第24話

「足を、お届けに上がりました」

 涼やかな声である。

 若い武士がいるのは、畳の上。血の跡はなく、隣には少年武官、向き合うように座るのは、中将と相良の君である。

「失くされたでしょう? 足を」

 若い武士が顔を上げた先に立っているのは、役者のように美しい、切れ長の瞳を持つ男である。そしてその隣には、陰陽師が立っていた。

「夢、だったのか……?」

 若い武士は、呆けた調子で言う。

「夢、ではありませんよ」

 男は、畳の上に正座をする。細い指は膝の上、背筋は美しく伸ばされている。少年武官も相良の君も、中将も、全員が呆気に取られたような顔である。

 若い武士は陰陽師に救済を求めるが、陰陽師も「私には、さっぱり訳が分かりません」と首を振った。

「あれほどの強い幻術は見たこともありませんし……分かるのは、やはりこの方はただものではない、ということだけです」

 全員が男を見つめる。

 疑惑。憧憬。謎。

 それぞれの瞳には、様々な感情が込められている。

「二人は、どうやってここへ?」

 若い武士が尋ねると、陰陽師が答えた。

「この方に、訳も分からず連れて来られたんですよ。一人で行かせるわけにはいかないし、引き留めることも敵わず……まさか、こんな現場に遭遇するとは思いませんでしたけど」

「失くされたでしょう」

 男はもう一度言う。

 若い武士は、「足を失くすとは、どういうことですか?」と言う。しかし男は答えない。中将をその切れ長の瞳に映すと、「失くされたでしょう」ともう一度言う。

 中将はやがて肩を震わせ始めると、「しっしっしっし」と笑い出した。

「……おかしな笑い方をなさる」

「おかしくておかしくて、かなわん。笑いが止まらんなあ」

 若い武士は、「何だこいつ」と気味悪そうに言う。少年武官はうつむいた。

「綺麗なものは好きだ。男でも女でもな。腐敗物に興味はない……ああ、今ここに居る全員の足が、私のものになればいいのになあ。眼福だ、ここまで美しい人間たちが一堂に集まる機会など、もう二度とあるまい。美しい足が十本あれば、私は他には何もいらない、満足なまま過ごしていけることだろう」

 中将は右手を男の方へ向けると、言った。

「お前も、私のものになるか?」

 男は表情を変えず、美しい所作で立ち上がる。そして音もなく歩くと、中将に向き合った。

「汚らわしい人間が」

 男は吐き捨てた。背筋がぞっとする声である。中将の顔色が変わった。相良の君は、身震いをした。男の瞳はひどく冷え切っていたが、瞬きをする間に元通りの温度に戻る。陰陽師はその間、ずっと男に釘付けだった。

「落とし物を拾ったら、持ち主に返さなくてはなりません。……しかし、あなたには必要のないもののようだ。私が、処分しておきましょう」

 ひどい叫び声が、辺りを包んだ。

 その場にいる全員が目を疑った。

 付け根から引きちぎられた中将の足が、だらだらと血を流して畳を汚していたのである。男が細い指をすい、と動かせば、足は宙に浮く。

 ぽた。

 ぼた。

 でろでろ。

 だらだら。

 血が中将の上に降り注ぐ。中将は痛みに身体を丸め、呻き声を上げる。

「そこでせいぜい這いつくばっていればいい」

 ひどく凍えた声だった。

 中将は必死に手を伸ばす。

「ま、待て! 待て、私が、わ、たしが、悪かった。反省するから、するから!」

「しかし時間は巻き戻らない」

「わ、私がわるかった、だから」

「反省するには遅すぎた」

「は、はん、せい、するから!」

「信用に足りないその言葉、あなたはいかがお思いで?」

 男が見つめる先には、少年武官が立っている。拳を握り締めると、首が左右に振られた。男はそれを見ると、中将へ近づいて行く。

 一歩。

「く、来るな!」

 一歩。

「わ、わたしは死ぬわけには……っ」

 一歩。

「やめろ!」

 一歩。

「助けてくれ……」

「お前を助ける人間が、ここにいると思っているのか」

 中将の耳元で、おぞましい声が囁いた。中将は耳を塞ぐ。

「死にたくない、死にたくない! 助けてくれ! 頼む!」

 悲鳴が響き渡った。

 襖が閉まる。

 中将の声は消えた。

 その場にいる全員、声を出せない有様である。

 男は切れ長の瞳で振り向いた。四人は、身体を固まらせている。

「次」

 細い指で、男は少年武官を示す。

「お話を伺いましょうか」

 少年武官は呼吸を止めていたようだった。ひゅっと空気を飲み込むと、震えた息を吐き出すあな。そして、従順な様子で頷いた。

「はい。お話します」

 姿勢を正すと、少年武官は一息ついてからこう言った。

「全ては、私が弱かったことが原因なのです」

 表情は苦し気である。

 全員が、その声に耳を傾けた。

「始まりは、中将様たちが女を殺す現場に居合わせた時でした。私は、誰かに知らせなければと思い、気付かれることを恐れ、奴らがいなくなるまで身を隠していました。しかし、見つかってしまったのです。私は殺される寸前でした。そこで奴は言ったのです。死にたくなければ、足を差し出せ、と。私は殺されませんでした。とても屈辱的な気分でした。男に毎夜辱められているという事実が、私を人間ではない何ものかへと変化させました。私一人の足では、当然奴は満足しません。女たちが殺されていくのを、私は黙って見ていました。しかしある時、私は久しぶりに人間の心を取り戻しました。そして、奴が愛でている足の一つを盗み出し、誰でもいいから渡してしまおうと思いました。すべてを説明する勇気は、私には持つことが出来ませんでした。渡した時、一瞬顔を見られてしまいましたが、私だとは気づかれませんでした。これで、誰かがきっと奴の悪事を暴いてくれると思いました。しかし、事態は鬼の仕業へと変貌していったのです。鬼を見たと、相良の君が言い出した時は混乱しました。鬼は中将様です。そんなものが、いるわけがないと……」

