第22話
女は、今にも泣き出しそうな表情で、若い武士たちに訴えた。
「つい先刻こちらにいらっしゃったのに、ふと気づけば姿が見当たらず……物音もしませんでしたし、鬼に攫われたなどとはとうてい思えないのです」
若い武士は、感情を隠すことを忘れた顔で、「そんな」と言う。
「私は大丈夫だから、しばらく一人にさせて欲しいとのことでしたので、しばらく向こうへ行っていたのです。すると、月に照らされた美しい花を見つけましたので、ぜひ相良の君に見ていただこうと思って声をかけたら……」
「どこにも、いない」
女の代わりに言ったのは、鬼と疑われている美しい男である。女は男を見上げ、「そうなんです」と絶望した声を上げる。
「どこかへ行かれたのでは?」
陰陽師は、考え込む様子で言うが、女は左右に首を振ると、「この近くには……」とうつむく。
「もっと探してみましょう」
若い武士は言うなり、ばたばたと屋敷内を探し始めた。
男と陰陽師も顔を見合わせ、ゆっくりと歩き出す。
相良の君が消えた話は早くも人から人へと伝えられ、ばたばたと人の出入りが激しくなった。
若い武士は声を出しながら、誰よりも素早い動きで隅から隅を見て回る。
すると、そこへ駆け付けたのは少年武官である。他には目もくれず若い武士の元へやって来ると、「相良の君がいなくなったと聞いて」と白い顔で言った。
「申し訳ありません。私がいなかったばかりに」
若い武士は悔やむように拳を握り締める。少年武官は首を左右に振った。
「過ぎたことはいいんです。それより、相良の君を探さないと」
二人は頷き合うと、一緒に探し始めた。
しかし、相良の君は一向に見つからなかった。すでに考えられる場所は探し尽くした。近くにいるのであれば、見つかっていなければならないはずだった。つまり相良の君は、もう近くにはいないということである。
若い武士の顔色がしだいに悪くなっていく。
そこで、陰陽師たちとすれ違った。
「まだ見つかりませんか」
陰陽師の憐れむような視線に対し、若い武士はただ頷く。
「探せる場所は探し尽くしたつもりです。みんなで探しているのに、まだ見つからないなんて」
「鬼の仕業」
ぴんと張り詰めた声が、その場を静寂へと導いた。若い武士は口を噤む。
男は切れ長の瞳で、少年武官を見つめていた。
「お、鬼って……」
少年武官は狼狽えたように視線をさまよわせた。男は言う。
「彼女がどこにいるのか、あなたなら思い当たる場所があるのではないですか」
陰陽師と若い武士が、少年武官へ視線を送る。
六つの目に恐縮するように、少年武官は押し黙る。そして目を避けるように口を開いた。
「あなた、いったい」
振り絞るような声に対して、男は答えた。
「私は、ただの庶民ですよ」
少年武官は驚いたように目を開くと、苦し気に唇を噛み締めた。そして、「全て、知っているのですか」と言う。男は何も答えない。少年武官は男の視線に身震いすると、うつむき、そして顔を上げた。
「中将様を」
少年武官は言う。
「中将様なら、知っているかもしれません。一緒に、来てくれませんか」
「中将様?」
若い武士は眉を潜める。しかし、理由を訊くことなく了承すると、陰陽師と男を振り返った。
「二人は、ここで待っていて下さい。その人のこと、頼みます」
陰陽師が頷くのを確認してから、若い武士は少年武官に続いた。
二人は走る。
「こっちです!」
二人は外へ飛び出ると、走って人気のない方へ向かう。そして、どんどん深い道へ入り込み、草木に覆われた道なき道を行く。すっかり若い武士は方向を見失っていたが、少年武官にははっきりと分かっているようだった。
やがて道が開け、ぽつんと建てられた小屋を見つけた。
「こんなところに……?」
草に覆われた古びた小屋は、存在を知らない人間であれば、見つけるのは困難である。少年武官は、これがここにあることを知っていたのだ。
「ここは、いったい何なんです? こんなところにいるんですか?」
若い武士の問いに、答えはない。少年武官は唇を噛み締めていたが、意を決したように踏み出した。緊張したように握られた拳を見て、若い武士は口を閉ざす。
古びた戸を開ける。ぎしぎしとひどい音がした。
そこで若い武士が見たのは、黒ずんだ赤と、気を失って倒れている相良の君である。
「なっ……!」
着物の裾からは、細く白い脚が付け根の近くから露わになっている。若い武士は、自然とそれに釘付けとなる。視線は左右に震えていた。やがて、震える視線は少しずつ上がっていく。
「来たか」
太い男の声。
その美しい柔肌に手を添えているのは、中将だった。
若い武士が驚きに目を見開く。そして、即座に刀に手を添えた。
「おっと、待て。お前が私を斬るというなら、私はこいつを殺すぞ?」
中将の右手には、鋭利な刃物が握られている。相良の君の首元に当てられていて、一滴血が垂れていた。少女の顔には、苦悶の色が見られた。
「何だお前は! こんなところに連れ去って、いったい何が目的だ!」
若い武士は、怒りに任せて叫ぶ。
