16話 揉め事


 今日は大家さんが死亡する日だった。


 アパートの玄関近くで派手に転倒し、頭を強く打って脳挫傷になったんだ。


 そのことに気付いた僕は、一刻も早くそれを伝えるべく補助術を使って全速力でひた走っていた。


 緊急を要しているせいか、そこまでアパートから離れてないはずなのにやたらと距離があるように感じる。


「おーい! 大家さあああん!」


 僕はこのままじゃダメだと思って、走りながら大声を上げてみた。


「――はぁ、はぁ……」


 なんの反応も返ってこないことに対して不審に思いつつ、ようやくアパート前に到着した僕の目に映ったのは、大家さんが玄関口で倒れて頭から血を流しているところだった。


「大家さん!?」


 畜生、間に合わなかったのか。そう思いつつも急いで駆け寄り、生きているかどうかを調べてみると、まだ微かに脈や息があるのがわかった。


 前の世界線では、僕が見た時点で既に脳内出血が酷くて亡くなっていたから、少し未来が変わっているのがわかる。




「お、おい、クロムって人、大丈夫なんです?」


「支援者ギルドからベテランの先生を連れてくるべきだろ!」


「そうだそうだ! あんたの身分はたかが見習いだろうに!」


「お前じゃ大家さんを治せん!」


「今すぐ代わりを連れてきなさいっ!」


 ここは大家さんの部屋で、彼女が倒れたっていうことでアパートの住人たちが駆けつけてきたわけなんだけど、項垂れてる一部の人を除き、みんな支援者見習いの僕が治療することに疑問を抱いている様子。


「うるさいですね、静かにしてください。今は一刻を争う事態なんです。ギルドから誰かを呼んでるような暇はないので、大家さんは僕が治療します」


「「「「「……」」」」」


 僕の怒気を孕んだ言葉でみんな黙り込んだけど、不満が燻ってるのは痛いほど伝わってきた。


 それだけ、このアパートの住人が大家さんを大事に思ってるってことの証でもあるんだ。


 今でも覚えている。前の世界線で大家さんがなくなったとき、その代わりに親戚だからとかいって底意地の悪い爺さんが大家をやるようになって、アパートはたちまち陰鬱な空気に覆われていったのを思い出す。


 そしてそのことは、意外にも僕の同僚のオルソンが死亡する遠因にもなっているんだ。


「おいおい、ババア、こんなところでくたばるんじゃねえぞ、畜生……」


 下を向いたまま、いかにも悔しそうな声を発したのが、目つきの鋭い大柄な冒険者の男デイビスだ。


 デイビスはこのアパートの住人の一人であり、当然僕とも顔見知りなんだけど、いつも大家さんをババア呼ばわりして口喧嘩してるくせに結構仲がいいんだ。


 今の大家さんが死んだあと、デイビスは新しい大家の爺さんに嫌気がさして出ていくことになり、そこから彼の人生が暗転してしまう。毎日酒浸りになってその辺のゴロツキと揉め事になり、その喧嘩の巻き添えを食って死亡するのがオルソンなんだ。


 目撃者の話によると、それ以上やったら死んでしまうでしょうとか言って止めようとしたっていうから、心優しい彼らしい最期だと思ったもんだ。


「クロム先生、頼むぜ、婆さんを治してやってくれ……!」


「絶対に治せるとはいえないけど、もちろんそのつもりで治療するよ、デイビス」


 さて……気分が落ち着いてきたところで治療を開始するとしよう。何のんびりしてるんだって思われるかもしれないけど、こうした重い外傷を治す場合、もちろん急ぐ必要はある半面、治療する側が冷静さを欠いてはならないんだ。


 それは自身の手元が狂わないようにするのはもちろんのこと、患者側やそれを見守っている人たちに焦燥感や恐怖を伝染させないようにするためでもある。


 患者が気を失ってるとはいえ、そこは影響が少なからずあるということを留意しておかないといけない。


 内出血等の内部の異常は見当たらず、外傷のみということ、それに意識障害等、精神状態の異常が見当たらないってことで回復術は省略できるので、すぐに治癒術を使うことができる。


 頭部の傷もどんどん癒えていき、出血も止まった。あとは意識が元に戻ればいいわけだけど、ここですぐに補助術で気を活性化させるのは禁物だ。


 少し弱っているわけではなく、眠っている、または激しく弱まった気を一気に引き上げようとすると、それをきっかけにして抵抗も強く働き、昏睡状態が続いてしまうリスクもあるからだ。


 この場合、まずは自然に目覚めるのを待ったほうがいいだろう。覚醒したらまず気の状態を確認して、それが凄く弱いなら回復術を使い、少し弱いレベルなら補助術で強化してやり、安定しているなら何もしないのが正解なんだ。


「――うぅ……」


「「「「「おぉっ……!」」」」」


 しばらくして大家さんが目覚め、室内が歓声とともに陽の気で満たされるのがわかった。おばさんの気は安定しているのでもう何もしなくても大丈夫なはずだ。


「……あ、あたいは助かったのかい……?」


「うん、もう大丈夫だよ、大家さん」


「クロムが助けてくれたのか……。あんたが言った通り、あたいは本当に転倒しちまったよ。不思議なこともあるもんだねえ……」


 感慨深そうに大家さんが言うと、あの冒険者の男デイビスが目を真っ赤に腫らして舌打ちした。


「ったく、心配させやがって。ババアが。くたばるかと思ったぜ……ひっく……」


「デイビス……あたいがこんなところで死ぬわけないだろう。大の男がメソメソするんじゃないよ、バカタレ……!」


 大家さんの絶妙な返しに笑い声が上がる中、僕は胸を撫で下ろしていた。


 これでデイビスはここを出ていかず、オルソンが喧嘩に巻き込まれて死ぬこともないだろうし、負の連鎖を断ち切ることができたみたいでよかった……。

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