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――レジさんがログインしました。
ディスプレイの右下にログイン情報が表示される。それとほぼ同時に、レジが話しかけてきた文字も表示された。
「レジ」というのはハンドルネーム。僕の唯一のチャット友達だ。プロフィールには女性とあるけれど、実際のところどうか分からない。もしかしたら、50歳くらいのおっさんかもしれない。会うつもりもないので、別にどうでもいいのだけれども。
『おはようございます! 元気ですか? 元気ですよね!』
『全然、元気じゃないよ。それに今は夕方だし』
『なんですかー、相変わらず、ぶっ冷めじゃないですか! それに、実は私は外国からチャットをしているという叙述トリックかもしれませんよ?』
『そうだね』
『わぁ、淡泊ですね!』
自分で淡泊な反応をしようというつもりはないのだけれども、本来コミュニケーション不足な僕がチャットをしても、こんな調子になってしまうのだ。これはチャットに限ったことではない。僕はネットだろうがリアルだろうが、分け隔て無くコミュニケーションが苦手だった。
『そういえば、明日からついに高校生活なんですよね?』
『そうだね』
『大丈夫なんですか?』
『大丈夫だよ』
『え、そうなんですか!? でも先輩って確か……』
レジの文章が一度途切れる。
彼女は僕のことを先輩と呼んでいるが、実際に先輩なわけではない。そもそもレジとは会った事も無いし、お互いの住んでいる場所も知らない。本名すら分からない。
ただ、ハンドルネームを持っていない僕は、レジが僕を呼ぶ為の固有名詞が必要となったのだ。
そこでとりあえず年上だったので便宜上先輩と呼ぶことになったのだ。
『先輩って女性恐怖症でしたよね?』
『うん。そうだよ』
『大丈夫なんですか?』
『大丈夫だよ』
僕は自分のことを、女性恐怖症だと言い張っている。医者にそう診断されたわけではないのだが、実際に女性とコミュニケーションをとるのに対して恐怖を抱いているのでそう自負しているのだ。そして、コミュニケーションを避け続けた結果、僕のコミュニケーション能力はいつの間にか、地に落ちたものになっていた。
『へぇ、あんなに女性恐怖症だって言っていたのに、すごい自信じゃないですか。もしかして女性恐怖症、克服したんですか?』
『言ってなかったっけ? 男子校に進学したんだよ』
確かに言った記憶がない。多分言ってなかったのだろう。
『ええー! 前聞いた時、近くに男子高無いって、言ってたじゃないですか!』
『遠くに入学したんだよ、と言っても県下だけど。だから一週間くらい前から一人暮らしだよ』
『そうなんですか、叔母さん、よく許してくれましたね』
『説得した』
叔母の説得には時間がかかった。叔母は僕のことを溺愛している。その為、手の届かない範囲に置くのに難色を示していたのだ。
『そうなんですか、あの、まだ……』
『まだ?』
少しだけ時間が空いた。
『叔母さんとはうまくいってないんですか?』
『叔母は僕に良くしてくれてるよ。ただ、叔母も女性だから、女性恐怖症の僕にはちょっと辛いだけ。叔母が特別嫌いなわけじゃないよ』僕は嘘をついた。
『そうなんですか』
叔母は僕の心配ごとの一つだ。
レジはそれを知っていて、気にしてくれていたのだろう。
あまり、叔母について話したことは無いけれども、それでも今の発言が嘘だということに彼女は気が付いただろう。
実際、一人暮らしをしようと思ったもう一つの理由は、叔母と離れる為だった。
『でもじゃあ、女性恐怖症は治る気配は無いんですか?』
『無いと思う。あまり詳しく言ってもどうせ信じてもらえないから言わないけど、僕の女性恐怖症は仕方が無いんだ』
『仕方が無い?』
『結果論って言えばいいかな、うまく言葉にできないけど』
『結果論、ですか?』
『うん。信じてもらえないと思うけど、僕は人と違うみたいなんだ。変なんだ。これまで生きてきて、女性とコミュニケーションを取り続けると結果としてお互いが不幸になる。僕はそういう、変な能力めいたものがあるんだ』