「元気がいいな。威勢がいいのは嫌いじゃないが、少々うるさいな。この女が起きるだろう?」
「黙れ!」
若い武士は、動きを止め、中将を睨み付けたまま微動だにしない。その様子を見た中将は、にやりと笑った。
「この、しっとりとしてはりのある肌は、たまらんなあ。好みで言えば、もう少し肉付きがあった方が良いが」
「手を離せおっさん!」
若い武士は叫んだ。
中将は片手で腿を揉みしだきながら、刃物をちらつかせる。
「両手で堪能出来たら良かったが、それは後にするか」
「その汚い手を離せっつってんだ!」
「誰に向かって口を利いている?」
「あんただよ! この人攫いが!」
若い武士は声を荒げる。相良の君が、苦し気に呻いた。
中将は鼻で笑う。
「そうか、お前はこの娘が好きか。なら、この娘が、触れられた時にどんな反応をするか、ここで見せてやろう」
「止めて下さい!」
それまで黙って聞いているだけだった少年武官は、畳に頭をこすりつけるようにして叫んだ。
「お願いです、後生ですから、こんなことはお止め下さい!」
「お前が悪いんだろう?」
中将は、相良の君から手を離すことなく言う。その顔に、悪びれる様子は一つもない。
「お前が私を裏切り、嘘まで吐くから。だから、私は相良の君を殺すのだ」
少年武官は頭を畳に付けたまま、一向に顔を上げない。
「裏切り……?」
若い武士は、状況が読み込めないまま立ち尽くす。斬ろうにも、中将が相良の君から離れる隙を狙わなければ、相良の君が殺されてしまう。
「お前の心は私のもののはずだ。友人に聞かせたいか?」
「お前、何言って……」
少年武官は、姿勢そのままに言う。
「彼女を殺さないで下さい。彼女の為であれば、私は何でもします」
「二度まで言うな!」
中将は叫ぶ。相良の君の首筋から、一滴血が流れた。
「お前は可愛い子だ。ずっと前から、足だけではなく全てが欲しいと思っていた。しかしお前は私を裏切った。信用など、出来るはずもあるまい……残念だ、とても残念だ。お前ほどに美しい足は、滅多とないというのに」
「彼女を殺さないで下さい」
「くどい! 黙れ!」
若い武士は刀を構えたまま、中将を睨み付ける。
「いったい何の話をしている? 足って……」
中将は、訳が分からず動揺している若い武士には目もくれず、少年武官だけを見つめていた。
「お前が、私がやっと集めた足を盗んだんだろう。咎めはしなかったが、気付かれていないと思っていたわけでもあるまい」
「足を盗んだ……?」
若い武士は、少年武官を横目で見る。少年は、一瞬たりとも動かずただ頭を下げている。
「密告でもするつもりだったか。しかし、上手くいかなかったな。あれは全て、鬼の仕業なのだ」
中将は、相良の君の足を強く掴んだ。「う、んっ……」と艶やかな声が上がった。若い武士は、ぱっと顔を背ける。
少年武官は顔を上げ、強い眼差しで中将を見た。
「鬼の仕業ではありません。あれは全て、あなたの仕業です」
「何だと?」
中将は刃をちらつかせる。
「私の罪も重い。きっと、許されることはないのでしょう。中将様がそう仰るのであれば、私ももう、脅されて泣いてばかりもいられません」
少年武官は立ち上がる。
「僕が見て見ぬ振りをしたあの人たちのように、殺されて足を撫で回され、腐っていく人生となっても仕方がないと思います。しかし、それでは死にきれません。未練を残し死んでいった人々へ、顔向けが出来ませんから」
「お前らは全員殺す」
中将は冷え切った低い声で言った。
すると、戸口から男が十人ほど一斉に入ってくる。若い武士と少年武官はじりじりと小屋の奥まで移動した。若い武士は、舌なめずりをする。
「金で雇ったってわけか……つまり、このおっさんを殺せばいいわけですね?」
「いいえ、あなたはあの男たちを。すいません、私は強くないので」
少年武官は刀を握り締める。そして、若い武士へと頭を下げた。
「すいません、巻き添えにしてしまって……私には、一人で来る勇気がなかったんです」
「光栄ですよ。相良の君を助ける手伝いが出来るんですから」
「でも、まさかこれだけの人数を集めて来るなんて」
少年武官は目配せをする。その先には、意識を取り戻した相良の君がいた。足を撫でられ苦い表情をする少女は、小さく頷く。
少年武官は、若い武士の耳元で囁いた。
「いよいよとなったら、すぐに相良の君を連れて逃げて下さい。お願いします」
「見くびらないで下さいよ。私は、鬼のように強いんです」
相手は十人である。若い武士の額には汗が浮かんだ。
斬り合いが始まった。
刀が交わる音。布を切り裂く音。ひどい足音。叫び声。
若い武士は、鬼のように強かった。狭い中で大立ち回りを演じ、すぐさま五人を畳の上に転がした。頬からは血が流れている。
切っ先を五人の男たちの前でゆらゆらと揺らしながら、若い武士はにやりと笑った。
「本番はここからだぜ」
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