第22話 新人メイドのクレアです

「まあ、オズボーン侯爵様。そちらが先日にお伺いした、メイド希望のお弟子さんで?」


「そうだ。人見知りで鈍臭い子なのだが根は真面目なのでよろしく頼む」


「ええ、ええ。オズボーン侯爵様の頼みとあらば喜んでお受けいたしますわ」


「ずっと辺境にいたもので、何分世間に疎いのだ。常識知らずな部分が多いと思うが、しっかり教育してやってくれないか」


「それは勿論! このメイド長マーサの名にかけて、この子を完璧なメイドに仕立て上げますわ」


 マーサと名乗った眼鏡をかけた痩せぎすの老女は、メイド服を着込んだ胸に手をどんと当てて請け負った。


「では、早速お預かりいたしますわね」


「よろしく頼む。クレア、しっかりな」


「はい」


 ドットーレ・オズボーンは大きすぎる手のひらをクレアの頭に乗せると優しい手つきでワシャワシャ撫でる。その堂々たる態度はさすがこのテオドライトで十五人しかいない特級魔術師、と感心するものだった。荒地の家で狭そうに身を屈めながらイシルビュートと言い争っていた時の雰囲気は完全になりを潜めている。手に持っている杖や本、そしてローブといった装備品の効果もあるかもしれない。身なりは人を作るのだなぁとクレアは思った。実力で言うのならば、木の枝一本で高度な魔術をばんばか放つ師匠の方がすごいのだけれど。

 クレアは一礼をすると「ついていらっしゃい」と言うマーサへと追随した。



 廊下を曲がってドットーレの姿が見えなくなると、マーサはくるりとクレアに向き直る。そして先ほどの愛想の良さは何処へやら、眼鏡の奥から剣呑な目つきでクレアを見つめてくる。


「前髪が長すぎる。視線も俯きがちだ」


「すみません」


「それに、その長い髪は何だい?みっともない、メイドたるもの髪はすっきりとまとめておくものだよ」


「はい、すみません」


「フン」


 クレアは慌てて髪を一つに束ね、お団子にした。

 マーサはそれを見つつ、高圧的な口調で続ける。


「特級魔術師オズボーン侯爵様の頼みでもなけりゃ、お前みたいな鈍臭そうな娘を城で受け入れるなんて絶対に有りえないよ。おまけに平民で、孤児だって? 本来なら王宮に足を踏み入れることさえ許されない立場だ」


「…………」


「何か言ったらどうなんだい?」


 忘れてはいけない。

 今ここにいるクレアはーー陰気で鈍臭い小娘という設定だ。

 クレアは極力余計なことを喋らないように前髪で表情を隠しつつ、常に足元を見つめている陰気な娘を装う必要があった。

 ピカピカに磨かれた廊下を見つめつつ、クレアはマーサの嫌味を右から左に聞き逃す。


「ま、精々頑張るこったね。ここでの仕事はきついよ。新人は朝は日の出の前に起き、深夜までびっしり作業が詰め込まれる。ドジを踏もうものなら、体罰か、クビか……さもなければ一番辛い職場に回されるよ」


「一番辛い職場……」


「そうさね。頑固で気難し屋、王族としての威厳のかけらもないあの<無能な王女>様のおそば付きにされるとか、ね」


 十中八九レイアのことだ。

 話には聞いていたが、なるほどレイアの城内での評判というのは本当にすこぶる悪いらしい。

 作戦通りだと内心ホッとする。

 つまり、クレアがレイアのおそば付きを獲得するにはドジを踏んで踏んで踏みまくればいいということだ。そうして役立たずのレッテルを貼られたところで、偶然を装って通りかかり哀れに思ったレイアがクレアを自分の専任侍女にする。

 通常住み込みのメイドは大部屋に寝泊まりするが、専任になってしまえばレイアの近くの小部屋をあてがわれる。聖女の魔術書の在処を探るには仕事のない夜に城をうろつく必要があるので、その方が都合が良かった。レイアとの情報共有も容易い。


 ならばオズボーン侯爵家でのあの特訓は必要なかったのでは、と思うかもしれないがそれは違う。いくら孤児という設定でもテオドライトの常識を一切知らないと怪しまれるし、メイドとしての一切に関してはどちらかというとレイア付きの侍女になった時に発揮するべきスキルだ。王女の側仕えをするならば最低限のことができた方がいい。友達じゃないんだし。


(よし、頑張ってドジっ子を装おう!)


