第34話 一方その頃、イシルビュートとハイドラは魔物退治に勤しんでいた
瘴気漂う沼地に降り立つ二人の人物。
一人は何の変哲も無い普段着で右手に木の枝を握りしめ、もう一人は精緻な刺繍が施された紫色の長衣を着ているが、素手だった。
死の気配に満ち満ちた場所に佇んでいるにしては二人ともあまりに軽装だった。
男のうちの一人、ハイドラは腕を組んでその赤い双眸で眼前に並び立つ魔物を
「うようよと来たな」
「格下が何匹来ようが余の相手ではないわ」
人外の美貌を持つハイドラが長いストレートな黒髪をなびかせながらそういう様は非常に絵になっている。しかしイシルビュートはそんな相方にジロリと視線を送った。
「んなこと言って、ハイドラはまだ戦えるほど回復してないだろ」
「雰囲気だ、雰囲気」
ハイドラはクレアから受けた傷が治りきっていないので傍観だ。人間形態だと凄まじくイケメンの強者ムーブを醸し出しているが、竜になると首が欠けている間抜けな姿になってしまうため完治するまでは人型を保つらしい。ホイホイ姿を変えられるとは、竜というのは便利な種族だ。
そんなハイドラにイシルビュートは今更ながら問いかける。
「何しに来たんだ?」
「決まっておろう、暇つぶしだ」
「邪魔だから家で寝てろよ……」
「たまには外に出たくもなる」
「大体、今どのくらい回復してるんだ?」
「そうだな……三本目の首の下顎までは再生が完了している。ここから先の歯、眼球、脳みそ及び頭蓋骨等の再生には少々時間がかかるだろうな」
その発言にイシルビュートは下顎まで再生した頭部を脳内でイメージをし、左右に首を振ってそのイメージを打ち消した。あんまり想像したい絵柄では無い。
「全部の再生が終わるまで竜形態にはなれないな」
「うむ。余の美意識にも反する」
意見が一致したところで、二人は揃って目の前に迫り来る魔物どもを見た。
クレアが潜入捜査に旅立ったここ数週間、イシルビュートは沼地の動きをつぶさに観察していた。
弱肉強食の世界の頂点に君臨していた毒竜ハイドラというタガを失った魔物達は、それぞれ守っていた縄張りを超えて移動をするようになり、さらに外部からも瘴気におびき寄せられるようにして強力な魔物がやって来ている。
魔物同士の食い合いや瘴気の吸い込みで強化され、さらなる獲物を求める前に。
狂気に犯された魔物達が、
「止めないとな」
「さて、一人でどこまで対応出来るものなのか……見物させてもらおう」
傍観を決め込んでいるハイドラは腕を組みちらりとイシルビュートに目をやってどっか楽しそうに言った。
「一応言っておくが、死ぬでないぞ」
「お、心配してくれるのか。あれだけ人間に興味がなかったハイドラに心配されるなんて意外だな」
「減らず口を叩くな。余との決着をつける前に死なれたら興ざめだから言っているまで」
「へえ」
イシルビュートはハイドラの顔を見る。心外そうに眉根を寄せた毒竜の顔は、その異様なまでの美貌を除けば存外人間らしい。半分本音で半分は嘘といったところだろう。
「有象無象の魔物どもはうようよと湧いてくる。貴様の魔力とて無尽蔵ではあるまい。力尽きたところを襲われたって余は助けてやらんからな」
「まあ助けはハナから当てにはしてねえけど」
魔物は人間の匂いに敏感だ。殺意を撒き散らしながら詰め寄ってくる魔物から一瞬目を離したイシルビュートの視線は、その瘴気によどんで全く先が見えない紫色の空に向けられる。
「こんくらい一人でなんとかできないと、師匠の名折れだ」
そこまで言うとイシルビュートはもはや眼前に迫りつつある魔物の群れへと再び視線を戻した。
右手に握った、来る途中に荒地で拾ったただの木の枝に魔力を流す。
枝を持ち上げるその僅かな動作だけで、数百に及ぶ魔術陣が空中に展開した。一つ一つは直径十五センチほどと小さめで威力も先日クレアがハイドラ相手に放ちまくったものとは段違いに低級なものだが、数がえぐい。
見渡す限りに浮かぶ魔術陣は、イシルビュートの合図で術となって発動した。
クレアに教えたこの沼地での戦いのセオリー、風による攻撃魔術。
小さなかまいたちでも百を超える数になればその威力は絶大だ。迫り来る魔物に避ける隙を与えず、反撃する隙を与えず、細かく切り刻んでいく。相手が大群ならばこちらも数で挑めばいい。
早く、的確に。そして完膚なきまでに叩きのめす。
クレアにも受け継がれている、残虐なまでの戦法。
イシルビュートの魔力を嗅ぎつけ殺到して来た魔物達は、放たれた魔術で紙切れのように簡単に切り裂かれていった。悲鳴をあげることすら許されずに血しぶきをあげて物言わぬ肉塊に、あるいはバラバラの骨になって死の大地にその身を横たえる。
イシルビュートは攻撃の手を緩めない。
二撃目、三撃目、同じ魔術をひたすらに展開する。
やってることは低級かまいたちの連発という単純極まりないことなのだが、数と速度が凄まじすぎるせいで一匹たりとも近寄っては来られない。ここら辺にはあまり知能を持った魔物はいないので、本能のままに突撃を仕掛けて来てはあっさりイシルビュートの攻撃を前にやられるという、ただそれだけのことを繰り返している。
これだけでもカタはつくだろうが、ちょっと時間がかかる。
もう一歩踏み込んだ攻撃に出ようとイシルビュートはその場で腕を組んで戦況を見守っているハイドラを残し、飛行の魔術を展開して跳躍した。
飛行系魔物のポイズンワイバーンが待ってましたとばかりに獰猛な
「数百匹ってところか」
顎に手を当てて、殺到する魔物の数を推測する。多い。今までは同時に現れてもせいぜいが十体ほどだった。やはり生態系の頂点に君臨していたハイドラがいなくなったことにより、バランスが著しく崩れている。
間引きしないとあっという間にとんでもない事態になるな。
脳裏に浮かべた魔術陣は、クレアにこの場所で使うなよと教え込んでいたものだ。
赤く紅く、輝く魔術陣がイシルビュートの掲げる枝先から大きく展開し、沼地にはびこる魔物どもの頭上で光る。
魔術は陣の大きさである程度の規模や威力が想定できる。小さければ小さいなりの、大きければ大きいだけの効果が発揮される。この場合のイシルビュートが発動する魔術はかなり高位のものだ。
ーー爆炎招来!