 全員の注目が、相良の君へと向かう。少女は少年武官を見つめて言った。

「私は、あなたが足を持ってきた謎の男だと分かっていました」

「何だって?」

 少年武官は驚いた声を出す。

「足を包んでいた布は、ありふれたものでしたけれど、見覚えがあったんです。あなたが持っていたものだって。それに、それほどまでに美しい男なんて、そうそういませんわ。だから私は……きっとこの人が鬼なんだと思って……」

「嘘を吐いた」

 男が言う。相良の君は頷いた。

「鬼を見たと嘘を吐けば、鬼の仕業になるでしょう。だから、私」

 相良の君は顔を覆った。

「ごめんなさい。だけど、二度目に鬼を見た時は驚きました。そうでしょう?」

 相良の君は若い武士を見つめる。

「そうです。確かに見ました。だけどあれは……おそらく、作り物」

 少年武官は頷いた。

「そうです。中将様がこれ幸いと、用意したものです。どうしても鬼の仕業に見せかけたかったんですよ」

「やはりそうでしたか。後から駆け付けると、跡が残っていました」

「何ですって?」

 若い武士の言葉に、陰陽師は驚きの声を上げる。

「そんなこと、私聞いていないんですけど。鬼ではなく、人間の仕業だとずっと思っていたんですか?」

「犯人を油断させるためにも、そうしておいた方がいいかと……その節は、すいませんでした」

 陰陽師は「今さら謝罪されてもねえ」と顔を背ける。

「陰陽師なんて胡散臭いものですから、怒ってはいませんけど」

 すねたような言葉に、若い武士は苦笑いをする。

 相良の君は言った。

「実は私、とても大袈裟に驚いた振りをしていたんです。本物であれ作り物であれ、これで、確実に全員が鬼の仕業だと思ってくれると思って。手紙をもらった時は驚きました。私の予想は全て当たっていて、それについて話をしようとしているのだと」

「手紙って、何のこと?」

 少年武官が訊けば、「あなたを装って、中将が寄越したのよ」とばつが悪そうに言う。

「すべてを私に打ち明けてくれるつもりだと思って、人目を忍んで屋敷を出たんです。だけど姿が見えなくて、待っていたら後ろから誰かに……それで気を失って……本当に、ごめんなさい」

 若い武士はとんでもないと両手を振る。

「謝っていただく必要なんてありませんよ。とにかく無事で良かった」

「あなた、死にかけたのによくそんなことが言えますねえ。この人がよけいなことをしなければ、全ては容易になっていたでしょうに」

「ちょっと」

 若い武士は、陰陽師を小突く。相良の君は頭を下げたまま上げようとはしない。

 少年武官はぽつりと言った。

「私は、まるで傀儡なんです」

「傀儡、とは?」

 男は問いかける。

「自分の意志を持たない、人殺しを黙認する、されるがままの――」

 少年武官は膝から崩れ落ちた。男の足元にうずくまる。

「私を、罰していただけるのですか」

 男は何も答えない。

「お願いします。私を」

「それなら、私も」

 相良の君は少年武官の隣に座り込むと、もう一度頭を下げた。

「私も、彼と一緒に罰を受けます」

「止めてくれ、君はそんなことする必要がない」

 相良の君は少年武官の腕をきつく掴んだ。

「お願いします」

 男は二人を見つめている。そして言った。

「私は裁くものではない」

「え?」

「失せ物を返しに来ただけですよ。罰を受けたいのであれば」

 男は、人差し指で陰陽師と若い武士を指差す。

「あの二人へ頼みなさい」

「しかし、さっき……」

 少年武官は言いかけて、男に手で制される。

「私は失せ物を返しただけに過ぎません」

「でも」

「私は何も持ちませんから」

 少年武官は、「何も持たない」と繰り返す。

「人間としてあるべき欲望、生の実感、百通りの感情。私は何も持ちません。人間として生きるということが、どういうことか、私には分かりません。世の理とはどういうものか、欲望の果てには何があるか、幸せとはいったいどんな形をしているか……私には何も分かりません。私は人間とは一切が違い、分からないからこそ私が存在している」

 誰も、何も言葉を挟むことはなかった。全員が静かに、男の言葉に聞き入っている。

「私は、持っていないから失わない。だから、どこにでも行けるのです。それは、羨ましいことではなく、哀れなことでもない。――人間は、美しく、汚く、救いようがない。しかしそれも、分かったものではありません。だから私は、ただ歩いて、返すためにここにいる」

 そして男は歩き出す。

 陰陽師は、我に返ったように瞬きをすると、それを引き留めた。

「どこへ行かれるのですか。私も御供させてはもらえませんか」

 男は、陰陽師へと振り向いた。その切れ長の瞳には、微かな笑みが浮かんでいる。しかし何も答えないまま、男は背を向けた。その後、彼らがどう生き、どう死んだかも知らぬまま、男は行こうというのだ。

 陰陽師はそれを知ると、名残惜しそうに一礼した。

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