しばらくの間、チャットが停まった。時計を見ると、もうすでに日付が変わろうとしている。
わざわざこんな話をする必要なんて無かったと、少し後悔した。
『ごめん、変な話だった』
『いえ、私は信じてますよ。信じてますけど。絶望的じゃないですか、私。来年、先輩と同じ高校に入学してみたいと思ってたんですよ。それが、なんと、男子校ですよ! しかも、女性恐怖症が仕方が無いだなんて』
『そもそも、僕の名前も住所も知らないよね』
『そうなんですけどね』
『僕は……、レジとはネットの関係だからこそ女性恐怖症の僕でも仲良く出来たと思ってるんだ。僕にとっては、そのアバターがレジのイメージ、それでいいと思うんだ』
アニメ風にデフォルメされたアバターを見た。レジのアバターは、髪の毛がやたら長く金髪で、髪の毛を生け花かなにかと間違えたかのように、実用的でない装飾が施されていた。服も相手を威嚇するかのような派手な格好をしていた。
『私こんなにコンタクトレンズでスープが掬えるほど、目が大きくないですよ?』
『給食の時とかに便利じゃん』
『給食の時に、目からでっかいコンタクトレンズを取り出して、これにカレー入れてくださいって言っても友達減らないですか!?』
『さあ』
『それに私、髪もこんなにパーマかかってないし、染めても無いです』
アバターと本人は似てないらしい。
『そうなんだ』
『派手なほうが好きなんですか!』
『そういう意味じゃないよ』
僕が入力すると、また返事がこなくなった。下のほうに今入力してるというアイコンが、点滅している。おそらく、入力しては消しを繰り返しているのだろう。
『先輩。高校生になってもまたチャットできますか? チャットでなら、女性と話をしても、大丈夫なんですよね?』
『うん、大丈夫だと思う』
『やったー!』
アバターが背後にお花畑を出した。喜びを、ボタン一つで表現出来るなんてなんて便利なんだろう。現実世界でも、ボタン一つで感情が表現出来るのなら、もう少し世界はスムーズだったろうに、と思う。
僕のアバターは、常に無表情を貫いているが、別に無表情にポリシーがあるわけでもなく、ただ単に操作が面倒なだけだ。ボタン一つすら面倒なのだから、やはり世界はスムーズにならないだろう。
『レジはさ、他にチャットする相手いるんじゃないの? 僕とチャットしてて楽しい?』
『楽しいですか、うーん、難易度の高い質問しますねー』
『楽しくないなら、別に無理して僕とチャットしなくても……』
レジなら誰とでも楽しく、チャットができるはずだ。
『あー! またそういう話なんですか!?』
『定期的に出したい話題だよね、蛍光ペンが定期的にほしくなるみたいな』
『なりませんよ! でも先輩とのチャットは他の人より優先しちゃいますねー』
『優先?』
わざわざ話題の貧相な僕を優先する理由なんてほとんど無いだろう。もしかして他にチャット相手の居ない僕を気を遣ってくれているのかもしれない。
『先輩は、他にチャットの相手は作らないんです?』
『うん。そう言えば作らないね、なんでだろ。たぶん面倒だからだけど』
レジと話をしだしたのも単なる偶然で、チャットの相手を探していたわけではない。相手を探したような記憶も無い。
『それは私も、先輩と話を嬉しいですけど、でも、先輩って本当に向上心とか探求心が無いって感じですよね』
『そうかも。確かに無いね』
探求心というのは、普通の人間だけに与えられたものだと思う。
少なくとも他人と異なる僕は、他人と同じラインにいるのが精一杯で、何かを向上させよう、なんて考えたことも無かった。
なら、もし僕が、他人と同じだったら。
『僕は、人と違うから』
『じゃあ、先輩が女性恐怖症じゃなかったら、人と同じ向上心を持っていたんですか?』
『どうだろ』
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