EP9 夕日の約束

20年前のあの日。

まだ幼かった彼女たちは、叶えられない約束をした。


***

***

***


 小学生の頃のハゼルこと石丸涼いしまる りょうは今のように社交的な人間ではなかった。少なくとも、ミュウが憧れるようなところは、何一つ持ち合わせていなかった。


 8歳の頃の涼は体が小さく運動も苦手で。

 人と話すことが苦手で。

 絵を描くことが大好きな少女だった。


 当時の涼のクラスメイトたち……特段女子たちは大人びていて、クラスでの話題はアイドルだったり連続ドラマだったり芸能人の恋愛だったりファッションだったり。


 まだアニメが大好きだった涼がついていける話題ではなかったのだ。


 だから涼はいつも一人だった。


 学校が終わると、夕飯ができるまでの時間、相棒のバチモンのおもちゃとスケッチブックを持って近所の河川敷に向かう。

 河川敷のベンチに腰掛け、夕日に染まる川面を眺めながら、大好きなバチモンの絵を描くのだ。人通りが少なく、ぽつぽつとひまわりの咲くその場所が、涼のお気に入りだった。


 傍らにはバチモンが収録された卵型の携帯ゲーム機。内部構造が見えるクリアカラーで、おじいちゃんに買って貰った宝物だった。


 スケッチブックとバチモン。子供の頃の涼はこの二つをいつも持ち歩いていた。




 7月のとある日曜日。


 夏本番に向けて、生き物たちが騒がしくなる季節。その頃の夏は今ほど過酷ではなかった。突然の夕立が過ぎ、少し涼しくなった夕暮れ。


 涼にとって運命的な出来事があった。


ピピ……ピピ……。


「そろそろ時間か……」


 バチモンの電子音を合図に、そろそろ帰ろうかと広げた筆記用具類を片付ける。その時だった。


 不意に背後から声をかけられた。


「これ……バチモン?」

「……!?」


 咄嗟に振り返る。すると、そこにはクラスメイトの女の子が立っていた。


「あ、哀川さん……?」


 背後から涼のスケッチブックをのぞき込んでいたのは、同じクラスの哀川圭あいかわ けいという少女だった。

 水泳鞄を持っているので、スイミングスクールの帰りなのだろう。雑に結ばれた少し湿った髪が夕日に照らされて、妙に大人びて見えた。


 いや。涼の記憶の中の彼女は、常に大人びていた。


 背が高くて勉強もできて、運動もできる。ふざけている男子相手だって怖がることなく注意し、しかし他の女子たちとはお洒落な話題で盛り上がる。だが、周囲に混ざりながらもしっかりとした自分の意見を持っている。一本、芯が通っている。


 クラスの全員から一目置かれる存在。それが哀川圭だった。


(……けど、私はこの子……苦手)


