第5話 出発

 内務班に戻る。そこでは活気ある別世界が広がっていた。

 先刻の馬見塚のワールドとは大違いだ。

 新兵らは、各々の家族からの差し入れや食べ残しを持ち寄り、二次会をしている。和気藹々である。

 浅井もいかにしてその輪に入ろうか考えていると、唐突に班長が現れた。


 「明日現地に向かって出発!十時に営庭に集合!そこで各自は小銃弾と手榴弾の補給を受け、現地から来ている輸送部隊に引き渡されるのだ」


 そこに居た全員に告げ、部屋から出ていく。

 場の空気は一瞬にして引き裂れた。

 

 興醒め。宴酣たけなわが速攻お開きとなる。

 一つも差し入れを持ってこなかった芳枝のせいで、一次会すら開けなかった浅井にとってショックがデカい。差し入れのおこぼれにあずかれなかったばかりか、今後命を助け合うこととなる仲間と親睦を築けなかったことは、致命傷になりうる。馬見塚の方に行かねばよかった・・・。後の祭りではあるが、後悔せざるえなかった。


 その夜浅井は、消灯ラッパが鳴って寝床に入ると馬見塚が話しかけて来るのを待った。しかし、一向に話しかけこない。

 おかしいな、珍しいこともあるもんだ。こんなことは初めてだし、まずもって馬見塚の気配がない。

 せっかく、学校の先生を辞めた妹のことを聞こうとしていたのに。

 結局この夜、ついぞ馬見塚が話しかけてくることはなかった。


 翌朝、起床ラッパが鳴って起きる。

 隣を見ると、馬見塚は居なかった。

 その瞬間、自殺したなと思った。

 朝の点呼に来た班長は、「馬見塚っー!馬見塚はいないなのかー?!」と呼び、いないのが判ると新兵達を厠まで行かせて探させた。

 「いませんでした!」

 戻って来た新兵の報告を聞くと、彼は本来の班に戻って部下たちを捜索に当たらせた。脱走と決めつけ、國鉄や京成の佐倉駅、主要道路などに張り込みをさせていた。

 「脱走かよ・・・」

 新兵の間でそう囁かれる中、浅井は一人「馬見塚は脱走などできる器ではない。探すだけ時間の無駄だ」と思っていた。

 

 そんな騒ぎも束の間、新兵たちは出発の準備で忙しい。班長が新兵一人一人の前に立って認識票を渡す。十桁以上の数字が刻まれている真鍮のメタルで、これを凧糸で吊るし首に掛けるのだ。爆弾を喰らって誰の死体か判らなくなっても、メタルの番号を見れば誰だか判る優れものだった。


 一月某日午前九時、七百十九名の新兵が出発準備を完了させた。

 三十五、六キロある背嚢を背負って整列する。少しでも気を抜くとブッ倒れてしまう重さだ。しばらくすると、佐倉連隊の古兵達がリヤカーを曳いて現れ、新兵一人に小銃弾五千発と手榴弾二発ずつを渡してまわった。さらに重い。

 渡し終わると、壇上に輸送司令の中尉が現れた。班長たちから新兵二十名ずつを引き渡され、部下から掌握の報告を聞き終える。

 中尉は改まった訓示などせず、「出発!」とだけに叫んだ。

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