第154話 思い出作り生配信④-Be ambitious-

 なにもかもが嫌になって逃げだした。

 生きる気力も失って。なにもする気が起きなくて。どうしようもない虚無感に包まれて。

 引きこもっていたときの私は全てが嫌になっていた。

 心の底から自分が嫌いだった。

 皆ができる当たり前のことができず、高校から逃げ出した自分に失望していた。


 手を差し伸べてもらえたから踏みとどまれた。

 ねこ姉は無理に私を外に出そうとしなかった。着の身着のまま家を出た私にメイド服を与えてくれた。冗談だったらしいが、そのメイド服が家事の仕事を私に与えてくれた。

 ベッドから起き上がるにもきっかけが必要だった。毎日家事をする。惰性でもいい。自分にやるべきことがあったから私は動くことができた。呼吸することができた。

 そんなどん底の時間があったから今の私がある。マネージャーとの付き合いも引きこもっていた時期だ。


「逃げて逃げて逃げて。家に引きこもった。一年近く経っても不安とストレスが襲いかかってくる。起きたときに心臓が悲鳴を上げている。鼓動の早さで自分が悪夢で起こされたことに気づく。そんな日を何度も繰り返す」


 穏やかな時間があったから延命できた。

 再び一歩踏み出すための気力が湧いた。

 どうしようもない毎日を打開するには、自分で道を決めて歩み始めないといけない。そんな当たり前の覚悟に一年かかった。


「このままでは圧し潰されて心が死んでいく。もうどうしようもないほど追い詰められた人に届く言葉なんて少ないんです。頑張れなんて届かない。理性をねじ切るようなネガティブな衝動に訴えるしかないんです」


『足掻け』

『お前は自分のことが嫌いだろ。守るものなんてないだろ。思い切って足掻け』

『どうせ今よりも最悪なんてないんだから失敗なんて気にするな』

『具体性や確証なんて求める余裕があるならまだ大丈夫。すぐに救われるために動き出させ』

『諦めても地獄は続く。だからとにかく足掻け』

『自分を救うことを諦めた? まだ生きているだろ。全てがどうでもいいなら無様に足掻き続けろ』


「自分を失って逃げ続けた。逃げ道の先は袋小路しかなかった。追い詰められて果てに抗おうと決意した。頭の中でこんな言葉を何度も繰り返して私はVTuberになりました。デビュー配信のときは吐きそうだった。成功のイメージなんてない。頭の中にあったのは自分の予定した配信を押し切ることだけ。余裕なんてまるでないし、ちゃんとリスナーの反応も見ていなかった」


 デビューのときに勝算なんてまるでなかった。

 成功のイメージもない。

 失敗すれば紹介してくれたねこ姉とマネージャーに迷惑をかける。最悪逃げなければいい。自暴自棄の果ての足掻きでしかない。


「でも……でも足掻けてよかった。足掻いたから今に繋がった。あのとき全てを諦めたままだったら私はここにいません。だから絶望しないでください。足掻いてください。自分のことを少しでも好きになれるように。心の渇きを潤せるように一歩踏み出しましょう」


 これは私の言葉。

 私の経験から出た言葉だ。

 同じ経験があったから二期生の翠仙キツネ先輩の話は共感できた。どこまでも苦しんだ。自分に失望した。自分のことも諦めた。でも諦めてあと、ちっぽけなプライドが砕け散って動く衝動が湧いた。

 自暴自棄の果ての開き直り。情けないことをこの上ない。失うものがないから必死になれただけ。

 それでも私は救われたから。


「二期生の翠仙キツネ先輩からも同じ言葉を聞きました。二期生が崩壊しかけたとき、キツネ先輩もVTuberを辞めようとしていた。でもこのまま辞めるくらいならば。情けないまま辞めるくらいならば足掻いてみよう。もう一度始めるために。誕生する後輩に誇れるように必死に足掻こう。その結果として今の二期生の先輩方がいます。足掻かなければなにも変わらない。自分から動かなければ救われません。声を上げなければ誰も助けてくれません」


:引きこもりガチ勢

:アリス劇場本領発揮

:……足掻けか

:ネガティブの果ての開き直り

:さらりと自分のことが嫌いって言い切るんだよな

:さすがにアリスほど追い詰められたことはないけどわかる

:自分のことを好きになるための選択か

:行動しない者に救いはない

:キツネ辞めるつもりだったの!?

:あーまあ二期生は全体的にヤバイ雰囲気の時あったし

:それが今ではお笑い集団かよ

:キツネって今はネガティブなイメージないけど元は陰キャだからな

:足掻いて二期生捌けるようになったのか……やべえ奴では?

:階段から降りてみたらスマホを見ている人が結構います

:現場実況!?