心の中で唱えたその魔術陣のキーワードとともに魔術が派手に展開した。
この地ではご法度となる炎の高位魔術陣。陣の縁がゆらりと揺れ、炎が吹き上がる。
直後に陣からは炎が拡散し、眼下にいる魔物に燃え盛る火の手が襲いかかった。じゅうじゅうと焼ける魔物の中には当然、毒を含んだ魔物もおり、クレアに教えた通りに炎を受けて爆発するタイプのものもいた。爆発が爆発を呼び地上は凄まじい有様になっていた。
立ち上る煙でただでさえ悪い視界はさらに悪くなり、いくら結界を張っていようが覆い尽くす黒煙で周囲は真っ暗だ。
と、滞空したままに魔物達が焼ける様をただ見つめていたイシルビュートの肩を誰かがガッと掴んだ。
「よう、ハイドラ」
「よう、じゃないわ!」
見ればハイドラはその艶やかなストレート黒髪が若干焦げているし顔にも煤がついていた。
「ギリギリだったぞ、貴様! 何かするならば一言言っておけ!」
「あぁ……悪い」
全く悪びれていない顔でイシルビュートはそう言った。勘案していなかった訳ではないが、まあ流石に避けられるだろうと思っていた。あれだけ大規模な魔術陣を避けられなかったら厄災の竜の名折れである。封じられているのは力だけで、頭脳の方にはなんら支障をきたしていないのだから。
と、イシルビュートは視界の悪さをなんとかするため風の魔術を展開し、扇風機よろしくバッサバッサと送風する。空の魔物とてこれほど煙が酷いところには来れまい。二人は鎮火するまでしばし高みの見物となった。
「しかし、派手にやったな」
「おう」
火の手がおさまりもうもうと立ち込める煙が晴れるとその惨状が目についた。
黒焦げになった魔物達の死体は、どれがなんの魔物だったのかもはやわからないくらいになっている。凄まじいの一言だ。先のかまいたちと合わせて、まさに無双だった。
ハイドラもイシルビュートもさしてこの状況に心を動かされてはいない。
イシルビュートは右手を首筋に当ててコキコキと動かした後、「あー、終わった」とごく気軽に言った。
相手の数だとか、魔物の種類だとか、性質だとか、そんなことは一切関係がない一方的な蹂躙。まさしく格が違う。
さすがクレアの師匠らしく、その戦い方はクレア以上に派手だった。
沼地の他の場所にはまだまだ魔物が蠢いているが、今すぐ掃討する必要はなさそうだ。 今はまだ、一日一回の討伐で事足りている。……いつこのバランスが崩れてもおかしく無いが。
「今日はこんくらいでいいか。行くところがあるし」
「む。どこへ行く?」
「ロレンヌの王城。呼ばれている」
「ほう、ならば余もついて行こう」
この一言にイシルビュートはゲェッとあからさまに嫌そうな顔をした。
「何で来るんだよ……」
「決まっておろう、暇つぶしだ」
先ほど同じセリフを吐いたハイドラ。
「人間の生活というのも興味がある」
「人間を滅ぼしかけたくせによく言うよ」
「元はと言えば、あれは仕掛けて来たのは人間の方だ。そうでなければ余は、徒党を組まねば生きてもいけないような人間に興味など持たぬ。まあしかし、脆弱で吹けば飛ぶような塵芥のような存在であるが、貴様のように骨のある奴がたまにいるから面白い。どうせしばらくやれることもないのだ、お前の行動に付き合うことにする」
「迷惑な……」
イシルビュートの愚痴に反応せず、横柄な態度の怪我負い毒竜は「さあ行くぞ。転移魔術を展開しろ」と命令し、行く気満々の様子だった。
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