 まともに話したことはないが、それでも涼は哀川圭のことを苦手としていた。


 それは涼にとって、彼女が何か得体の知れない、別の生き物に見えたからだ。彼女の笑顔は作り物じみていて、その向こう側が感じられない。

 常に何かをごまかして生きているような、あり合わせで作られたハリボテのように。大人が考える理想の子供像をつなぎ合わせたような、いびつな何かに見えるのだ。


「やっぱりバチモンだ! これはソードエンジェル! これはバスタービートル! えぇと……これは……」

「……」


 涼は息を呑んだ。


 涼の描いた絵を指差し喜ぶ彼女の笑顔が普段とは違って。まるで年相応の子供のように幼く見えた。涼は思わず、純真無垢なその笑顔に見惚れてしまった。


「えっと……えっと」

「そ、それはね、メタルブラックドラゴンだよ」

「知らないわ……これもバチモンなの?」

「そうだよ。まだテレビには出てないけどね。漫画版にはもう出てるよ」

「そうなのね! ああでも、ウチじゃ漫画なんて読めないわ……」

「え……?」


 漫画が読めない家なんてあるのか? と驚く涼。


「ねぇ、貴方、同じクラスの涼ちゃんだよね?」

「う、うん。哀川さん」

「えー同じクラスじゃない。圭って呼んでよ。みんなそう呼んでるわ」

「じ、じゃあ圭ちゃん」

「えへへ」


 そう言うと、哀川圭は満足したように笑う。そして、その興味は再び涼の絵に戻る。


「これ、もしかして涼ちゃんが描いたの?」

「……うん」

「凄いわ凄いわ! じゃあ、ヒナドラは描ける? 私、ヒナドラが一番好きなのよ」

「うん、簡単だよ……ほら」


 涼はすらすらと、ほんの20秒ほどでヒナドラを描き終える。その様子を見ていた哀川圭は驚き、そして喜んだ。


「可愛い! 可愛いわ!」

「……」


 涼はそんな哀川圭を見て、『目が輝く』というのはこういうことを言うのだなと思った。そして、それから一時間ほど、涼は哀川圭から出されるリクエストに応え続けた。


 絵が大好きな涼にとって、それは苦痛ではなかった。寧ろ、自分の絵が誰かを喜ばせる。そんな初めての感覚に、ただただ酔いしれていた。


***


***


***


 それからというもの。


 圭は度々河川敷に現れては、涼に絵をリクエストしたりするようになった。夏休みに入ってもそれは続き、夏休みが終わる頃には、二人は親友になっていた。


 哀川圭との交流が始まって、涼の学校での生活も大きく変わった。


 圭のお陰で女子たちの輪に入ることができたのだ。圭があらかじめ、涼と気が合いそうな子をピックアップしていたのだろう。

 だが、新しい友達ができてからも、涼は河川敷に通うことを辞めなかった。河川敷で圭とバチモンの話をする。


 それが涼にとって、一番の幸せだったからだ。


 バチモンのことを話している時の圭の笑顔はとても輝いていて、それはクラスで他の子と話している時とは違う。

 まるで世界の秘密の一端に触れたような。まだ誰も見たことのない美しい景色を独り占めしているような、そんな気分だった。


「圭ちゃん圭ちゃん、映画見た?」

「ええ。従姉妹のお姉ちゃんにお願いして、連れて行ってもらったわ」

「凄かったよね……まさか最強のクロノドラゴンとフェンリルボーグが合体するなんて……」

「オメガプライムね。まるで神様みたいだったわ」


 進級の差し迫った三月初旬。


 二人の話題は春映画、劇場版【バーチャルモンスターズ】だった。


 バーチャルワールドに現れた最強の敵を前に、ライバルだったクロノドラゴンとフェンリルボーグが奇跡の合体を果たし、究極の存在【オメガプライム】となって世界を救うというストーリー。


「ねぇ涼ちゃん」


 そのとき。圭が「いいこと思いついた」とばかりに立ち上がる。そして自身の相棒【ヒナドラ】が収められたバチモンのゲーム機を得意げにかざした。


「オメガプライムって、私たちのバチモンでもできるんだよね?」

「う、うん。隠しキャラだって、雑誌に書いてあったよ」

「じゃあさ。私の……今はまだヒナドラだけど。私のクロノドラゴンと涼ちゃんのフェンリルボーグ……合わせてオメガプライムにしようよ!」


 バチモンの携帯ゲームには二機を接続するコネクターがついている。本来それは対戦に使うものなのだが、決められた組み合わせ同士で接続すると、合体進化ができるという機能が存在する。


「それいいね……けど」


 圭の提案を受けた涼はにやりと笑う。そして、最強形態【フェンリルボーグ】が入っている自分の端末を自慢げに手に持った。


「圭ちゃん、早くクロノドラゴンに進化させてよね~。いっつも手前のメタルブラックドラゴンでストップしちゃうんだから」

「し、仕方がないじゃない! 私、涼ちゃんみたいにゲーム得意じゃないのよ!」

「私も得意って訳じゃないよ。圭ちゃんが下手なだけじゃないかな?」

「あ、あああ! 言ったわね言ったわね!」


 圭はゲームというものにあまり触れずに育ったらしく、バチモンを効率よく育てることが苦手で、自分のバチモンを最強のクロノドラゴンまで進化させることがなかなかできなかった。