:やっぱり見られているんだ

:少し静かになったと思ったので降りてみたら皆見ていました


 在校生に届いたかどうかはわからない。

 でも言いたいことは言い切った

 あとはいつも通りまとめよう。


「さて最後に一曲歌いますね。新曲で『Be ambitious』です。少年よ大志を抱けでお馴染みですね。クラーク博士の遺した言葉。最近は『Boys』が性別を限定してしまうので省いて、ただ若者と訳すことも多いようです」


 この曲は応援歌だ。

 同級生に向けてのメッセージになればいい。

 そのために作ってもらったのだが、何度も作り直すことになった。


「私はこの言葉がピンと来ないタイプでした。そもそも大志ってなに。満足に夢も抱けないのに、大志さんはハードルが高すぎませんか? 大きな志とかグレードアップされても怖気づくだけです。皆様は大志はありますか? 難しいですよね。この言葉の意味をそのまま歌っても、たぶんディスプレイの向こう側まで響かない」


 曲名のイメージが強すぎて、私には難しかった。

 綺麗で前向きで勢いがある。そんな真っすぐな応援歌にはネガティブな私の言葉は乗せられない。


『Be ambitious』


「たった二つの単語です。違う解釈の余地なんてあまりない。大志を抱け。野望を持て。将来のこと計画的に考えろ。明確に夢を抱いている人には響くかもしれない。でも夢を持てない人には響かない。私には関係のない言葉だと思っていました。でも自分にピンと来ないから歌えませんではいけない。だから歌詞と向き合う必要がありました」


 言葉の意味を深く掘り下げる。見方を変える。響く音にするために、受け取り方を見直す。

 額面通りの解釈をする必要もない。自分に必要な言葉にしてしまえばいい。


「『ambitious』は元々はラテン語です。『両方』や『くまなく』という言葉と『歩く』という言葉の組み合わせです。『周辺を歩く』という意味です。夢や志なんて意味は含まれていません。それが大志を抱く意味になったのは、選挙活動と結びついたからだと云われています。自分の手で世界を変えるために『清き一票をお願いします』と歩き回った。ただ頭の中で大志を抱くのではない。実際に行動している姿が『大志を抱く』という言葉を作った」


 でもこの解釈ではまだ遠い。

 私には響かない。響く歌として歌えない。


「強く望んで行動する姿が言葉を作った。そこに大志があったかはわかりません。でも原動力は現状への不満。変革の意志。そして自分の中の渇きです。あなたは満たされていますか? 喉が渇いたら水が必要です。はるか昔は水場を求めて移動した。井戸を掘った。心が渇いても潤す必要があります。好きという感情が心を潤します。別に大志を抱く必要はない。生きがいが水場となり、心の渇きを潤します」


 満たされている人なんてほとんどいない。

 心を休めて癒す場所が必要だ。心を潤してくれる生きがいが必要だ。

 安全な暗い部屋に逃げ込んで引きこもって自分を守るのは否定しない。でも水分を補給できなければ心が乾いてしまう。渇き切って呼吸するのもつらくなってしまう。


「大志を抱く以外にも『ambitious』には渇望するという意味があります。心の渇きを自覚してください。心を潤すための生きがいを見つけてください」


 大志はわからない。

 でも自分の渇きぐらいはわかる。


「私は三つの意味を込めて歌います」


『あなたの夢に向かって今すぐ走り出せ』

『生きがいを見つけるために右往左往しましょう』

『足掻け。心の渇望のままに』


「少しは身近に聞こえたでしょうか? どの解釈で聞いてくださってもかまいません。自分の意志で選んでください。では聞いてください『Be ambitious』です」


 応援歌を歌えるような立派な人間ではない。

 今も自分のことで精いっぱいだ。

 だから私の中にあった渇きをそのまま歌う。渇望をさらけ出す。表現することが私の生きがいだと伝わるように。渇きのつらさと夢への疾走感をわかってもらえるように。


:歌うのか!

:ボーイズビーアンビシャス

:昔の言葉にもコンプライアンスの波が

:わかる! ピンと来ないよな

:有名だしいい言葉だと思うんだけど

:大志ってなにw

:確かに大志さんは抱けねーわ

:大志さんはハードルが高すぎませんかwww

:全国の大志さんに謝れw

:歌詞と向き合うか

:やっぱりちゃんと考えて歌っているんだな

:プロはカラオケみたいにうまく歌うだけではいけないんだろうな

:歌の解釈とかどんな気持ちを込めるかとか表現しないといけないから

:へぇ……周辺を歩くか

:選挙活動の姿から野心という意味に

:自分の中の渇きか

:生きがいが心の水場になるね

:解釈をゆだねるか

:始まったな

:ロック?

:むずい

:どう足掻いても歌える気がしないんですけど


 ・

 ・

 ・


:あっという間に終わった

:陰鬱なメロディから疾走感あるサビへの転調がヤバい

:喉が渇いて足がむずむずする

:足掻け! って思いっきり叫びたくなった

:学校中から流れた

:やっぱり見られているのか

:文化祭の思い出になっただろ

:少なくとも僕にはなりました来年の文化祭の準備を積極的にしたいと思うぐらいに

:なにかに積極的になれたならよかったな


「以上です。それではお仕事モード終了。本日はいつもと違う時間帯にもかかわらず、見てくださりありがとうございました。アニバーサリー祭が終わったばかりなのに、三期生のデビューから一周年の配信準備をしなければいけない休息渇望型駄メイドロボ真宵アリスでした」



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