第88話 真宵アリスのスランプ脱出会議⑤


「桜色セツナのらしさとはアリスさんです!」


「聞き間違いじゃなかった!」


 私にはセツにゃんの言っていることがわからない。

 でも私には人生経験が豊富な頼れる同期生仲間がいる。

 期待をこめてリズ姉を見つめる。諦めなさいと首を横に振られた。普段私たちに振り回されているのでとても慣れた表情だ。残念ながら無理っぽい。

 ならばとミサキさんに視線を移す。アルカイックスマイルを返された。口元の微笑は微動だにしない。つまり喋る気がない。でも素敵な笑顔だったので許す。

 頼る先がなくなった。さてどうしようか。

 そんな私の困惑は放置される。

 さすがリスナーを置いてけぼりにすることに定評のあるセツにゃんだ。


「桜色セツナの自分らしさは始まりから確立まで全てがアリスさんで完結します。始まりはデビュー配信直後。このころの私は情けないことにまだ桜色セツナを名乗っているだけの氷室さくらでした」


「……セツにゃんはもう一度自分らしさを見直した方が良くない?」


「アリスさんのデビュー配信を見たあと私は自分のデビュー配信がどれほどつまらなかったのか痛感しました。サプライズもなにもない。お手本通りのデビュー配信。自己紹介はできていたかもしれません。でも誰かの心に残り、もう一度見てみたいと思わせるデビュー配信ではありません。あんなもので成功したと思い込んでいたなんて所詮は氷室さくらです!」


「……うん。そのまま語り続けるよね。知ってた」


「どうすれば魅力的な配信ができる悩みました。私の中に鮮烈に残るアリスさんの配信。理想はある。ならばその理想を追い求めるしかない。私はアリスさんの配信を何度も何度も見直して、模倣するようになりました」


「模倣? でもそれは」


「はい。アリスさんが月海先生の歌い方を模倣したのと同じです」


「だけどその方法では駄目だった」


「模倣がダメではないんです。模倣は全ての始まりです。理想の模倣が誤りであるはずがありません。実際にリスナーさんの反応は上向きました。でも模倣に固執してはいけないんです。ただ模倣するだけでは私らしさがない。オリジナリティが感じられない。私もその壁にぶち当たりました」


「でもセツにゃんはそれを乗り越えたんだよね」


「当時の私にも自分らしさはわからなかった。アリスさんのやり方を真似るのが間違いではない。なぜなら私の配信は理想に近づいているんですから。理想から外れたところに自分らしさがあるとは思えない。その考えは間違っていなかったのですが、同時に思い違いをしていました」


「思い違い?」


「私はアリスさんと共演できるVTuberになりたかったんです。アリスさんにフォローされてようやく人気が出る同期生なんて嫌だった。同期生と名乗っても恥ずかしくないぐらい自立した活躍がしたかった。ちゃんとアリスさんの横に並び立ちたかった。それが私の理想でした。決してアリスさんに成り替わりたいわけではない。そんなことは無理です。自分は自分以外にはなれない。やり方を真似るのは正解ですが、模倣に固執して自分を押し殺すことは間違いでした。私はリスナーさんのあるコメントに怒りを覚えて、そのことを知りました」


「リスナーさんのコメント? なに言われてた?」


「『桜色セツナって真宵アリスを真似ているよな』と。このコメントはその通りでしたからなにも反論できません。素直に受け入れられました。でもその直後のコメントが許せなかったんです!」


「セツナちゃんがそんなに怒るってことはアリスちゃんをバカにされたとか?」


「確かにそれならセツナちゃん大激怒だね」


 当時を思い出したのかセツにゃんは怒りを抑えることができない様子だ。

 私に対するアンチコメントはあるだろう。

 何万人もいるリスナー全てが肯定的だったら、それはそれでとても恐ろしい。必ずアンチはいる。そして数は少なくても他人を傷つけるために書き込まれたアンチコメントは目立つし、心に傷を残す。

 とても悲しい現実だ。

 だけどセツにゃんのお怒りポイントは予想を超えた。


「あろうことか『真宵アリスの配信を見たことないんだけどそんなに似てるの?』と書き込んだリスナーさんがいたんです!」


「はえ?」


「そのコメントを見た瞬間、私の頭は真っ白になりました。私ごときの配信を見に来ておいて、アリスさんの配信を見ていないとかあり得ません。確認すると他にもアリスさんの配信を見ていないリスナーさんが多数いました」


