第37話 リコリス

「うわぁ……なんだこの部屋……初めて見る。変な草の匂い」

「畳って言うんだって」


 広い畳張りの一室。

 ユノ村温泉旅館の最上階。村が一望できる一番いい部屋を取ってもらった。


「うわぁ……」


 【魔王】が縁側に行き、村を一望する。


 来た。


 来てしまった……。

 何だか性欲に負けたみたいで嫌になる。

 この村に来て、結構経つけど、あの館みたいな温泉旅館言ったことないよね。明日行ってみない? 

 と、誘ったら目を輝かせて話に乗った。


「凄い、空が良く見える……」


 大きな旅館の最上階だけあって、眺めはいい。普段は木々や家々に遮られてよく見えない空も、地平線までよく見えて、まるで空に包まれているようにさえ感じることができる。


「喜んでもらえて嬉しいよ」

「うん!」


 座布団をしき、そこで落ち着く。


「ふぅ……ん、どうした?」

「いや、あのな。ずっと我は気になった事があってな」

「どうしたんだよ。【魔王】」

「それだ!」


 ビシッと俺を指さす【魔王】


「お前、我を呼ぶときに、抵抗あるよな?」


 ドキッとした。


「……どういう意味かな?」

「確かに、確かにだ。何度かリコリスと呼ばれたことはある。だが、基本的にお前は我のことを【魔王】と呼び続けている。何故だ?」

「何故だ何も……【魔王】だからじゃないかなぁ……」

「誤魔化すな。お前は他の人間が周りにいるときにしかリコリスとしか呼ばない。こうやって二人きりの時は【魔王】としか呼ばない。それどころか、周りに人がいるときは名前をなるべく呼びたくなさそうに躊躇する。我が気が付いてなかったとでも思っていたのか」

「思ってました」


 嘘だ。

 とっくの昔に見抜かれているとは思っていたが、なあなあでごまかしきりたいと思っていただけだ。


「嘘を言うな!」


 ボフッと【魔王】の近くにあった座布団が俺の顔面にヒットする。


「何故だ? なぜ名を呼ばん? 我のことがまだ憎いのか? それなのにこうやって温泉に誘って我を喜ばそうとしたり、正体がバレそうになると命を懸けて我を守ろうとする。訳が分からん。我を【魔王】として見ているのか? それともお前の奥方として見ているのか? いい加減はっきりしてくれ。でないと、我はこの先どうすればいいか分からん」


 俯く、【魔王】


「この先……?」

「答えてくれ……! なぜ名を呼ばん? 我はまだ、レクス。お前の討たねばならない巨悪なのか?」

「……俺だって、複雑なんだよ」


 正直に、言った。


「お前を倒すことを胸に、必死で頑張って村を出て努力して、戦ってきたんだ。それなのに倒すべきだと思っていた敵はただの女の子で。助けを求める女の子で。俺は、自分がわからなくなった。お前を倒せばいいのか、救えばいいのか。【魔王】とみなせばいいのか、女の子として見ていいのか。そもそも……【魔王】ってなんなのか」

「…………そうか、そこからか」

「そこからだよ。なんでお前が【魔王】なんだ? 全てをかなぐり捨ててここに逃げてきているけど。そのままでいいのか? 俺は悪いがそうは思えない。魔王城にいないと言うだけで、【魔王】の役目から降りられるとは思えない。【勇者】アランたちが魔王のいない城を占拠して、人類の勝利を宣言しても、本当に人類に平和が訪れるとも思えない。ただの予感だが……」


「その予感は、当たっているよ」


 【魔王】は悲しそうにふっと微笑んだ。


「私は、逃げている。【魔王】の役目から。それは、全てを捨てているわけじゃない。捨てられるわけじゃない。ただの先延ばし。絶対にいつか、今逃げている分のつけが回ってくる。【魔王】って役目は、そんな簡単に逃げられるもんじゃない」


 自嘲気味な笑みを浮かべ、うつむき、淡々と悲しげな声で述べる。

 何か、やはり、【魔王】という肩書には秘密があるようだ。


 ま、


「それはそれとして、お前を名前で呼ばない理由とは一切関係ないけど」


「何なの⁉」


 ドンッと【魔王】が畳を強くたたいて館が大きく揺れた。

 地響きがなり、下の階では「何⁉」「地震⁉」「魔界からの襲撃か⁉」と大騒ぎになっている。


「おい、本気出すなよ……【魔王】なんだから」


 天地崩壊の力をその身に宿す【魔王】は少し力加減を間違えただけでこの人間の作った屋敷は崩壊してしまう。

 【魔王】は誤りもせずに俺を睨みつづけ、


「で⁉」


「で、とは……?」

「名前を呼ばない! 理由!」


 また拳を振り上げる【魔王】。

 その手に邪悪な魔力が宿る。

 ヤバい。

 また癇癪を起されたら、この旅館が崩壊してしまう。


 ……仕方がない。


「……違うだろ?」

「は? 何が?」

「本当の、名前」


「—————」


 【魔王】の動きが、止まった。


「最初にあった違和感は、俺がお前の名前を聞いた時、明らかに考え込んでただろ。その時には確信がなかったけど、次はベイルと初めて会った時だ」

「ベイル?」


 何でこのタイミングでその名前が出てくるのかと【魔王】は眉をひそめた。


「何にでも、普通は名前があるだろ。赤い狼ならレッドウルフ。でかい熊ならデスグリズリー。その存在の特徴を言う言葉と、名前はまた違う。だから、存在があるのかないのか希薄な伝説上の花。という特徴を言い表している言葉の『黄昏の花』は名前とはまた違う」 


 ずっと、そう呼び続けていたが、『黄昏の花』には『黄昏の花』の、花としての名前がある。


「エンシェント・リコリス。それが、『黄昏の花』の名前らしい。完全に読める男ではないが、ベイルがそう言っていた」


 こいつは、【魔王】は、ベイルに会う前から、


「『黄昏の花』を知っていた」

「…………」

「本当の目的はそれだろ? 『黄昏の花』を求めてこの村に来た。なんでだ? 何でお前が〝魔族化〟できる花を狙う?」


 問われた【魔王】は、


「フ—————」


 口角を不気味なまでに上げて、笑っていた。

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