第1話 エルメイン城にて

「ん、んんーっ。ふはぁ……さて、今の話をあの2人にどう伝えたもんかね」


 謁見の間から出た俺は、おおきな欠伸をしながら体をグッと伸ばす。

 いつもの呼び出しだと思っていたら、今日限りで研究室が解散する事になったというのを、部下2人にも伝えないといけなくなってしまった。


「これからどうなっちゃうんだか……。解散になった事を伝えたら、あの2人に何て言われるかなぁ。はぁーあ、考えたくない……」


 解散を伝えた後の部下の反応を一瞬だけ脳裏に思い浮かべ、俺はげんなりとした気分になりながら城の中をとぼとぼと歩き始める。


「あっ! ディラルト様ー!」


「ん、この声は……」


 歩き始めた矢先、背後から大きな声で名前を呼ばれて俺は足を止めた。

 それと同時に、誰かがこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえてくる。

 そして、後ろを振り向くと同時に、俺の胸に勢いよく何かが飛び込んできた。


「おっと……!」


 俺はその飛び込んできた少女を受け止め、勢いを殺すようにぐるんとその場で1回転してから、怪我をさせないようにそっと少女を床に下ろした。


、廊下を走って怪しい男に飛びついてはいけません。はしたないですよ」


「まぁ! ディラルト様までエレオノーラ姉様みたいな事を仰るのですね!」


 俺の胸に飛び込んできた、可愛らしい桃色のドレスを着たツーサイドアップの髪型の金髪の少女に対して優しく諭すと、少女は俺の言葉に少し怒ったように頬を膨らませた。


 彼女の名前はリーゼロッテ・ファン・エルメイン。年齢は14歳。正真正銘このエルメイン王国のお姫様である。

 以前このお城に呼び出された時に、リーゼロッテ様の方から声を掛けていただき、それ以来気に入られてしまったのか、何故かこうしてよく抱き着かれたりしているのだ。


「それにディラルト様。私のこともリーゼロッテと名前でお呼びくださいと何度もお願いしているではありませんか」


「お願いされてますけど、エレオノーラ様の件で大分文句を言われたので……」


 やんわりとそのお願いを断ろうとするが、リーゼロッテ様はお気に召さなかったのか、更に頬をぷくーっと膨らませてしまった。


「むーっ! どうして姉様だけなのですか。私の事も名前で呼んでくれないなら、お父様や姉様にディラルト様から変な事をされたと伝えてしまいます!」


 そして、そのままぷいと俺から視線を逸らしてその場から去ろうとしてしまう。


「ま、まま待ってください! 分かりました! ちゃんと名前で呼びますから! それだけは勘弁してくださいリーゼロッテ様!」


 俺は慌ててリーゼロッテ様を追いかけて、前に回り込んで両手を合わせながら必死に頼み込んだ。


 俺が今こうして話しているお方はこの国のお姫様。

 そんな人物に変な事をしたなどという情報が伝えられでもしたら、真偽など関係なく俺は牢屋行きだろう。最悪の場合、俺の首が物理的に飛びかねなかった。


「ふふん、分かればよろしいのです。さ、それではディラルト様。いつものをお願いします」


 俺の必死さが伝わったのか、リーゼロッテ様は無事に機嫌を直してくれた……のだが、リーゼロッテ様はそのまま俺に抱っこをせがむように、こちらに両手を伸ばす。


「……はぁ、仕方ないですね。本当に今回だけですからね?」


 このまま断ったら、また先程のように脅されかねないので、俺は素直にリーゼロッテ様の要求に従うしかなかった。


「1週間もディラルト様と会えなかったのですから、これくらいは当然の権利です。ふふっ〜」


 いつものようにお姫様抱っこをすると、リーゼロッテ様は全てを委ねるようにコテンと頭を俺の体に傾けた。


「抱っこしてから言うのもなんですが、汗とかの匂いは大丈夫ですかね? 一応、お城に来る前にクリーンの魔法はちゃんとかけてきたのですが……」


 王城を訪れる前に魔法で全身の汚れや汗などをキレイにしてきたのだが、不安なものは不安である。

 自分よりも10歳近くも年下の女の子に臭いと言われてしまったら、暫く立ち直れる自信は俺にはなかった。


「大丈夫です、全然気になりませんわ。それよりもディラルト様、心臓が凄い早くなってます」


「リーゼロッテ様があんな事を言うからですよ。本当に焦ったんですから……」


 すんすんと匂いを嗅いでから、俺の胸に耳を当ててこちらを上目遣いに見上げるリーゼロッテ様に、俺は少しだけ肩を落としながら答える。


「ディラルト様が私のお願いを聞いてくれないのが悪いんです。それに、頼み事をする時はああいう事を言えば良いと教えてくださったのはディラルト様ではありませんか」


「いや、まぁ、そうですけど……」


 まさかそれを俺に言われるとは微塵にも思ってもいなかった。

 ひょっとしなくても、俺は教えない方が良かった事をリーゼロッテ様に教えてしまったのかもしれない。


「あれ。そういえば、エレオノーラ様の姿が見えないですけどどうしたのですか? いつもならリーゼロッテ様と一緒にいらっしゃるのに……」


 ここでふと、いつもならリーゼロッテ様と一緒にいらっしゃる方の姿が見えない事に俺は気付いた。


「あ、エレオノーラ姉様なら──!」


「リーゼ! 何処に行ったのですか! リーゼ……!」


 リーゼロッテ様に尋ねると、廊下の奥からリーゼロッテ様の事を探す女性の声が聞こえてきた。


「……もしかして、エレオノーラ様を放置して俺の所に来たんですか?」


「それは違いますわ、ディラルト様。私がエレオノーラ姉様より先にディラルト様の元に来ただけですもの」


 依然として俺の体にピタリとくっついたまま。

 だけど、視線だけは合わせないように俺から目を逸らすリーゼロッテ様。


「それを放置してきたと言うんですよ。リーゼロッテ様……」


 リーゼロッテ様をお姫様抱っこしたまま一度小さくため息を吐いてから、俺は聞こえてきた声の主の元へ向かった。

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