第68話 アルシェーラ
「アルシェーラ様に……?」
「ええ。アルシェーラ様は恐らく、僕達が秘境を巡ることを悟っています。だからここで経験を積ませてくれているのでしょう。でなければ排除に掛かるはずですからね」
視界が悪く、動きに制限をかけられた場所での集団戦。相手優位な環境下での捕食者との戦闘経験。
意図して送り出しているとしか思えないんだよね。
排除したいのなら、他の存在も送り出せばいい。それでもそれをしないのは、アルシェーラ様が僕達を試しているからに他ならない。
「そもそも、今の状況を見て何も感じないんですか? 僕達がどれだけここで話し込んでると思っているんですか。こんな恰好な状況、僕なら見逃しませんよ」
『雷牙』を責め立てる僕を見かねたのか、アリーチェがハーフマントを軽く引いて僕の気を向けてくる。
「エルナー、それくらいに……」
「だめだよ、アリーチェ。彼らの言動は、彼らが信仰している使徒様、キアラ様の意に反してる」
「……え?」
誰の反応だっただろうか。森の放つ歌にかき消されて小さく聞こえたけれど、少なくともアリーチェではなかったね。
「聞いた話だとさ、キアラ様は獣人に知恵を与えて、その勇猛さの意味を説いたそうでね。それが彼らの獣人の誇りであり、繋ぐべき想いであると信じているんだ」
「うん……、でも、ラーシャーさん達は、誇り高いよ……?」
それは僕も信じてる。だから怒っているんだよ。
「そうだね、誇り高かった。けどさ、人族だからと差別するのは、勇猛ではなく蛮勇の持ち主の発想だよ」
「――ッ!」
「かつてはヒトとあるべくして歩み続けてきた獣人が。かつてのヒトと同じように他者を見るなどと、キアラ様の想いを踏みにじったのと等しい」
僕の言葉に怒りでも覚えたのだろうか。その身を震わせるのを確認できるよ。
僕の言葉は卑怯だからね。彼らの信仰する、父と崇めた存在を引き合いにして責め立てているから。
彼らの怒りをこの身に背負おう。間違いを正す事こそ僕が彼らに還す恩義であると。
「キアラ様への想いが嘘でないというのなら、永い年月を護り通してきたアルシェーラ様に示してください。キアラ様を知るであろうアルシェーラ様に、その在り方を」
リアクションが少なすぎて、僕の方が少々戸惑ってしまう。
けれどここで止めるわけにもいかない。ああ、割に合わないよ。
「この領域を侵害したなどと思い上がっているのなら、安心させてあげましょうか? 彼らは泉を護る騎士。命を賭して守るのが彼らの役目。そしてその命は、『アルシェーラの古代森』に宿ってる」
推測だけれど、そう外れてはいないだろう。そう思える根拠だってあるんだ。
「だから奪ったなどという事は無いんです。せいぜいが、再生成に時間がかかるといった事でしょう。――そうですよね?」
「「「「え?」」」」
『雷牙』が僕の言葉に疑問を浮かべている。それを無視して僕は振り返ってその存在を見やるよ。
かつてのツチノコ、もとい、『アルシェーラ・ミスティックスネーク』がそこに居た。
肯定するかのように頭を上下し、付いて来いと言わんばかりに背を見せてゆっくりと森を進んでいく。
「試しは終りのようですね。行こうか、皆」
「エルナー、いいのかよ、その……」
「折れたのなら仕方ない。尊敬はあった、恩義もある。けれど折れてしまったらどうしようもない。望むなら転移で送りますけど、どうします?」
「……連れて、行ってくれ」
「いいんですね?」
「ああ……」
表情は暗く、気分は相当に落ち込んでいるようだ。けれど足取りはしっかりとしているし、大丈夫だろう。
「な、なんだか魔王様怖いですね……」
「確か、信頼を裏切る事だけは絶対にしちゃいけない。それは恩も憧れも、なにもかもを損なうことだから、だったかな」
「黒姫様、それは?」
「……ラーシャーさん達が村に来る前に、エルナーが言ってたの。確か、それが僕のてつがくだって」
「哲学、ですか……」
