手を優しく取り、うやうやしく唇を寄せる。
「アネット嬢……いえ、レディ・アネット。私は改めて、求婚者として貴女を私の館にお招きします。
どうか、このガウェインめの奉仕を受け入れていただけませんか。」
──騎士として、彼女を守ろう。弱き者を尊び、守護者になるのが騎士の役目なのだから。
アネットが断れるはずもなかった。真っ赤になって頷いた彼女を見て、ガウェインはようやく罪悪感から己が解放されるのを感じた。
そして本来の輝かしい笑顔を浮かべ、手を取ってもう一度じぶんの館に少女をエスコートした。
<続く>
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