 だが出会った頃はメタルブラックドラゴンにすら進化させられなかったので、ここ半年でかなり上達したと言えるだろう。


「むむむ、待っててね。早くあなたをクロノドラゴンに進化させてあげるから」


 端末に頬擦りしながら圭は言った。


「ってか、早く私もオメガプライム見たいしねー。いつごろ進化できるかな」


「お、大人になったらきっとゲームが上手くなるはずだから……いえ、女子高生くらいになればなんとか」


「気が長いよ!? 流石にバチモンも壊れちゃうし。同じ学校に行くかもわからないし……」


「いいえ。私とヒナドラはずっと一緒よ! 壊れたりなんてしないわ。それにね」


「それに?」


「大人になっても、きっと友達よ。私たち」


「……うん、そうだね圭ちゃん」


 それは少女たちの何気ない約束。他愛もない約束だった。


 だが。


 進級して四年生に上がった年。


 圭が河川敷に現れることはなくなった。


 一日。一週間。一ヶ月。待っても待っても。


「ね、ねぇ、どうして河川敷に来ないの?」


 これまではお互い、なんとなく河川敷でのことを学校で話すことはしなかった。だが耐えきれなくなった涼は校舎裏に圭を呼び出すと、何故河川敷に来ないのか訪ねたのだ。


「約束したじゃない。二人のバチモンを合体させようって」

「ごめんなさいね。実は不注意でバチモンを壊してしまって。もうあの約束は……果たせないのよ」


 涼は言葉に詰まる。圭が、涼の嫌いなあの作り笑顔を浮かべていたからだ。妙に大人びた顔。何かを諦めたようなその顔に、苛立ちを覚える。


「だからね。もうあそこに行くのはお終い。あのね、今年から塾に通うの。だから今までみたいに時間はとれないわ」

「塾……あんなに頭いいのに」

「上には上がいるのよ。お父さんに言われたの。立派な大人になるためには、いつまでもゲームとかアニメとか見てちゃいけないって。周りの子たちはその時間も勉強してるって。だから、そういうのは卒業しようって」

「そういうの……?」


 涼はついカッとなって、圭の胸ぐらを掴む。だが、圭は泣きそうな顔で、それでも張り付いた薄い笑顔のまま。申し訳なさそうに言った。


「涼ちゃんの絵は大好きよ。だから、いい絵が描けたらまた見せてね?」

「……く……うぅ」


 涼は何も言い返すことができず、そのまま校舎裏を後にした。


 そしてそれ以降、涼が哀川圭と話すことはなくなった。河川敷に行くこともなくなった。絵を描くこともなくなった。


 一度、圭の妹をつかまえて事情を聞いたところ、どうやら圭のバチモンは成績が下がった時、父親に壊されてしまったらしい。


 酷い話だと、涼は思った。


 当時、凶悪犯罪を犯した犯人の趣味がアニメ鑑賞だという報道が多かった。当時、大人でアニメを楽しんでいた人たちは、そういった奇異の目を向けられていたのだ。

 本来卒業するべきアニメを卒業できない異端。だから凶悪犯罪に走る。そんなことをマスコミが面白半分に報道し、テレビの言うことを疑いもしない大人たちもそれを信じた。


 哀川圭の父親が、いつまでもアニメを見て夢のようなことを言っている自分の娘の将来を案じ、心を鬼にすることも、当時としては仕方がないことなのかもれない。


 すくなくとも当時なら「しつけの厳しい家」程度の出来事だ。そういう時代だった。


『ねぇ涼ちゃん。科学は日々、とてつもない速度で進化しているのよ』


 今は遠い夏の日。


 輝くような笑顔で自分のバチモンを指さし、彼女が言った。


 その言葉を、涼は今でもはっきりと覚えている。


『いつか。いつかもっと科学が進歩したら。私たちのバチモンに、きっと会える気がするの』


 涼は圭の語る未来の話が好きだった。未来の話をする時、まるで夏の星空のように輝く彼女の大きな目が好きだった。バチモンを愛する彼女の笑顔が好きだった。


『私とヒナドラと、涼ちゃんとイヌコロ。みんなで一緒に遊んだら、きっと楽しいわ』

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