それは、昔心構えの一環で、つい調子に乗って言っちゃったやつだ。覚えていたんだね。
けれどそう違う事も無い。本音ではあったし事実だとも思ってる。
前世でも、同じような言葉はあった。確か、『信用を築くのは難しいが、崩すのは一瞬だ』ってニュアンスだったと思う。
地図魔法ではそろそろ泉に近い。案内をしてくれた『アルシェーラ・ミスティックスネーク』が振り向いて横に逸れていく。
「ありがとう。行ってきますね」
シュー、と呼気が漏れたのか。そうして長い舌で頬を撫でられたよ。
森の切れ目。そこに足を踏み入れた。
「わあ……!」
そこに広がっていたのは、夢に出た時より幾分か広い泉。その上辺にはキラキラと光る玉があちこちで飛んでいる。
泉の傍らには巨大な樹木。その存在こそが、恐らく使徒様だろう。
「こうして、会うのは初めましてですね。アルシェーラ様」
『よく来た。我が福音よ。それと……歓迎しよう、キアラが子達よ』
「「「「ッ!」」」」
一斉に跪く『雷牙』に、アルシェーラ様は優しく告げるよ。
『立て。そして見てみよ。そなた等にはここがどう見える』
「ハッ! ……あ……」
全員が立ち上がり、そうしてようやく泉を見渡した。
魅入っていたよ。周囲を囲む森を背景に、妖精たちが見せる光の踊りが、泉に反射してとても幻想的だった。
美しい。その一言に尽きたよ。だからアリーチェも、感嘆の声を上げたきり無言で目に焼き付けていた。
『雷牙』は、その泉をただただ見つめ、涙を流していた。
「言葉が、ありません……」
『そうか。それでよい。のう、キアラの子達よ。この泉は我にとっての全てだ。そして、お前達はキアラにとっての全てだ。覚えておくと良い』
それが、どれほど彼らに刺さったのかは分からない。けれど、感極まるほどには感謝しているのだろうね。子どもの様に泣きじゃくり、悩みも恐怖もその涙に溶かして流れていくのだろう。
「アルシェーラ様。彼らはアルシェーラ様の領域を侵害したと思ってます。どうされますか?」
「エルナー容赦ねえな……」
ちょっとアルトは黙っていてほしい。大事な事なんだよ。
『どうもせん。そもそも侵害などされておらなんだ。まことに侵害しておったのはヒトの営みだからの』
とんでもないブーメランが飛んできました。
「それに関しては、僕が代表して謝罪します。申し訳ありませんでした」
『良い。面を上げよ、我が福音。そうよな、謝罪と言うならば一つ頼もう。かつての、あの黄金を我に使え。まだ内部に穢れが残っておるでの』
そう言って、黄金の魔力を幹から吐き出してくる。
「ああ、溢れた僕の……回収したんです?」
『うむ。心地よいでの』
「あはは、それは何よりです。では、行きますね――」
願うはアルシェーラ様の内部に残る、僕達の罪の残滓。永きに渡って蝕んできた無自覚の悪意。
それらを祓う為に更なる黄金の魔力を溢れさせる。
アルシェーラ様を覆い、泉を覆い、周囲の森の一部も覆ったところで限界を悟る。
「『
かくして、黄金の世界が穢れたる黒を取り祓い、アルシェーラ様と泉を浄化していく。
かつては魔王の女性がこの地の守護を祈り、アルシェーラ様がそれを受け入れた。
そこから蓄積されてしまった穢れを、魔王と呼ばれ始めた僕が祓っている。なんとも奇妙な縁を感じるよ。
『……うむ、良い。子らも大いに喜んでおるの』
泉を見やれば。色とりどりの妖精たちが高く舞い上がったりと、その賑やかさを増していたよ。
その光景がとても神秘的で、エリカお姉様が護りたいと想ったのが理解できる。
アルト達も、『風の道』も。もちろん『雷牙』も全員が魅入っていたよ。
気づけば、僕はアリーチェの手を握っていた。そうしてアリーチェの顔をそっと盗み見て。
その横顔に伝わる涙に妖精たちの光が反射して、ああ、綺麗だと、そう思ったよ。
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