2017.11.12 気まずい再会




 


 やあ、日記くん。今日からはちゃんと、1日の終わりに書いていこうと思う。昨日は丸一日使って、サボった日の分の穴埋め作業をし終えたので、仕切り直しだ。

 とりあえず、今住んでいる場所のことから。


 先生の知り合いで、というかお得意さんで、椋澤むくざわという家がある。


 生まれ故郷でマフィア映画みたいなことが起こっていたなんて驚きだったが、実際、その椋澤家は「街の暗部を牛耳るボス」という立ち位置らしい。その権力は明治からこちら、子から子へと粛々と受け継がれており、表立って街を動かす菊芦家に仕える形で動いていたとか何とか。わーお。そんな面白そうなことをしていたなら、俺にも教えてくれればよかったのに。父は俺を息子として勘定に入れていなかったのかも。まあ、俺は欠陥品で、ただのインテリアだったのだから、当然か。


 それはいいとして、今朝、音原先生の車に乗せられて、当代に挨拶しに行った。


 いや、もちろん俺だって思うところはあったさ。繋がりがあったってことは、もしかしたら、あの子供らを送り込んだ黒幕は——って考えちゃうのが自然だろ? もう平成になってずいぶん経つし、そろそろ数世紀越しの下剋上を図ろうと考えたっておかしくはない。でも、朝って例のごとく、頭が回らない。それにだ、仮にこの説が正しいとしたって、俺なんかに何ができる? あんな得体の知れないものを、狙った家に送り込む力を持っている人間に対して、反旗を翻そうだなんて、ことによってはそれを心に思っただけで殺されてしまうかもしれないだろ? 

 あるいは殺されてもいいから、何がなんでも家族の仇討ちをと、考えなしに突っ走れる男ならよかった。そんな男だったら、父も俺を認め、秘密を打ち明けてくれていたかもしれない。

 でも俺は、やっぱり無駄死にはごめんだった。今やお金もないんだから。そうだろ? 


 で、衝撃だったのは、その当代が、俺の元同級生だったってこと。


「覚えてる? 僕のこと」


 田園の中にぽつりと佇む一軒家の、書斎のような部屋に通されて、中にいた男がそう声をかけてきた時、俺は心底嫌悪した。嫌悪すると同時に、そんな自分に嫌気もさした。覚えてはいたが、覚えていると答えたい気分では到底なかったので、

「えっ、と……」

 などと、わかりやすくお茶を濁した。すると、彼は困ったように笑う。その柔和な笑顔で、さらに過去の記憶がぶり返してくるようで、俺には結構きつかった。

「ああ、いや、ごめんよ。僕が悪かった。小学生の頃の記憶なんて、もうないに決まってるのにね。本当に気にしないで」

 俺の方も、ボスともなればもっと高齢の人かと思っていたのもあって、正常な反応を返すのに手間取った。だってまさか、若干二十歳で、小さな街とはいえ裏社会のボスをやるなんて、それこそマンガの世界だ。

 しかも——車椅子に乗っているのに。


 彼の名前は、椋澤利晴むくざわ としはる


 もっとも俺が知る彼の苗字は佐藤だか斎藤だかで、これではなかったはずなのだが、彼はなぜかその地位についていた。「色々あってね」と彼は言った。

「あれから足が悪くなって。は治ったのに。どこかが良くなったと思えば、今度はどこかが悪くなる。ぽんこつの中古車みたいだけど、ある意味じゃ『釣り合いがとれてる』ってことになるのかな」

 これ、と言いながら、利晴は自分の口元を指差した。昔の彼はものすごい吃音だった。生まれつきの虚弱体質であり、学級に馴染めないストレスと、体育会系教師への怯えから、精神的な症状も出てしまったらしい。ただ唯一の救いか神様の情け心か、あるいは生存本能が内なる力を呼び覚ましたのかわからないが、彼は並の大人をゆうに凌ぐほど賢かった。

