あなたが死にたくなくなる薬
きょうじゅ
タナトスレイ
希死念慮をピンポイントで消す薬なんてものを作ったら一発でノーベル医学生理学賞確定だ、と昔から言われていたのだが、結局のところそれは2022年に割とあっけなく発明された。それは当然のように世界のドラッグ市場を席巻し、それを開発した研究者と製薬会社は大いなる富を得たが、それを語るのが僕の役回りではない。
その薬は、タナトスレイと言った。この名は「タナト・スレイ(死神を滅ぼすもの)」でもあり、「タナトス・レイ(死神の光)」でもあるわけだが、そんなことはともかくとして保険が適用されるので、少なくともここ日本では、精神科に受診さえすれば、割と簡単に処方してもらえる。つまり安く買える。異常な副作用がある、なんて話も特にはない。
僕は過去に三回、自殺未遂で入院している重度の精神障害者だ。俗な言葉を使うのならば、メンヘラ女、と呼んでくれて構わない。黒髪に長髪。そして一人称があえて「僕」。趣味はリストカットとゲームと漫画。そのゲームってのも、有名メーカーの有名なやつじゃないんだよ、誰も知らないような、インターネットで配布されてる素人が作ったフリーゲームとかを好んでプレイしているんだ。
いやまあ、そんなことはどうでもよかったな。とにかく、僕は自殺するのが趣味の一つといったような種類の人間だったわけだが、タナトスレイを処方されるようになってから少なくともリストカットはまったくしなくなった。よかった。あれ、痛いから案外しんどいんだよ。
だけど、売春はやめなかった。僕はいちおう、花の女子高生というやつで、女子高に通っていて、しかも着ている制服にけっこうブランド力があるアレなので、金払いのいい上客が何人もついている。ちなみにこういうのを昔は援助交際と言い、昨今はパパ活と言う奴が多いが、僕はあえて売春と言っている。春をひさいで、それで生計を立てているわけではないが、それでも、かれらのような男たちと交際しているとは思わないし、かれらをパパだなんて呼ぶ気はもっとないからだ。
よく言われるんだが、特に若い少女のやる売春は自己破壊衝動に基づくもので、金よりも「自分を汚して傷つける」ということそれ自体を目的としている場合が多々ある、のだという。まあ、わが身を顧みてそれを否定はしない。僕も最初はそうだったのだろうし、途中まではそうだったのだろう。タナトスレイを飲み始めるまでは。
「アヤカ。これ、やってみないか?」
と、客の一人に言われた。アヤカと言うのは僕の本名ではない。偽名だ。あるいは源氏名とでも言うべきか。
「何? シャブならいらないよ。煙草も吸わない」
「いや。もっといいものだよ」
と言って男が見せてくれたものは錠剤だった。というか、いつも飲んでいるから、知っている。それはタナトスレイだった。形と、彫ってある数字からして間違いない。まさかタナトスレイに見せかけた贋造薬だなんて話はないだろう。そんなものを作る意味はないと思う。
「飲むと、どうなるの?」
「セックスが良くなるのさ。そういう意味ではシャブに似てるが、お前シャブは食わないだろ。俺もだけどさ、これは副作用なしで、そういう効き目があるらしい」
「副作用がなくたって、ODの問題はあるでしょ。限度量は?」
「一日に十錠。それを超えたら命の保証はなくなるって、売人が言っていた」
ちなみに、市販のタナトスレイの服用量は一日一錠である。
「……まず自分で飲んでみせて。それでなんともないようなら、次に会うときにまたその薬を持ってきて。そこまでしてくれるなら飲んでもいい」
タクミと名乗っているその男はそうした。僕は恍惚状態のタクミに七発分連続で相手をさせられ、くたくたになったが、どさっと札束で支払いをしてもらったからまあそれに対して文句はない。
で、タクミは性欲が旺盛になる以外の異常は特に見せなかったので、僕はその次にタクミに会った時、ラブホテルのベッドの上でタナトスレイを九錠飲んだ。
夢のような感覚だった。
生きているってことがこんなに素晴らしいなんて思わなかった。
ああ、生とは性だ。性とは生だ。僕は生きている。そう思いながら、コンドームを使わせるのが面倒くさくなったので僕は生でやることをタクミに許し、一晩じゅう犯し抜かれ、身も心も満たされた。
それからもタクミと会うときはタナトスレイを十錠ずつ服用した。やがて、他の客はとらなくなり、僕はタクミを相手にパパ活をしているに等しい状態になった。まあ、パパと言うほどの年じゃあないんだけど。
三ヶ月後、僕は毎回二十錠のタナトスレイを服用するようになっていた。
気持ちいい。気持ちいい。気持ちいい。もっと中に出して。なんて、生きているということは素晴らしいんだろう。
半年後、僕の服用する数は一回五十錠まで増えていた。
ああ。生きている。僕は、生きている。人生は、いいものだ。最高だ。
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