 内心でそんな意気込みをしながら、クレアは再び歩き出したマーサへと付き随う。

 ところで支給されたメイド服というのはクレアにとって新鮮でちょっとワクワクするような服だった。

 濃紺の詰襟に長袖パフスリーブ、ひざ下まであるふわりとしたスカート。揃いの靴。そして真っ白なエプロンは裾にフリルがついている。全体的にシックな中にも可愛らしさがあるお仕着せだ。

 これを六十近いであろうマーサも着ているのはどうかと思うが、少なくともクレアは気に入った。

 お師匠様に見せたい。そして感想をもらいたい。できれば可愛いって言ってもらいたい。クレアの中でお師匠様に会いたい熱がむくむくと高まる……けれど我慢だ。

 怪しまれるといけないため、クレアとイシルビュートの連絡は本当に困った時だけするということになっている。あとは時折様子を見にくる手筈になっているドットーレを介して情報を共有するか。次に会うのはきっと、魔術書を手に入れて城を脱走する時になるだろう。ブレスレットは腕につけていると目立ちすぎるため、ネックレス状にして胸元に隠しておいた。

 早くお師匠様に会うためにもクレアはさっさと目的を果たさなければいけない。

 

(頑張る……頑張る!)


「お前、私の話を聞いていたかい?」

 

「えっ、すみません。何でしょうか」


 師匠のことで頭がいっぱいだったクレアはマーサの話など何も聞いていなかった。マーサは盛大な舌打ちをする。


「だから、お前の他にも入ったばっかりのメイドがいるから二人で仕事を覚えなって言ったんだよ。ほら、入んな」


 ガチャリと小部屋の扉を開くと城の表側とは異なり、石造りのひんやりとした薄暗い部屋だった。多分掃除用具置き場だろう。壁際にずらりと掃除用具がかかっている。

 そして隅にはクレアと全く同じメイド服を着た女の子が木の椅子に座って待っていた。年の頃は同じくらいだろうか。赤い髪をツインテールにし、緊張した面持ちで入ってきたクレアとマーサを見つめる。


「お前と同じ新人だよ」


「あっ、リリー・ブラウンです」


「クレアです、よろしくお願いします」


「こちらこそよろしくお願いしますっ……あっ、わっ!」

 

 リリーと名乗った女の子は椅子から立ち上がると勢いよく頭を下げ、勢いが良すぎたために姿勢を崩してそのまま前のめりに派手に転んだ。

 ただ挨拶をしただけで転ぶ人間などクレアは初めて見た。リリーは慌てて立ち上がると「ご、ごめんなさいっ」と言いながら裾についた埃を払う。それを見たマーサは再び舌打ちをした。


「ったく、クレアといいリリーといい鈍臭そうだねえ。この城には貴重な絵画や壺なんかがそこら中に飾ってある。せいぜい壊さないようにするんだよ。ミス一つにつき平手打ち一回、城の物を壊したら鞭打ちの刑だよ」


 なかなかに厳しい職場のようだった。しかしクレアはドジを踏まないといけないので、多少の体罰は甘んじて受け入れなければいけないだろう。痛いのは嫌なので、こっそり身体強化の魔術を施して日常を送ろうと心に誓った。


「じゃあ、お前たち二人は今日から先輩について仕事を覚えな。二人とも得意なことはないと聞いてるから掃除からするんだよ。ほら、そこにおいてある掃除道具を持って。いいかい? モップにはたき、雑巾、それから水を張ったバケツだ」


 言われてクレアは隅に置いてある掃除用具を順に手に取ろうと足を動かす。リリーも後ろからついて来て言われた道具を手に取ろうとした。が、ここでまたもや事件が起こった。


 リリーがモップの糸の部分に足を絡め、派手に転んだのだ。

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