「まずはお悔やみを言わせてほしい。あんな事件はそうそうない。特にここみたいな田舎街ではね。しばらくは色んな奴が嗅ぎ回ったり騒いだりするだろうが、君には知らぬ存ぜぬを通してもらいたい。あれについて調べるのは、蜂の巣に木の棒を突っ込むのと同じくらい危険なことだ。でも連中にはそんなことわからない。努力すれば蜂蜜が出てくるとしか思ってない阿呆共だ。聡明な奴ならまだ救いもあるかもしれないけどね……できれば、プチ整形でもしてもらえれば助かるかな」

 若白髪がすごかった。昔からこうだったろうか? と考えながら、俺は頷いた。そこまで愛着のある顔じゃない。

「いや、せっかく整った顔なのに、メスを入れるのは医者としても忍びないです。こいつにはまとまった金もありませんし、マスクでもしていればバレないかと」

「そう?」

 音原先生が横からそう言ったので、プチ整形の話は無しになった。


 別に親友だったとかいうわけじゃない。彼とは。


 あの頃はみんなと親友みたいなもんだった。馬鹿だよ。子供の中でも、俺は体は普通だが馬鹿な子供で、利晴は体は脆いが賢い子供だった。そしてそのどちらの子供が優れていたか、それが今朝証明されてしまったんだから、俺の気分としては全然良くない。全然。しかも、その相手からこれから住む場所まで充てがってもらって、「染みついた習性は変わらない」と述べた学者の話を身をもって証明しているモルモットにでもなった気分だ。音原クリニックの近くにある、古民家を改装したシェアハウス。家賃は不要と言っていたものの、もしそこに住むのなら、仕事の稼ぎの何割か(多くても五割)を払う契約になった。俺は応じた。


 それから病院に帰って、お昼を食べた。


 もちろん先生の手料理だった。長いこと夜型人間だったので、朝は紅茶くらいしか喉を通らなかったけれど、昼過ぎにもなるとさすがに空腹だった。でも食欲なんてあったと思う? あんな気まずい再会のあとで。

 空き部屋の窓辺に立ち尽くして、ベッドテーブルの上の、ラップに包まれたおにぎり二個とひと椀の味噌汁を見つめていると、先生が横に来てこう言った。

「話でも聞きましょうか」

 十一月はほとんど冬のようなものだ。窓から差し込む光は青白く、ストーブを焚いていても寒々しい。風の音が小さく鳴った。口笛のように。

「話すことなんてありません」

「なら、食べて。中身は梅と昆布」

「梅はどっち? 赤シソ?」

「蜂蜜です」

 先生がおにぎりを一つ手に取り、俺の手に持たせた。ため息をついて、ラップを剥がし、一口食べた。一口目で具にたどり着くことは珍しいのに、口の中に酸味が広がった。梅の方だったらしい。

「彼は君に恩があるとおっしゃっていました。街の権力者に憎まれているより、出だしとしては全然いい。ひとえに君の、過去の行いのおかげでしょう」

「聞いてもいいですか。どうして先生はあの夜、あの場所に?」

「虫の知らせと言いたいところですが、あれはただの趣味です。夜のドライブ。週に何回か、あの辺を走るだけですが」

「銃を持って?」

「銃を持って」

 学校にはたいてい、先生に可愛がられる子供と、卒業するまで距離を保ったままの子供がいる。俺は後者だった。前者の子というのは、自分で調べればすぐわかることでさえ、逐一先生に尋ねる。どんなに相手が忙しくても、話したくなさそうにしていても、お構いなしだ。そして最後には、そういう子が卒業式で泣きじゃくり、ありがとうありがとうと言い合う幸せな輪の中にいて、先生からも激励の言葉をもらい、彼らのおかげで割を食った他の生徒を尻目に、堂々と母校を後にする。気弱さ故に質問できなかった子供は最初からいなかったことになり、礼儀と遠慮の心を持って身を引いた子供は、「人に聞けば早いのに」と馬鹿にされる。俺は質問を続けなかった。これ以上聞いても答えてもらえないだろうし、怒られそうだと思ったからだ。でも前者の子供だったら、そんなことになど構わず質問責めにするのだろう。そうして結局は、望みの答えを得る。無傷で。そして俺を笑う。「聞けばよかったのに」と。


 

 

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