暖かくて少しだけ切ない

桜雪

第1話 離別

「絶対に赤いきつねの方が美味しいよ‼」

 私の母は『うどん派』だった。

 そのせいか、自然と好みは母親寄りになっていったのだと思う。

 釣りがすきだった父とは、昔から反りが合わず、自然と私はインドア派になっていた。

 そんな父は『そば派』であった。

 寡黙で、あまり喋らない父親、週末、釣りに行くときは、いつも『緑のたぬき』をリュックに入れていたのを覚えている。

 父の部屋には、釣り道具がキチッと整理されて、ルアーや釣り竿が壁に飾ってある。

 子供の頃に見る父親の部屋は珍しい物で溢れていたが、だからといって欲しいとは思わなかった。

 私は紅茶が好きでコーヒーは飲めない、母の部屋にある香水の方に興味を持ち、親戚からも「男のくせに…」と言われていたが、ほとんど父と接することなく育ったのだ、今になって思えば、そうなっていたことも仕方がないことだったのかもしれない。

 言い訳かもしれない…。

 私は当時から父を嫌っていた。

 決して社交的とは言えず、週末も家族でどこかに出かけた記憶もない。

 仕事が忙しかったのだろう、一緒に食事をした覚えもない。

 黙々と部屋で趣味に没頭している姿しか知らないし、物心がつく頃には母親は父親に対し嫌悪を口にするようになっていた。

 私は母に同調するように返事するだけだったのだが、そんな影響もあって、次第に父親から距離を置くように過ごすようになった。

 たまに部屋を横目で見ると、相変わらず釣り道具が置かれ、部屋の隅に数箱の『緑のたぬき』が積まれていたことを覚えている。

 それが妙に腹立たしかったからだ。


 高校を卒業する年に、珍しく3人で年越し蕎麦を食べた。

 といっても、インスタントなのだが、母と私は『赤いきつね』父は『緑のたぬき』であった。

 紅白を観ながら、無言で食べて、食べ終わると父が珍しく口を開いた。

「……父さんと母さん…離婚することにした…」

 なぜか私は父ではなく母の顔を見た。

 無言で頷き、目を閉じて、少しの間を置いて母が話しだした。

「大学の費用は卒業まで父さんが払ってくれるから…あなたは心配しなくていいのよ、春になったら母さんも家を出るから…」

 私の親権は母が持つことになり、母は自分の実家に戻り、私は大学入学と同時に上京、家族はバラバラに暮らすことになった。


 その後、父とは連絡もしないまま…10年が過ぎて、実家に戻った母から父が他界したという連絡をうけた。

 30半ばにして結婚もせずに、ただ忙しく暮らしていた日常、私は突然、過去に足を掴まれて、グイッと過去へ引き戻されたような、言いようもない不快感と不安感に襲われた。


 冬が近づく気配を肌で感じる季節、ふと訪れた訃報であった。

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