「……うん。いるだろうね。皆セツにゃんのリスナーさんだから」


「そんな神をも恐れぬ蛮行は許されることではありません。私は自分の配信とかやっている場合ではなかったのです! 私は私の理想を広めなければいけなかった! それと比べれば自分の配信で思い悩むなんて時間の無駄です! するべきは布教でした!」


「絶対に違うよ!」


「気づけば一時間以上アリスさんの魅力を配信中に語っていたと思います。当初の配信プランなんて頭の中にありません。予定の配信時間も余裕でオーバーしていました」


「特大級の配信事故だよ!」


「あっ! その配信覚えてる。『桜色セツナが壊れた』とか『オタク語り』とかバズっていたよね」


「自分の好きを語ることはなんて甘美なのでしょう。推しを布教することに恥ずべきことなんてなにもありません。……思えばデビュー配信からアリスさんを見続けて、ずっと溜め込んでいたんです。ファン活動なんかしたことなかったですし、発散する方法を知らなかった。そんな状態で自分の配信について悩んでもいたんです。爆発するのも自明の理。あんな風に自分を曝け出すのも人生で初めてでした。もう凄くスッキリしたんです。そこでようやく私は自分らしさを見つけたのです。いえ自分らしさを確立できたというべきでしょうか」


「……凄くセツナちゃんらしい話ね」


「本当にセツナちゃんらしさが満開」


「セツにゃんのらしさはそれでいいの!?」


「大満足です! それにリズ姉やミサキさんが言ったように今ではそれが桜色セツナらしさとして認知されています。私はアリスさんに憧れて、アリスさんを模倣し、アリスさんの素晴らしさを布教し、アリスさんの同期生として恥じない存在になった。全てがアリスさんです。だから私の自分らしさはアリスさんです」


 セツにゃんは言い切った。

 たぶん異論は認められない。そもそも誰かの自分らしさを否定する権利なんて誰にもない。私が恥ずかしいからとセツにゃんを否定することも許されない。

 なによりセツにゃんが楽しそうだ。

 リズ姉もミサキさんも笑みを浮かべている。

 自分のことを楽しそうに語ることができる。

 そのことには憧れるしかない。


「これが私の自分らしさです。もちろん特殊なのはわかっています。アリスさんの参考にならないでしょう。だから参考になるように私の経験談から一般向けの回答も用意しています」


「一般向け?」


「まずは『自分を知りなさい』です。自分を知らないと自分らしさは認識できません」


「そうだね」


「そして『理想の自分がありますか?』と問いかけます」


「理想の自分?」


「理想の自分の姿が思い描けていないと、自分のダメなところばかりが目につきます。失敗したこと。自分が逃げたところ。頭の中に居座るのは後悔ばかり。氷室さくら時代の私がそうでした。挫折することを恐れて、諦め癖のついたダメな子が氷室さくらのらしさでした」


「……そうだね。自分のダメなところばかり目につく」


「だから理想の自分の姿を思い描くことが大切なんです。理想の自分が自分らしさになる。理想を追い求めることで自分らしさを見出すことができる」


「……理想の自分の姿なんて」


 どんなものだったのだろうか。

 いつの間にかその芯の部分がわからない。そもそも理想の自分なんて思い描いたことがあるのだろうか。

 私はやはり空っぽなのではないだろうか。

 再び心が沈みかける。

 でもセツにゃんは笑って否定した。


「私は言いましたよ。アリスさんは自分らしさを迷子にしているだけです。アリスさんは理想の自分の姿をちゃんと持っていました」


「……私には思い浮かばないけど」


「少なくともアリスさんは声優を目指していたわけではないですよね。収録現場で周りに合わせて演技するのがアリスさんの理想でしたか?」


「……違う」


「月海先生の後継者と言われたから期待に応えるために模倣した。ここまでいいんです。でもアリスさんの理想の姿は現役時代の月海灯になることですか?」


「……それも違う。歌手活動も想定していなかった」


「色々なことが重なった。急に注目を浴びた。忙しくなった。そのせいで一時的に理想の自分が迷子になってしまっただけです。アリスさんはすでに理想の自分について配信で語っていますから」


「え? 私が?」


「思い出してください。収益化配信で自分で語った座右の銘を」


「座右の銘? あっ……でもあれは」


「私が憧れた。私の好きな言葉です。あれがアリスさんの理想の姿だと私は思います。確かに具体性はないです。少し消極的かもしれません。でもあのときのアリスさんは確かに理想を語っていました。理想は高尚でなければいけないわけではありません。単純でいいんです。自分にとって大切したい言葉。道に迷わないための指針。それが理想です」


「……ショーマストゴーオン」


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