2017.11.21 両価
ほどなく慣れてきた。変なシェアハウス住まいも、不気味な仕事も、退屈な日々の記録にも。意外と俺は、適応力が高いのかもしれない。不眠症という離れがたい病にも慣れたくらいだから、万事に諦めがついて当然なのかもしれないけれど。
でも、そんな俺にも、慣れないものはある。
たとえば昔に負った心の傷とか。それに伴う人間不信や、自己嫌悪と自尊心の板挟みだとか。生と死のように、どっちか一つに決められれば何事も楽なのに、そうやっていつも思い切れないのだから、人間は面倒だ。来世は初めから虫がいい。
とにかく日記くん。今日は映画鑑賞をしたよ。
できれば顔を見たくない昔の友達、椋澤利晴と一緒にね。
まあまあ、嫉妬するなよ……今は日記くんだけが友達だから。それに、なぜ影のVIP様が、斜陽も甚だしい俺のような人間をお連れになったのか、その理由も未だにわからないんだよ。だって本人には聞けないし、そんなの。まあ、でも多分察するに、昨日の伝言がうまくいったかの確認をするためだろう。俺のささいな挙動や顔色などから、裏切りの気配がないかをチェックする——きっとそのための、茶番みたいなお付き合いだ。
まあこっちとしては、裏切りも何も、そんなつもりは毛頭ないから、余計な取り越し苦労だなって感じでしかないけどさ。
「最近、とても寒くなったね」
椋澤家所有のホームシアター(張り合うわけじゃないけどうちにもあった)の前で話しかけてきた椋澤は、本当に「普通の男」って感じだった。
もちろん車椅子ではあるんだけど、それはそれとして、いかにもな鋭い眼光とか圧迫感とか、全くないのはなんか逆に怖いものだ。ただ、ちょっとだけ、漂わせる空気には重たいものがあった。表向きにはコンサルタントだという話だったけれど、コンサルの人間ってあんなに暗くていいわけ? 俺もよくは知らないけどさ……なんか無駄に人懐こいイメージがある。
「そうですね。中に入りましょうか」
「押してくれるかい?」
「はい。もちろん」
そう言って、車椅子の後ろに回ると、「敬語なんていいよ」と言われた。いやいや。そんなわけにいくか。
上映中は、何を考えていたのか、実はほとんど覚えてない。
緊張していたというか……早く終われって思ってたから。実は椋澤を裏切ってたから、とかではない。裏切るっていってもどちらが裏で表かですら、新入りで無能な俺にはわからないのだから。俺の不安の種、というか不快の種は、昔のことだった。いつだったか、確か日記を始めた日に、トラウマの話を書きかけてやめたと思うけど、それに関することだよ。
彼は……利春は、俺の一番知られたくないことを知っている。
ずいぶん前のことだから忘れている可能性もあるが、あの優れた記憶力でなら、きっと忘れるはずがない。でも、彼は思慮深い人間だ。だから俺の方が忘れたふりをしていれば、そのことについて、自ら突っ込んで聞いてくることはないだろう。……ないだろうとは思ったけれど、絶対にない、というわけでもない。
だから、早く終われ、と思っていた。
映画を見ながら、「急に呼んですまない」とか、「ご苦労様」とか、当たり障りのないことを言われたのは、かろうじて覚えている。
ちなみに、演目はスターウォーズだったよ。エピソード5・帝国の逆襲。エンターテイメント映画のド定番だったのがせめてもの救いかな。SFは好きだし。これでやたら長い邦画とかだったら、俺は今頃退屈と苛立ちと不快感で窒息死して、この世にいなかったことだろう。
赤と青のライトセーバーがぶんぶん唸るのをひたすら目で追いながら、心を殺して、そつない会話を続けた。あ、これが逆に「裏切っている」と勘違いされたりしたらヤバいかな? まあそんなことはないだろうけどさ。優秀な奴に限って。きっと奴なら、俺の心を(都合いいところだけ)読んでくれるさ。ベイダー卿みたいに。
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